冥界島(キューブ)の上空。
世界から魔力が消えゆく中、そこだけは異様な魔力の嵐が吹き荒れていた。
「■■■■■■■■■■――ッ!!!!」
言葉にならない咆哮。
それは、かつてウェンディ・マーベルと呼ばれた少女の成れの果てだった。
全長十メートルほどの、緋色とドス黒さが入り混じった小型の竜。
アイリーンによって植え付けられた「滅竜の本能」と、フェイスによる抑制解除が、彼女をただの殺戮獣へと変えてしまったのだ。
彼女の目の前には、絶望の象徴――黒龍アクノロギアが滞空している。
『……小バエが』
アクノロギアが不愉快そうに鼻を鳴らす。
人間が無理やり竜化しただけの紛い物。彼の眼には、ウェンディは羽虫程度にしか映らない。
だが、その羽虫は恐れを知らなかった。
ヒュンッ!!
ウェンディ竜が、音速を超えてアクノロギアに突撃する。
風の牙が黒き鱗に突き立つ――が、硬すぎて通らない。
逆にアクノロギアの腕が、無造作に払われる。
ドゴォォォォンッ!!
ウェンディ竜は紙屑のように吹き飛ばされ、冥界島の瓦礫に激突した。
普通なら即死の衝撃。だが、彼女は即座に起き上がった。
『高位付加(ハイ・エンチャント)・痛覚遮断』『骨格修復』。自動発動する術式が、壊れた肉体を無理やり動かす。
「ア……ガ、アァァァッ!!」
痛みはない。あるのは「竜ヲ殺セ」という強迫観念だけ。
彼女は血を撒き散らしながら、再び空へと舞い戻る。
「ウェンディ……やめろ……死んじまう……!」
地上でそれを見上げることしかできないナツは、絶望に打ちひしがれていた。
止めたい。空へ飛んで、彼女を抱きしめてやりたい。
だが、フェイスの影響で魔力が枯渇し、体中の力が抜けていく。膝が震え、立ち上がることすらできない。
「くそっ……! なんでだよ……! なんでこんなことになっちまったんだよォッ!」
拳で地面を殴りつける。
無力だ。何も守れない。
目の前で、妹分が竜に変わり、最強の竜に殺されようとしているのに。
ドクン。
その時。
ナツの心臓が、大きく跳ねた。
ドクン、ドクン。
全身の血液が沸騰するような熱さ。枯渇したはずの魔力が、体の奥底から無限に湧き上がってくる。
(なんだ……? この熱さは……)
そして、ナツの脳裏に、懐かしく、力強い声が響いた。
『――待たせたな、ナツ』
「え……?」
ナツが動きを止める。
その声は、夢にまで見た、あの日突然消えてしまった父の声。
「イグ……ニール……?」
『生きることを諦めるな。守りたいものがあるのなら、燃え上がれ』
ボォォォォォォォォォッ!!!!!
ナツの全身から、太陽のような紅蓮の炎が噴き出した。
冥界島の瓦礫が融解し、周囲の空気が揺らぐ。
ナツ自身ではない。ナツの「中」にいた存在が、世界へ顕現する。
「うおおおおおおおおおおっ!!!!」
ナツの絶叫と共に、炎の柱が天を衝いた。
その炎の中から、巨大な翼が広げられ、真紅の鱗を持つ巨竜が姿を現す。
「炎竜王、イグニール!!!」
ハッピーが叫ぶ。
イグニールはナツを一瞥し、ニカっと笑ったように見えた。
そして、爆発的な加速で空へ駆け上がった。
目指すは黒龍アクノロギア。
ドォォォォンッ!!!!
二頭の竜王が激突する。
イグニールの頭突きがアクノロギアを吹き飛ばし、アクノロギアの爪がイグニールの腹を裂く。
神話の再現。天地がひっくり返るような衝撃。
だが、その神々の戦いに、空気を読まない「第三の竜」が突っ込んだ。
「グルルルルルッ!!」
暴走したウェンディ竜だ。
彼女の認識では、イグニールもまた「排除すべき竜」でしかない。
彼女はアクノロギアの背後から迫ると同時に、イグニールの喉元にも風のブレスを放った。
『ぬぅっ!?』
イグニールが驚き、翼でブレスを防ぐ。
わずかな隙。そこをアクノロギアが見逃すはずがない。
黒きブレスがイグニールを襲う。
三つ巴。
いや、知性のない狂犬(ウェンディ)が、二大竜王の戦場を引っ掻き回すカオス。
『なんだこの小娘は……。グランディーネの気配がするが、魂が壊れておる』
イグニールが、まとわりつくウェンディ竜を尻尾で薙ぎ払う。
手加減はしている。だが、竜の一撃だ。
ウェンディは弾丸のように地上へ叩きつけられる。
「やめろぉぉぉっ!! イグニールっ!!」
ナツが叫ぶ。
「そいつはウェンディだ! 俺たちの仲間なんだよ! 殺さないでくれ!」
イグニールは空中からナツを見下ろした。
その瞳は厳しく、悲しい。
『ナツよ。……よく聞け』
テレパシーが響く。
『あの娘はもう、半分以上が竜に堕ちている。魔女の術式と、フェイスの暴走……。放置すれば、自らの魔力で自滅するか、アクノロギアに喰われるだけだ』
「だったら助けてくれよ! イグニールならできるだろ!?」
「助けるには、フェイスを止め、アクノロギアを退けるしかない。……ナツ、お前に仕事を与える』
イグニールは、マルド・ギールが持っている「ENDの書」を指し示した。
『あの書物を奪え。……絶対に開くなよ。奪うだけでいい』
「今はそんなことどうでもいいだろ! ウェンディが……!」
『どうでもよくはない! お前の未来に関わることだ!』
イグニールが一喝する。
そして、声を和らげた。
『安心しろ。……グランディーネの子だ。死なせはせん。私がアクノロギアを抑えている間に、お前は為すべきことを為せ。……ギルドの仲間として、あの娘の心を呼び戻してやれるのは、私ではない。お前たちだ』
その言葉に、ナツはハッとする。
そうだ。俺が泣いてどうする。
ウェンディが心を閉ざしてしまったのなら、それをこじ開けるのは「家族」の役目だ。
「……わかった! その本、奪ってくりゃいいんだな!?」
「ああ。報酬は……なんでも好きなものをやろう」
「話だ! ずっとどこ行ってたのか、全部教えろ!」
ナツは涙を拭い、燃える瞳でマルド・ギールを睨みつけた。
空では、再びイグニールとアクノロギアが激突し、その隙間を縫うようにウェンディ竜が狂ったように吠えている。
「待ってろウェンディ! すぐに正気に戻してやるからな!」
ナツが地面を蹴る。
地上ではナツ&グレイ対マルド・ギール。
空ではイグニール対アクノロギア対ウェンディ。
世界を賭けた、最後の乱戦が幕を開けた。
次回、「第18話:断ち切られた炎、凍てついた翼」。