ユニバースワンによって再編された森の奥深く。
妖精の尻尾(フェアリーテイル)の仮設キャンプには、重苦しい沈黙が漂っていた。
「……嘘でしょ? ウェンディ……」
ルーシィが口元を押さえ、涙を滲ませる。
ジュビアも言葉を失い、ただ悲痛な表情でその少女を見つめていた。
テントの中、簡易ベッドに座らされたウェンディ。
包帯だらけの身体。右半身の鱗は剥がれ落ち、痛々しい火傷のような痕が残っている。
だが、何よりも深刻なのは、その「瞳」だった。
虚ろ。
完全に光が消え、焦点が合っていない。
ルーシィが手を振っても、シャルルが名を呼んでも、瞬きひとつしない。
ただ一点、テントの入り口――アイリーンが消え去った方角を、ぼんやりと見つめているだけだった。
「……酷い状態だね」
ポーリュシカがため息をつき、診察の手を止めた。
「体の傷は治せる。だが……心の傷は、私の薬でも届かない」
「治せないのかよ!?」
ナツが食って掛かる。
「じっちゃんも、みんなも待ってるんだぞ! ウェンディは帰ってきたんだ! なのに……!」
「……『帰ってきた』のではない」
ポーリュシカは静かに首を振った。
「この子は、自分の心をあの場所に置いてきたんじゃ。……いや、自ら鍵をかけ、その鍵を捨ててしまった」
ナツが拳を握りしめる。
アイリーンに拒絶された瞬間、ウェンディの心が砕け散った光景がフラッシュバックする。
(俺が……俺が鱗を壊したせいで、あいつは……)
「ウェンディ……」
シャルルが泣きながら、ウェンディの膝に乗る。
「ごめんね……辛かったね……。もう大丈夫よ、私がいるわ」
しかし、ウェンディの手はシャルルを撫でない。
その代わり、彼女の指先は無意識に、自身の緋色の軍服(アイリーンとお揃いの服)の裾を、ギュッと握りしめていた。
まるで、それが唯一の命綱であるかのように。
一方。
アルバレス帝国の本陣、再構築された城の最上階。
アイリーン・ベルセリオンは、窓辺に立ち、月を見上げていた。
部屋は静まり返っている。
いつもなら、足元には「小さな影」が侍り、彼女を称賛する甘い声が聞こえるはずだった。
『マザー、綺麗です』
『マザー、髪を梳かしましょうか?』
『マザー、マザー……』
その声はもうない。
彼女自身が、「壊れた道具」として切り捨てたからだ。
「……静かね」
アイリーンは独りごちた。
せいせいする。
あんな依存心の強い娘など、鬱陶しいだけだった。
竜の鱗が剥がれた失敗作。私の器になれなかったエルザの代用品。
捨てることに何のためらいもないはずだった。
カツン。
アイリーンが部屋を歩き出す。
ふと、テーブルの上に置かれたティーカップに目が止まった。
二つ並んだカップ。
一つは自分の。もう一つは、ウェンディが使っていた小さなもの。
「……チッ」
アイリーンは舌打ちをし、ウェンディのカップを魔法で消滅させた。
目障りだ。
なぜだろう。胸の奥に、得体の知れない「穴」が開いたような感覚がある。
――『マザー! 私を捨てないで!』
あの時のウェンディの絶叫が、耳にこびりついて離れない。
恐怖に歪んだ顔。必死に縋り付く手。
「……あの子は、私を求めていた」
アイリーンは窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。
「私の魔力でも、知識でもない。……ただ、『私』という存在そのものを」
400年もの間、竜として生き、人として狂い、誰からも理解されなかった「緋色の絶望」。
そんな彼女を、全て肯定し、崇拝し、無償の愛を捧げてくれたのは、あの小さな少女だけだった。
「……馬鹿な子」
アイリーンは杖を握りしめた。
その指先が、微かに震えていることに、彼女自身は気づかない振りをしていた。
「あんな脆い器、代わりはいくらでもいるわ。……そう、いくらでも」
しかし、彼女は知っていた。
あそこまで純粋に、自分だけを見てくれる存在など、この世界に二度と現れないことを。
アイリーンは窓の外、ナツたちがいるであろう森の方角を一瞥した。
その瞳に宿るのは、道具を失った惜別か、それとも――。
「……さようなら、ウェンディ」
その言葉は、冷徹な宣言にしては、あまりにも寂しげに響いた。
翌朝。
キャンプ地で異変が起きた。
「ウェンディがいねえ!?」
ナツの叫び声で、全員が飛び起きた。
テントの中は空っぽ。
ウェンディの姿がない。
「まさか、自分から出て行ったのか!?」
グレイが焦る。
「あんな体で歩けるわけない! どこへ行く気だ!」
ナツが鼻をひくつかせ、森の奥を睨みつけた。
匂いが続いている。
ふらふらとした、覚束ない足取りの匂い。
向かっているのは、ギルドでも、ハルジオンでもない。
「……あいつ、また『あっち』へ行こうとしてやがる」
ウェンディが目指していたのは、アイリーンのいる城の方角だった。
心は壊れても、魂に刻まれた「母への帰巣本能」だけが、彼女を突き動かしていたのだ。
「連れ戻すぞ! 急げ!」
ナツたちが走り出す。
しかし、その先には、運命の皮肉とも言うべき「本当の母」との遭遇が待っていた。
次回、「第14話:彷徨う魂、緋色の再会」