冥界島(キューブ)の内部は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
妖精の尻尾(フェアリーテイル)と冥府の門(タルタロス)の総力戦。
だが、その戦場を最も混乱させているのは、どちらの陣営でもない、たった一人の少女だった。
「――障害物、排除」
ズドォォォンッ!!!!
壁を突き破り、緋色の影が飛来する。
通路で交戦していたエルフマンとリサーナ、そして対峙していたラミーら悪魔たちが、まとめて暴風に吹き飛ばされた。
「きゃあああっ!?」
「な、なんだァ!?」
土煙の中から現れたのは、半身を竜の鱗に覆われた異形の少女、ウェンディ。
彼女は吹き飛ばした相手が誰であるかを確認すらしない。視線はただ一点、通路の奥にある「フェイス制御魔水晶(ラクリマ)」に向けられている。
「リサーナ、姉ちゃん、大丈夫か! 今のは……ウェンディ!?」
エルフマンが驚愕の声を上げる。
だが、ウェンディは彼らを無視し、魔水晶の前へ立つ。
「……破壊します」
右腕に黒い魔力を纏わせ、一閃。
巨大な魔水晶が飴細工のように砕け散る。
彼女の任務は「フェイスの破壊」。それ以外は全てノイズ。
敵も味方もない。進路を塞ぐ者は、等しく「障害物」として処理される。
その姿は、もはや魔導士ではない。アイリーン・ベルセリオンによって調整された、孤独な破壊兵器だった。
「……解せぬな」
冥界島の最深部、玉座の間。
冥王マルド・ギールは、書物を片手に不快げに眉をひそめた。
戦況モニターに映し出される、予測不可能な破壊の痕跡。
「人間でありながら竜の力を宿し、我が同胞を虫ケラのように蹂躙する……。あの魔力、西の『緋色の絶望』か。厄介なものを寄越してくれた」
九鬼門が次々と無力化され、計画に狂いが生じている。
だが、マルド・ギールは冷酷に笑った。
「だが、遅い。フェイスの起動シークエンスは最終段階に入った。もはや誰にも止められん。……世界から魔法は消え、ゼレフ書架の悪魔たちが真の支配者となるのだ」
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!
冥界島全体が、不気味な振動を始めた。
「くそっ! 揺れてやがる!」
最深部を目指して走っていたナツが、壁に手をつく。
隣には、父・シルバーとの死闘を乗り越えたグレイがいる。
「急げナツ! この揺れ……フェイスが起動し始めてる!」
「わかってる!けど…!」
ナツの脳裏に焼き付いているのは、先ほどのウェンディの虚ろな瞳。
自分に向けられた、殺意の咆哮。
「ウェンディの奴……どうしちまったんだよ。あんな姿になって、俺たちのこともわからなくなって……」
拳を握りしめるナツ。怒りと、それ以上の悲しみが胸を締め付ける。
「……あいつは、心を壊されたんだ」
グレイが沈痛な面持ちで呟く。
「強すぎる力と引き換えにな。……だが、今は感傷に浸ってる場合じゃねえ。フェイスを止め、マルド・ギールを倒す。ウェンディを元に戻すのは、その後だ!」
「……ああ、そうだな!」
ナツが顔を上げる。そうだ、ここで立ち止まっていては何も救えない。
二人が再び走り出そうとした、その時。
ピカッ――――――!!!!
冥界島の外、大陸全土から、天を衝くような白い光の柱が無数に立ち昇った。
「な……!?」
「間に合わなかった……のか!?」
フェイス起動。
世界中の大気から、魔力(エーテルノ)が急速に失われていく。
ナツやグレイの体からも力が抜け、膝をつきそうになる。
だが、絶望はそれだけではなかった。
魔力が消えゆく空を引き裂くように、それは現れた。
ドォォォォンッ!!
上空の雲が吹き飛び、巨大な影が冥界島を覆い隠す。
『グォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!』
世界を震わせる、破壊の咆哮。
黒き翼、時代の終わりを告げる竜の王。
「ア……アクノロギア……!?」
ナツが空を見上げ、戦慄する。
なぜ今、奴が現れる!?
同時刻。島の別区画。
フェイスの光と、アクノロギアの咆哮。
その二つを同時に浴びたウェンディの身体に、劇的な変化が訪れた。
「……あ、が、ぁぁぁッ!!??」
ウェンディが喉を掻きむしり、絶叫する。
フェイスによる魔力消失の影響で、アイリーンが施していた「竜化を抑える抑制術式」が解除されてしまったのだ。
さらに、宿敵アクノロギアの気配が、体内の竜の種を爆発的に活性化させる。
バキバキバキッ!!
骨が軋み、肉が変形する嫌な音が響く。
右半身だけだった鱗が、顔を、左腕を、全身を侵食していく。
小さな翼が、巨大な皮膜へと成長する。
「ヤメテ……! 私は……私はマダ、人デ……!!」
残された人間性が悲鳴を上げる。
だが、思考は急速に「破壊衝動」に塗りつぶされていく。
アイリーンが植え付けた、対アクノロギア用の絶対命令。
<竜王ヲ、排除セヨ>
「オォォォォォォォォォォッ!!!!」
少女の声は、完全に竜の咆哮へと変わった。
もはやそこに人の理はない。
冥界島の天井を突き破り、一頭の「緋色の竜」が空へと舞い上がった。
絶望の空で、黒き王と緋色の狂気が対峙する。
そして、その直後。
ナツの体内からも、ずっと待ちわびていた「声」が響き渡ることになる。
次回、「第17話:炎竜王、覚醒」。