緋に染まる天空   作:暁 蒼空

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第18話:断ち切られた炎、凍てついた翼

冥府の門の上空は、慈悲なき殺戮の場と化していた。

 

炎竜王イグニールと、黒龍アクノロギア。

二頭の竜王が激突する中、緋色の小型竜――暴走したウェンディは、狂ったようにイグニールに牙を剥いていた。

 

「ガァァァァァァッ!!」

 

ウェンディ竜は、敵味方の区別がつかない。

アイリーンによって脳髄に焼き付けられた『竜王ヲ殺セ』という命令が、彼女を衝き動かす。

彼女はアクノロギアではなく、手負いのイグニールの喉元を執拗に狙っていた。

 

『やめろ、小娘! 目を覚ませ!』

イグニールが叫ぶ。

彼はウェンディを傷つけないよう、爪を立てずにあしらっていた。

だが、その「優しさ」が致命的な隙を生んだ。

 

『――甘いな、炎竜王』

アクノロギアが嘲笑う。

黒き翼が風を切り、イグニールの背後を取った。

ウェンディ竜の攻撃を防ぐために体勢を崩した、その一瞬。

 

ズプッ。

 

鈍い音が響いた。

アクノロギアの鋭利な爪が、イグニールの左胸を背後から貫通していた。

「あ……」

地上で見上げていたナツの時が止まる。

「イグニール……?」

 

『グォォッ……ガハッ!!』

イグニールが大量の血を吐く。

その血が、目の前にいたウェンディ竜の顔にかかった。

 

熱い、竜の血。

その鉄の味が、ウェンディの暴走した意識に冷水を浴びせた。

 

(あ……え……?)

 

ウェンディ竜の動きが止まる。

目の前には、胸を貫かれた炎竜王。

その巨体が、力を失って落下していく。

アクノロギアは無慈悲に爪を引き抜き、さらに追撃のブレスを放った。

 

『消えろ』

 

ドォォォォォォォンッ!!!

 

イグニールは抵抗することなく、火の玉となって冥界島の瓦礫へと墜落した。

轟音。土煙。

そして、訪れる静寂。

 

ウェンディ竜は、空中で呆然とそれを見ていた。

鱗に覆われた顔が歪む。

私が……やったの?

私が邪魔をしたから……ナツさんの、お父さんが……?

 

「ア……アァ……アァァァァァァァッ!!!!」

 

絶望の叫びと共に、ウェンディの竜化が解けていく。

魔力が逆流し、精神が砕け散る。

彼女は人の姿――ボロボロの、血にまみれた少女の姿に戻り、糸が切れた人形のように落下していった。

 

地面に横たわるイグニールは、瀕死だった。

再生不可能な致命傷。命の灯火が、今にも消えようとしている。

 

「イグニール!! イグニールッ!! 待ってろ! 今、誰か呼んでくるから!!」

ナツが駆け寄り、血まみれの巨体にすがりつく。

涙が止まらない。再会したばかりなのに。

やっと会えたのに。

 

「……ナツ……」

イグニールが、かすれた声で息子を呼ぶ。

「強くなったな……。ENDの書は……手に入れたか……?」

「そんなもんどうでもいい! 死ぬなよ! ずっと探してたんだぞ! やっと会えたんだぞ!」

 

ナツの慟哭が響く。

その少し離れた場所に、ウェンディが落ちていた。

彼女は意識を取り戻していたが、目からは光が消え、ただ震えながら自分の手を見ていた。

イグニールの血で赤く染まった、自分の手を。

 

「……ごめ、なさ……い……」

ウェンディが、蚊の鳴くような声で呟く。

「私が……私が……」

 

イグニールは、重い首を動かし、ウェンディを見た。

責める色はなかった。ただ、深い悲しみだけがあった。

 

「……己を責めるな、風の娘よ」

「……ッ!」

「お前を、グランディーネの子を守れてよかった。お前もまた……運命に翻弄された被害者だ……。アクノロギアの……邪悪な意思に……」

 

イグニールの視界が霞む。

空には、興味を失ったアクノロギアが去っていく影が見える。

勝てなかった。守りきれなかった。

 

「ナツ……」

イグニールは最後の力を振り絞り、ナツに語りかけた。

「……生きろ、ナツ。……未来を……掴み取れ」

 

言葉は、そこで途切れた。

炎竜王の瞳から、光が消える。

巨大な身体が、サラサラと光の粒子となって崩れ始めた。

 

「イグニール? ……おい、イグニール!!」

 

返事はない。

温かかった炎が、冷たい風にさらわれて消えていく。

 

「うわああああああああああああああああッ!!!!」

 

ナツの絶叫が、何もない空に吸い込まれていった。

その背後で。

ウェンディは、壊れたように同じ言葉を繰り返していた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ナツさん……殺して……私を殺して……」

ナツはゆっくりと立ち上がり、ウェンディの方を向いた。

 

「……ッ!!」

ウェンディは身を縮こまらせた。

殺される。罵倒される。当然だ。私がナツさんの「一番大切な人」を奪ったのだから。

むしろ殺してほしい。楽にしてほしい。

 

しかし。

ナツの手は、優しくウェンディの頭に乗せられた。

 

「……お前のせいじゃねえ」

その声は、震えていたけれど、怒りの色は微塵もなかった。

「……え?」

「お前も操られてたんだ。……苦しかったろ、ウェンディ」

 

ナツは涙を流しながら、無理やり笑顔を作った。

「イグニールは、お前を守れて良かったって言ってた。……だから、自分を責めるな」

 

ナツの言葉は優しいものだった。

しかしその優しさが、ウェンディには鋭利な刃物よりも痛かった。

怒ってくれれば救われた。殴ってくれれば償えたかもしれない。

けれど、ナツは許してしまった。

父を殺した元凶である私を、「家族」として抱きしめようとした。

 

(……だめ)

 

ウェンディの中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。

私は、この優しさに触れてはいけない。

私の存在そのものが、ナツさんを傷つける「呪い」なんだ。

 

「……う、うぁぁ……」

「ウェンディ? 立てるか? ギルドへ帰ろう」

 

ナツが手を差し伸べる。

その手を、ウェンディは取らなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

ヒュンッ。

突風が巻いた。

「うおっ!?」

ナツが腕で顔を覆う。

 

風が止んだ時、そこにウェンディの姿はなかった。

空の彼方へ、逃げるように飛び去る小さな影が見えただけだった。

 

「ウェンディーーッ!!!」

 

ナツの呼び声は、もはや彼女には届かなかった。

こうして、大魔闘演武から続いた戦いは終わった。

ナツは父を失い、そして妹分をも失った。

 




次回、「エピローグ:彷徨う天空、緋色の母」。
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