冥府の門(タルタロス)の本拠地、冥界島(キューブ)。
上空を浮遊するこの巨大な立方体の中は、まさに地獄の戦場と化していた。
「くそっ! キリがねえぞ!」
ナツが炎を纏った拳で、襲い来る兵隊悪魔たちを殴り飛ばす。
隣にはルーシィとハッピー。
彼らは、フェイスの発動を止めるため、そして捕らわれたミラジェーンたちを救出するために島内を疾走していた。
「ナツ! 奥からもっと強いのが来るわよ!」
ルーシィが叫ぶ。
通路の奥から、九鬼門の一角、フランマルスが現れた。
「ゲヒャヒャ! 妖精の尻尾(フェアリーテイル)の魂は美味そうだなぁ~! 俺様の呪法で骨の髄まで吸い尽くしてやるよォ!」
「上等だ! 燃やしてやる!」
ナツが突っ込もうとした、その時だった。
ズズズズズズズッ……!!
冥界島全体が悲鳴を上げた。
地震ではない。上空から何かが、圧倒的な質量と速度で激突した衝撃だ。
「な、なんだァ!? 天井が……!」
フランマルスが上を見上げる。
次の瞬間、分厚い岩盤が紙のように砕け散り、紅蓮の光と共に「それ」は降ってきた。
ドォォォォォォォンッ!!!!!
通路の中央に隕石が落ちたような轟音が響く。
爆風でナツたちもフランマルスも吹き飛ばされ、壁に激突した。
「いってて……何だよ今の……!」
ナツが瓦礫を押しのけて起き上がる。
もうもうと立ち込める粉塵の中、一つの影がゆらりと立ち上がった。
禍々しい、赤黒い魔力のオーラを纏った影。
「……現在位置、冥界島深部。フェイス反応、および多数の敵性生体反応を確認」
機械のような声。
しかし、その声色に、ハッピーが耳を疑った。
「え……この声……まさか……」
煙が晴れる。
そこにいたのは、ボロボロの緋色のローブを纏い、背中から不格好な「竜の翼」を生やした少女だった。
右半身はどす黒い鱗に侵食され、異形の腕となっている。
「ウェンディ……なのか?」
ナツが呆然と呟く。
姿形は変わってしまった。だが、その匂いは間違いなくウェンディのものだった。
ただし、かつての「陽だまりのような匂い」ではない。
腐った血と、乾いた絶望の匂いが混じり合った、最悪の匂い。
「ウェンディ! 生きてたんだな!」
それでも、ナツは仲間が生きていた喜びに顔を輝かせ、駆け寄ろうとした。
「心配したんだぞ! どこ行ってたんだよ!」
ルーシィも涙ぐんで声をかける。
「ウェンディ! よかった……助けに来てくれたのね!」
だが。
ウェンディは、駆け寄るナツたちを見ても、眉一つ動かさなかった。
その赤い右目が、ギョロリとナツを捉える。
HUD(ヘッドアップディスプレイ)のように、視界に情報が流れる。
<対象:魔導士ナツ・ドラグニル>
<所属:妖精の尻尾>
<指令:フェイス破壊の障害となる者は全て排除せよ>
「……障害物(オブスタクル)検知」
ウェンディの口から漏れたのは、再会の喜びではなかった。
「排除行動に移ります」
ヒュンッ。
ナツの本能が警鐘を鳴らした。
「避けろ」と。
「え?」
ナツが足を止めた瞬間、ウェンディの右腕――鱗に覆われた剛腕が振るわれた。
触れてもいないのに、衝撃波だけでナツの体が弾き飛ばされる。
「がはっ!?」
壁にめり込むナツ。
「ナツ!」
「ウェンディ!? 何するのよ!」
ルーシィが悲鳴を上げる。
ウェンディは無表情のまま、次はフランマルスの方を向いた。
「ゲッ……なんだテメェは! 味方割れかァ? ゲヒャヒャ! 隙だらけだぜェ!」
フランマルスが伸びる腕でウェンディを掴もうとする。
魂を吸収する呪法。触れれば魔力を奪われる。
だが、ウェンディは動じない。
「……五月蝿(うるさ)い」
パチン。
指を鳴らす。
『空域付加(エンチャント・スカイ)・大気圧縮』。
バチュンッ!!
フランマルスの周囲の空間が、一瞬でプレス機のように潰された。
「ぎゃああああッ!? お、俺様の体がァァァッ!」
球体のように圧縮され、骨も内臓も潰れた肉塊となって地面に転がる。
九鬼門の一角が、魔法一発で無力化された。
あまりの光景に、ルーシィは口元を押さえて後ずさる。
「嘘……強すぎる……。でも、様子がおかしいわ……」
「おいウェンディ!」
瓦礫から抜け出したナツが叫ぶ。
「どうしたんだよ! 俺だぞ! ナツだぞ!」
ウェンディはゆっくりと振り返った。
その瞳には、光がない。
ナツを「ナツ」として見ていない。「動く標的」としてしか認識していない。
「……任務遂行の妨害と認定。殲滅します」
彼女が大きく息を吸い込む。
周囲のマナが枯渇するほどの吸引。
ナツは知っている。その構えを。
だが、放たれようとしている魔力は、かつての澄んだ風ではない。毒々しい漆黒の嵐だ。
「やめろウェンディ!」
「『滅竜奥義・照破・黒天穿(しょうは・こくてんせん)』」
ゴオオオオオオオオオオッ!!!!!
黒い暴風のレーザーが放たれた。
ナツはとっさに腕をクロスさせ、全魔力で防御障壁を展開する。
「ぐうぅぅぅぅぅぅっ!!!!」
重い。熱い。痛い。
防御の上からでも骨がきしむ威力。そして何より、心が痛い。
妹分だったはずのウェンディが、本気で自分を殺そうとしている事実が。
轟音が止むと、通路は半壊し、ナツは膝をついて荒い息を吐いていた。
ウェンディは、仕留め損なったことにわずかに眉をひそめたが、追撃はしなかった。
フェイスの手がかりを感知したからだ。
「……非効率。次へ進みます」
彼女は興味を失ったように背を向け、翼を広げて奥へと飛び去っていった。
ナツたちの叫びも、涙も、何も届かないまま。
「待てよ……ウェンディ……ッ!」
ナツが手を伸ばすが、届かない。
残されたのは、破壊された通路と、絶望に打ちひしがれた仲間たちだけだった。
最悪の再会。
堕ちた妖精は、冥府の門よりも深く、暗い闇の中へと消えていった。
次回、「第16話:孤独な破壊兵器」。