マグノリア上空。
夕焼けは、禍々しい緋色の魔力によって塗り替えられていた。
「『高位付加(ハイ・エンチャント)・筋力増強(マッスル・ブースト)』」
「『物理耐性付加(エンチャント・アーマー)』」
空中で呪文を詠唱するたび、ウェンディの身体から放たれるプレッシャーが倍増していく。
かつての彼女は補助魔法(エンチャント)を仲間に掛けていた。
だが今は、その全てを自身の「竜の肉体」に掛け、単騎でギルド一つを殲滅する怪物と化している。
「はあああああっ!!」
ウェンディが急降下し、ナツへ拳を振り下ろす。
鱗に覆われた右腕の一撃。
ドゴォォォォォォンッ!!!
ナツは両腕でガードしたが、地面がクレーター状に陥没し、膝が震える。
「ぐぅ……ッ! なんだこのバカ力は……! 鉄の塊かよ!」
「解析終了。ナツ・ドラグニルの炎の温度、および魔力密度」
ウェンディは無表情のまま、追撃の手を緩めない。
彼女の左目(人間の瞳)は死んでいるが、右目(竜の瞳)は高速で情報を処理し、最適解を弾き出している。
「『属性付加(エンチャント)・耐熱』」
ナツが放ったカウンターの炎が、ウェンディの体に触れた瞬間、煙のように霧散した。
「なっ……炎が効かねえ!?」
「学習しましたから。……あなたの炎がどれほど熱くても、概念そのものを書き換えれば無意味です」
ウェンディが杖を振るう。
見えない風の刃が、ナツの体を切り裂く。
「がはっ!?」
鮮血が舞う。
「ナツ!」
エルザが換装して飛び出す。「天輪・繚乱の剣(ブルーメンブラット)!」
無数の剣がウェンディを襲うが、彼女は翼を一振りしただけで、その全てを弾き飛ばした。
「邪魔です、エルザ・スカーレット」
ウェンディが冷ややかに見下ろす。
「あなた程度の剣技では、私の鱗一枚剥がせません。……マザーに比べれば、児戯(じぎ)にも等しい」
「マザー……アイリーン・ベルセリオンのことか!」
エルザが叫ぶ。
「ウェンディ! 目を覚ませ! お前は操られているんだ!」
「操られている? ……違います」
ウェンディは首を横に振った。
その顔に、微かに歪んだ、陶酔したような笑みが浮かぶ。
「私は『愛されている』のです。……マザーだけが、私を許し、受け入れてくれた。あなた達のような、綺麗事しか言わない偽物の家族とは違う!」
ドォォォォンッ!!
ウェンディの咆哮と共に、魔力の奔流がギルドを襲う。
建物が崩れ、ルーシィやグレイたちが吹き飛ばされる。
「くそっ……! ウェンディ……!」
ナツが瓦礫から這い上がる。
強い。強すぎる。
1年前とは別次元だ。竜の力と、アイリーンのエンチャント技術。そして何より、彼女自身が記憶を捨て去り、「心を閉ざして」いることが、ナツの呼びかけを拒絶している。
その時。
マグノリアの空に、巨大な「目」が現れた。
『――そこまでよ、ウェンディ』
空から響く、優雅で、しかし絶対的な威圧感を持った女性の声。
その声を聞いた瞬間、ウェンディの殺気が霧散し、忠実な下僕の顔へと変わった。
「マザー……」
ウェンディが空を見上げ、恭しく膝をつく。空中であるにも関わらず。
「遊びは終わり。……私の可愛い娘よ、戻ってらっしゃい」
巨大な目が、ギルドの魔導士たちを見下ろす。
『妖精の尻尾(フェアリーテイル)……。ふふ、懐かしい気配ね』
エルザがその目を見上げる。
ドクン。心臓が早鐘を打つ。
(この魔力……。ウェンディと同じ、緋色の魔力。……なぜだ、なぜ私はこの魔力を知っている?)
『ウェンディ。準備を始めなさい。……「ユニバースワン」の』
「了解しました、マザー」
ウェンディは立ち上がり、ナツたちに背を向けた。
「待ちやがれウェンディ! 逃げるのか!」
ナツが叫ぶ。
ウェンディは振り返り、憐れむような目でナツを見た。
「逃げるのではありません。……『終わらせる』準備です」
彼女の背中の翼が大きく羽ばたく。
「命拾いしましたね。……次は必ず、私がこの手で引導を渡します。ナツ・ドラグニル」
ヒュンッ!!
ウェンディは緋色の閃光となり、空の彼方へ消え去った。
巨大な目もまた、幻のように空に溶けて消える。
残されたのは、半壊したギルドと、傷ついた魔導士たち。
そして、決定的な絶望感だった。
「……ちくしょうッ!!」
ナツが地面を殴りつける。
「届かねえのかよ! あんな近くにいたのに! なんでだよ!」
涙を流して悔しがるナツの肩に、マカロフが手を置いた。
「……落ち着け、ナツ」
「じっちゃん! でもウェンディが……あいつ、自分からあっちに行っちまったんだぞ! 俺たちのこと、何も覚えてなかったぞ!」
「ああ。……ウェンディの心は今、深い闇の中じゃ」
マカロフは空を見上げ、険しい表情で呟いた。
「アイリーン・ベルセリオン……。アルバレス帝国の双璧。『緋色の絶望』と呼ばれる女」
エルザが前に進み出る。
「マスター。……あの女とウェンディは、ただの主従関係ではありませんでした。ウェンディはあの女を『マザー』と呼び、心酔していた」
エルザは自身の胸に手を当てた。冷や汗が止まらない。
「そして……私にも、何か関係がある気がします。あの女の魔力を感じた時、魂が震えた」
マカロフは重々しく頷いた。
「ウェンディを取り戻すには、アイリーンを倒すしかない。……あの歪んだ親子の縁を、力ずくで断ち切るしかないんじゃ」
ナツが顔を上げる。
その瞳に、再び炎が宿る。
「……ああ。やってやる」
ナツは誓った。
「アイリーンだか何だか知らねえが、ウェンディをあんな風にした奴は絶対に許さねえ。……今度こそ連れ戻す。記憶がねえなら、何度だって教えてやる。俺たちが家族だってな!」
妖精の尻尾(フェアリーテイル)の新たな戦いが始まった。
目指すはアルバレス軍の本陣。
そして、世界を書き換える禁断の魔法「ユニバースワン」の発動が、刻一刻と迫っていた。
次回、「第5話:世界再編魔法(ユニバースワン)」