王宮の地下から地上へ駆け上がったナツたちが目にしたのは、この世の終わりのような光景だった。
「なんだ……ありゃ……」
ナツが呆然と空を見上げる。
夜空を覆い尽くす、巨大な翼、翼、翼。
エクリプスの扉から現れた7頭のドラゴンが、クロッカスの街を破壊し尽くしていた。
炎が上がり、悲鳴が響き渡る。建物は紙細工のように崩れ去り、魔導士たちの魔法もドラゴンの鱗には傷一つつけられない。
「これが……ドラゴンの群れ……」
ルーシィが震える手で口元を覆う。
人間と竜。種としての絶対的な戦力差。
誰もが絶望に足をすくませる中、たった一人、ウェンディだけが静かに杖を構えた。
「……7頭。報告通りです」
彼女の声には、恐怖の色が微塵もなかった。
まるで、これから始まるのが「死闘」ではなく、単なる「作業」であるかのように。
「ヒャハハハハ! 人間だ! 人間がいるぞぉ!」
上空から、翡翠(ひすい)色に輝くドラゴンが舞い降りてきた。
翡翠の竜、ジルコニス。
その巨体が着地しただけで、広場全体が激しく揺れ、衝撃波で兵士たちが吹き飛ぶ。
「美味そうだなぁ! 誰から食ってやろうか!」
ジルコニスが巨大な顎(あぎと)を開き、涎を垂らす。
その威圧感は、双竜(スティング・ローグ)などとは比較にならない。本物の捕食者だ。
「やらせるか!」
ナツが飛び出そうとする。
だが、それより速く、緋色の影が動いた。
ヒュンッ!
風切り音と共に、ジルコニスの鼻先に小さな影が舞い降りる。
ウェンディだ。
彼女は空中で静止(ホバリング)し、巨大なドラゴンの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「――食事の時間はありません」
冷徹な宣告。
「これから行われるのは、あなた達の『処分』です」
「あぁん? なんだこのちんちくりんは」
ジルコニスが不快そうに鼻を鳴らす。
「人間風情が生意気な……。死ね!」
ジルコニスが大きく息を吸い込む。
彼の魔法は特殊だ。対象の「尊厳」を奪う、服や装備を消し去る咆哮。
「『尊厳(フク)』を剥いでやるぅぅぅ!!」
放たれた怪光線がウェンディを包み込む。
ナツたちが「ウェンディ!」と叫ぶ。
だが。
パチン。
光の中で、指を鳴らす音が響いた。
「――『概念付加(エンチャント)・状態異常無効』」
光が晴れると、そこにはローブの裾一つ乱れていないウェンディが浮いていた。
彼女は呆れたように首を振った。
「衣服を消滅させる魔法……ですか? なんて低俗で、非効率な」
「な、なにぃぃぃ!? 我が魔法が効かんと!?」
「私の師匠(アイリーン)なら、尊厳どころか『人格』ごと作り変えてしまいますよ」
ウェンディの瞳が鋭く細められる。
「次は、こちらの番です」
彼女が杖を振り上げると、上空の気流が異常な速度で回転を始めた。
雲が渦を巻き、大気が悲鳴を上げる。
ただの風魔法ではない。空間そのものをねじ切るような、高位の嵐。
「『高位付加(ハイ・エンチャント)・全能力強化(オールステータス・アップ)』」
「『空域付加(エンチャント・スカイ)・気圧断層』」
ドォォォォォンッ!!!
ジルコニスの巨体の上に、目に見えない巨大なハンマーが振り下ろされたかのような衝撃が走った。
「ぐげぇぇっ!?」
翡翠の竜が、地面にめり込む。
さらに、ウェンディは落下速度を利用し、流星のように突撃した。
「『天竜の、砕牙』!!」
ガゴォォンッ!!
小さな踵(かかと)が、ドラゴンの硬い頭蓋を打ち抜く。
鋼鉄よりも硬いはずの鱗が砕け散り、ジルコニスが白目を剥いて広場を転がり回った。
「痛ぇぇぇぇぇ! なんだこいつはぁぁぁ!?」
ジルコニスの悲鳴に、戦場が凍りつく。
他の場所で戦っていたラクサスやガジル、そして逃げ惑う市民たちも、その光景に我が目を疑った。
人間が、ドラゴンを一方的に殴り飛ばしている。
ウェンディは、土煙の中に立つジルコニスを見下ろし、冷ややかに告げた。
「西の大陸の魔獣の方が、まだ歯ごたえがありました。……これが伝説のドラゴンですか? がっかりです」
圧倒的だった。
ナツはその背中を見て、震えが止まらなかった。
恐怖ではない。武者震いだ。そして、少しの寂しさだ。
(強くなりすぎだろ、ウェンディ……。お前、本当に一人で地獄を見てきたんだな)
ウェンディは、ダメージを受けてよろめくジルコニスにトドメを刺そうと魔力を練り上げる。
その時だった。
ゴオオオオオオオ……!
上空から、無数の小型ドラゴン(マザーグレアから産み落とされた小型竜)が降ってきた。
さらに、別の場所からもドラゴンの咆哮が響く。
街のあちこちで、仲間たちが傷つき、倒れていく気配。
ウェンディの手が止まる。
(いけない。一体に時間をかけすぎている)
彼女の脳内で、冷徹な計算式が弾き出される。
私がここでジルコニスを殺すのに5分かかるとして、その間に他の場所で何人死ぬ?
グレイさんは? エルザさんは?
私が最強の火力を一点に集中させれば勝てる。だが、それは「守る」ことにはならない。
――ウェンディ。
ふと、ナツの声が蘇る。
『みんな、お前が強くなりすぎてビビってるだけだ』
『ゆっくり戻ってくりゃいいんだよ』
(……戻る場所を、守らなきゃ)
ウェンディは決断した。
彼女はジルコニスへの追撃をやめ、広場の中央へ降り立った。
「ナツさん!」
初めて、彼女の方からナツの名を呼んだ。
「こいつの相手、頼めますか!?」
「あ?」
ナツが目を丸くする。
「私がここで一体を倒しても、戦局は変わりません! 私は広域支援(エンチャント)に回ります! 街全体に防御結界を張りつつ、各個
撃破のサポートをします!」
それは、「個の最強」を目指したアイリーンの教えに背く判断だった。
効率よく敵を殺すのではなく、非効率でも仲間を生かす道。
だが、ウェンディの瞳には、かつてないほど強い光が宿っていた。
「私の家族を、一人も死なせたくないんです! だから……お願いします!」
悲痛なまでの叫び。
仮面の下の本音が、戦場で迸(ほとばし)る。
それを聞いたナツは、ニカっと笑い、炎を全身に纏った。
「おうよ! 任せろウェンディ! お前はみんなを守ってやれ!」
「はい!」
ウェンディは杖を地面に突き刺した。
展開されるのは、クロッカスの街全体を覆う超広域付加術。
「『聖なる天空(ミルキーウェイ)・全域防護(サンクチュアリ)』!!」
淡い光のドームが街を包み込む。
降り注ぐ小型竜の攻撃が弾かれ、傷ついた魔導士たちの体力が回復していく。
それは、緋色の絶望の力ではない。
妖精の尻尾の魔導士、ウェンディ・マーベルの「優しさ」の魔法だった。
「……計算終了。死亡予測、ゼロ」
ウェンディは、額の汗を拭い、初めて小さく微笑んだ。
その笑顔は、まだ少しぎこちなかったけれど。
7年前の彼女よりも、ずっと強く、美しかった。
次回、「第11話:七匹の竜を越えて」。