クロッカスの街は、淡い光のドームに包まれていた。
ウェンディが展開した『聖なる天空(ミルキーウェイ)・全域防護(サンクチュアリ)』。
その効果は絶大だった。
「体が……軽いぞ!?」
瓦礫の中で小型竜と戦っていたグレイが、自らの両手を見て驚愕する。
枯渇しかけていた魔力が溢れ出し、傷が塞がっていく。
「なんだこの強化魔法(バフ)は……。まさか、ウェンディか?」
別の場所では、エルザが剣を振るっていた。
「すごい……。身体能力が倍増している。これなら行ける!」
彼女の一撃は小型竜の硬い皮膚を容易く切り裂いた。
街中の魔導士たちが息を吹き返す。
死の淵にあった絶望的な戦況が、たった一人の少女の魔法によって「勝てる戦い」へと書き換えられていく。
その中心で、ウェンディは杖を地面に突き刺し、膝をついていた。
「……ぐッ」
大量の脂汗が頬を伝う。
数千人規模への多重付加(マルチ・エンチャント)。しかも、防御、治癒、能力強化を同時に維持し続ける魔力消費量は、常軌を逸していた。
師匠アイリーンならば涼しい顔でこなすかもしれないが、まだ人間の域にあるウェンディには負荷が大きすぎる。
(計算外……。維持コストが、想定の3倍……)
視界が霞む。肺が焼けるようだ。
効率を考えれば、即座に解除すべきだ。
だが、彼女は決して魔法を解かなかった。
(絶対に、死なせない)
(私の家族を。この街の人たちを。もう二度と、私の前で!)
ギリリ、と歯が砕けそうなほど食いしばる。
その時、上空で爆音が響いた。
「うおおおおおおっ!!」
ナツの声だ。
彼は炎の雷(モード雷炎竜)を纏い、翡翠の竜ジルコニスを踏み台にして、空の彼方へ跳躍しようとしていた。
目指すは、全てを終わらせるための標的――「エクリプスの扉」。
そして、その前にはダイヤモンドの体を持つ巨大竜・マザーグレアが立ちはだかっている。
「ナツさん……!」
ウェンディは直感した。
ナツさんの火力なら、扉を破壊できる。
けれど、マザーグレアの迎撃を突破し、あの高さまで届くには「推力」が足りない。
(私が……届けなきゃ)
ウェンディは震える足で立ち上がった。
維持している広域結界に加え、さらに別の術式を構築する。脳血管が切れそうなほどの集中力。
「……座標固定。対象、ナツ・ドラグニル」
彼女は杖をナツへ向けた。
風が渦を巻く。重力が反転する。
「ナツさん! そのまま飛んでください!」
ウェンディの声が、風に乗ってナツの耳に届く。
「私が『弾道』を作ります!」
ナツがニッと笑ったのが見えた。
「おう! 頼むぜウェンディ!」
全幅の信頼。
ウェンディは、残りの魔力を全て右手に集約させた。
「『空域付加(エンチャント・スカイ)・超加速(スーパー・バーニア)』!」
「『重力操作・ゼロ』!」
ドォォォォンッ!!!
ナツの背後に、爆発的な気流が発生した。
重力が消え、空気抵抗がゼロになり、さらに追い風が彼を音速の彼方へと押し出す。
ナツは一瞬で赤い流星となり、マザーグレアの防壁ごと空を貫いた。
「行けええええええええッ!!」
ウェンディの叫びと同時に、ナツの拳がエクリプスの扉に突き刺さる。
そして――。
カッッッ!!!!
世界が白く染まった。
扉が粉々に砕け散る。
時空の歪みが修正され、この時代に存在してはならないものたちが、強制的に元の時代へと送還されていく。
空を覆っていた7頭のドラゴンが、光の粒子となって消えていく。
小型竜たちも、マザーグレアも。
そして、地上にいた未来ローグと、ナツたちを見守っていた未来ルーシィも。
「……ありがとう」
光の中で、未来ルーシィが微笑んだ気がした。
ウェンディは、崩れ落ちそうになる体を杖で支え、その光景を見上げていた。
「……任務、完了」
糸が切れたように力が抜ける。
広域結界が解け、淡い光が消えていく。
それと入れ替わるように、街中に勝利の歓声が爆発した。
「勝ったぞオオオオオッ!!」
「ドラゴンが消えた!」
「俺たちは生き残ったんだ!」
魔導士たちが抱き合い、涙を流して喜び合う。
その喧騒の中、ウェンディは一人、荒い息を整えていた。
誰にも称賛されなくていい。
ただ、誰も死ななかった。それだけで十分だった。
(よかった……)
安堵で、膝が震える。
その時。
「ウェンディーーッ!!」
ドサッ!
空から降ってきたナツとハッピーが、勢いよくウェンディの目の前に着地した。
いや、着地というより墜落に近い。
「いってて……。へへっ、やったなウェンディ!」
ナツは煤(すす)だらけの顔で、満面の笑みを向けた。
「お前の風、最高だったぞ! 背中押された時、すっげー力が湧いてきた!」
「……ナツさん」
ウェンディは呆れたようにため息をついた。
「無茶苦茶です。着地計算が雑すぎます。死にますよ?」
「死なねーよ! お前がいるもんな!」
根拠のない自信。
けれど、その言葉はウェンディの胸に温かく響いた。
そこへ、グレイやエルザ、ルーシィ、そしてシャルルも駆け寄ってくる。
「ウェンディ! すごいわ、あの結界魔法!」
「お前のおかげで助かったぜ」
「ウェンディ……!」
みんなが、ウェンディを囲む。
かつてのように「守られる子供」としてではなく、「共に戦った英雄」として。
シャルルが涙目で飛びついてくる。今度は、ウェンディは拒絶しなかった。
まだ抱きしめ返すことはできなかったけれど、そっと肩に乗せることはできた。
「……作戦成功ですね」
ウェンディは、極力表情を崩さないように努めながら言った。
「皆さん、お疲れ様でした」
その言葉は事務的だったが、声色は以前のような氷点下の冷たさではなかった。
朝焼けが、クロッカスの街を照らし始める。
緋色に染まる空の下、ウェンディの孤独な戦いは、ひとまずの終わりを告げたのだった。
次回、「第12話:風は、告げずに去りゆく」。