X792年、アルバレス帝国軍によるイシュガル侵攻が開始された。
フィオーレ王国の港町ハルジオン。
水平線を埋め尽くす帝国艦隊の威容に、防衛にあたる「蛇姫の鱗(ラミアスケイル)」と「人魚の踵(マーメイドヒール)」の魔導士たちは息を呑んでいた。
「なんだあの数は……! 噂以上じゃないか!」
リオン・バスティアが冷や汗を流す。
カグラも刀の柄に手をかけ、険しい表情で海を睨む。
「退くわけにはいかない。ここを突破されれば、フィオーレは終わる」
彼らが決死の覚悟で迎撃の構えを取った、その時だった。
艦隊の中央から、一つの「緋色の光」が空へ昇った。
「おい、あれはなんだ?」
「誰か飛んでくるぞ!」
それは、鳥にしてはあまりに速く、人にしてはあまりに禍々しい影だった。
高高度まで上昇した影は、ハルジオンの上空でピタリと静止する。
「……標的確認。港湾都市ハルジオンおよび迎撃部隊」
空に浮かぶのは、緋色の軍服を纏い、背中から竜の翼を生やした少女――ウェンディ・ベルセリオン。
彼女は眼下に広がる街を見下ろし、無感情に杖を振るった。
「マザーの通り道を掃除します」
「『広域付加(ハイ・エンチャント)・重力崩壊(グラビティ・コラプス)』」
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
轟音などという生易しいものではない。
空が落ちてきたかのような衝撃波が、ハルジオンの港湾地区を一瞬で圧壊させた。
停泊していた防衛船は紙屑のようにひしゃげ、海面が割れ、堅牢な石造りの岸壁が粉々に砕け散る。
「うわあああああああッ!?」
「な、何が起きたんだァッ!?」
リオンやカグラたちが吹き飛ばされる。
たった一撃。
それだけで、フィオーレ南部防衛線は半壊した。
土煙が舞う廃墟の中心に、ウェンディが音もなく着地した。
右半身を覆う黒い竜の鱗が、爆炎の光を反射して鈍く光る。
「……生存者多数。殲滅効率が悪いですね」
彼女は不満げに眉をひそめ、冷たい爬虫類の瞳で周囲を見回した。
「待ちなさいよッ!!」
黒い風を切り裂き、一人の少女が飛び出してきた。
ピンク色のツインテール、「天空の滅神魔導士」シェリア・ブレンディだ。
「あなた、何なの!? いきなり街を壊して……許さないんだから!」
シェリアは黒い風を両手に纏い、ウェンディを睨みつける。
だが、その視線がウェンディの顔――特に鱗に覆われた右半身と瞳を捉えた瞬間、彼女の動きが止まった。
「え……?」
シェリアの魔法は「神の風」。ウェンディの魔法は「竜の風」。
同系統の魔法を持つ者同士、魂の波長が共鳴するのか。
シェリアは初対面のはずの敵に対し、強烈な既視感(デジャヴ)と、胸を締め付けられるような哀しみを感じ取っていた。
(なに、この子……。すごく悲しい匂いがする。……それに、どこかで会ったことがあるような……)
シェリアの「愛」の魔法源が、直感的に告げていた。
――この子とは、友達になれたかもしれない。
――もし出会い方が違えば、最高の親友になれたはずだ、と。
「……あなた、名前は?」
シェリアは攻撃の手を緩め、問いかけた。
「私はシェリア。……ねえ、戦うのやめない? あなた、本当は泣いてるように見えるよ」
戦場に似つかわしくない、純粋な提案。
だが、それは今のウェンディにとって、最も無意味な言葉だった。
「……理解不能」
ウェンディは無表情のまま、首を傾げた。
「戦場での対話など非効率です。……それに、私を知ったような口を聞かないでください」
ザッ。
ウェンディが一歩踏み出す。
それだけで、シェリアの肌が粟立つほどの殺気が膨れ上がる。
「私はウェンディ・ベルセリオン。アイリーン様の娘にして、皇帝陛下の剣」
「ウェンディ……?」
「……消えなさい、羽虫」
ヒュンッ!!
ウェンディの姿が消えた。
「速っ!?」
シェリアが反応する間もなく、目の前に緋色の影が現れる。
「『天竜の……鉤爪』」
ガギィィィンッ!!
風を纏った蹴りが、シェリアの防御魔法ごと彼女を吹き飛ばす。
「きゃあああああっ!!」
シェリアは瓦礫の山に叩きつけられ、激しく咳き込んだ。
「つ、強い……! 私の滅神魔法より、魔力の質が何倍も重い……!」
立ち上がろうとするシェリアの前に、ウェンディが追撃の構えで舞い降りる。
その瞳に、慈悲などない。
「ねえ、待って!」
シェリアはボロボロになりながらも、必死に言葉を紡いだ。
「私、感じるの! 私とあなたは、きっと似てる! 魔法も似てるし……今からでも、友達に……!」
この世界線では存在しなかった友情。
けれど、魂の奥底で繋がりを求めたシェリアの叫び。
しかし、ウェンディは冷たく鼻で笑った。
「友達? ……不要です」
彼女の脳裏に過(よ)ぎるのは、母アイリーンの言葉。
『お前を受け入れるのは私だけ』『外の世界は全て敵』。
「私にはマザーがいればいい。……それに、あなたのような弱者と慣れ合うつもりはありません」
ウェンディは右手をかざした。
掌に収束するのは、シェリアの「神の風」すら飲み込む、絶対的な「竜の嵐」。
「目障りです」
ドォォォォンッ!!
至近距離からの風魔法の爆発。
「あ……」
シェリアの意識が刈り取られる。
彼女は血を流して倒れ伏し、二度と動かなくなった。
圧倒的な蹂躙。
友情の可能性ごと、物理的に粉砕された敗北。
「シェリアァァッ!!」
リオンが絶叫して駆け寄ってくるが、ウェンディは興味なさげに背を向けた。
「……エリア制圧完了。次は北へ向かいます」
ウェンディは翼を広げ、再び空へと舞い上がる。
彼女が向かう先は、マグノリア。
かつての「家族」がいる場所。
眼下のハルジオンには、彼女がもたらした破壊と、芽吹くことのなかった友情の残骸だけが残されていた。
緋色の姫竜は、涙一つ流さず、ただ母のための破壊を続ける。
次回、「第3話:妖精の空、緋色の影」