書き溜めているものを纏めて投稿していきます。
西の大陸、アラキタシア。
アイリーンの居城の地下深くに、その「地獄」はあった。
日光の届かない暗闇。
重力は地上の数十倍。呼吸をするだけで肺が焼けつくような高密度の魔力空間。
「……ぐ、うぅ……っ」
ウェンディは、冷たい石床に這いつくばっていた。
彼女の身体には、異変が起きていた。
右腕から首筋にかけて、人間の肌ではない、硬質で光沢のある「鱗」が侵食していたのだ。
――竜化(ドラゴニフィケーション)の兆候。
本来なら「抗体」を持つドラゴンスレイヤーには起きないはずの現象。
だが、アイリーンによる過剰な魔力注入(エンチャント)と、極限状態での酷使により、彼女の体内の「竜の種」が暴走しかけているのだ。
「痛いか? それとも、心地よいか?」
闇の奥から、アイリーンの声が響く。
彼女は玉座に座り、苦しむウェンディを無機質な瞳で見下ろしている。
「それが『竜の力』だ。人の器から溢れ出した力が、肉体を作り変えようとしている。……お前が望んだ強さの代償よ」
「……はい」
ウェンディは掠れた声で答え、震える足で立ち上がった。
右目の白目が、赤く充血――いや、変色している。
視界が赤い。世界が、獲物とそうでないものに二分されていく感覚。
「まだだ。肉体は竜に近づいたが、心はまだ人のままだ」
アイリーンはつまらなそうに杖を振った。
「捨てなさい。迷いを。優しさを。……家族(ギルド)への未練を」
パチン。
指が鳴らされると同時、空間が歪んだ。
ウェンディの目の前に、光が集束し、数人の「人影」が形成される。
「ウェンディ! おかえり!」
「遅かったじゃねーか!」
「心配したのよ!」
そこにいたのは、ナツ、ルーシィ、シャルル。
そして、グレイやエルザたち「妖精の尻尾(フェアリーテイル)」の仲間たちだった。
彼らは満面の笑みで、ウェンディに手を差し伸べている。
「……幻影(イリュージョン)」
ウェンディが呟く。
「ええ。私の付加術で作った精巧な人形よ。記憶、人格、魔力波長まで完全に再現した」
アイリーンは冷酷に命じた。
「殺しなさい」
ウェンディの肩が跳ねた。
「……え?」
「聞こえなかった? 全員、殺せと言ったの」
仲間たちの幻影が駆け寄ってくる。
「ウェンディ、どうしたんだ?」とナツが心配そうに顔を覗き込む。
「顔色が悪いわよ」とルーシィが手を伸ばす。
その温もりは、あの日の宴で感じたものと同じだった。
「できません……!」
ウェンディが叫ぶ。
「偽物だとわかっていても……私には、攻撃なんて……!」
「ならば死ぬか?」
ドォォォォンッ!!
アイリーンの杖から衝撃波が放たれ、ウェンディは壁に叩きつけられた。
肋骨が数本折れる音。口から鮮血が噴き出す。
「甘い。あまりにも甘い」
アイリーンが立ち上がり、ウェンディの喉元に杖を突きつける。
「お前が殺せないなら、私が殺しに行くわ。……本物を」
「ッ!?」
「今すぐ大陸を渡り、あのギルドを灰にしてあげましょうか? お前がここで『殺す覚悟』を示せないのなら、お前の覚悟はその程度ということだ」
脅しではない。
この「緋色の絶望」は、本気だ。
(殺さなきゃ。……ここで、私の心の中で)
ウェンディは血の混じった唾を飲み込み、よろめきながら杖を構えた。
目の前には、大好きなナツさんが笑っている。
シャルルが、涙目でこちらを見ている。
(ごめんなさい。ごめんなさい……!)
右手の鱗が疼く。
激痛と共に、莫大な魔力が奔流となって溢れ出す。
「……『天竜の……咆哮』」
放たれたブレスは、ナツの幻影を直撃した。
「うわあああああああっ!!」
断末魔。肉が焦げる音。
あまりにもリアルな「死」の描写。
「やめてぇぇぇぇぇッ!!」
ウェンディは泣き叫びながら、それでも魔法を止めなかった。
ルーシィを、グレイを、エルザを。
次々と風の刃で切り裂き、重力で押し潰していく。
シャルルの幻影が、最後に残った。
「ウェンディ……どうして……?」
怯える相棒。一番大切な存在。
「うぅ……あぁぁ……っ!」
ウェンディの目から、涙が溢れる。
だが、その涙は頬を伝う途中で蒸発した。体温が、異常に上昇しているのだ。
彼女は震える手で、シャルルの幻影の首に手をかけた。
「……さよなら、シャルル」
バキッ。
乾いた音が響き、幻影は光の粒子となって消滅した。
静寂が戻る。
そこには、ただ一人、返り血(幻影の魔力残滓)を浴びて立ち尽くす少女がいた。
「……合格よ」
アイリーンが満足げに頷いた。
ウェンディはゆっくりと振り返る。
その瞳からは、ハイライトが完全に消え失せていた。
涙も枯れ果てた。
表情筋は死滅したかのように動かない。
そして、彼女の身体の半分は、すでにどす黒い鱗に覆われ始めていた。
「師匠(マザー)」
ウェンディの声は、金属を擦り合わせたような異質な響きを帯びていた。
「次は、誰を殺せばいいですか? ……アクノロギアですか?」
もはや、そこには「妖精の尻尾」の魔導士はいなかった。
愛する者を守るために、愛する心を殺した、哀しき竜の幼生(ドラゴン・ベビー)。
アイリーンは微笑み、その鱗に覆われた頬を撫でた。
「ええ。じきにその時が来るわ。……それまでは眠りなさい、私の可愛い『絶望』」
ウェンディは糸が切れたように倒れ込む。
その意識の底で、彼女は何度も何度も、仲間を殺す悪夢を見続けることになる。
いつか来る「冥府の門(タルタロス)」との戦いまで。
彼女の人間性が、摩耗し尽くされるまで。
次回、「第14話:冥府への目覚め」。