緋に染まる天空   作:暁 蒼空

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第15話:閉ざされた心、開くための鍵

アルバレス帝国の城、最上階のバルコニー。

アイリーンは、自身の足元を見つめ、震えが止まらない右手を杖で強く握りしめていた。

「……何なの。この感情は……」

 

ウェンディの気配を感じ、会いに行こうとして足が止まった。

そして今、ウェンディがナツたちに回収され、遠ざかっていくのを感じて、胸が張り裂けそうなほど痛む。

400年もの間、忘却の彼方に捨て去ったはずの「母性」。

それが、皮肉にも「失敗作」と断じた少女によって呼び覚まされていた。

 

「認めない……。私は、私は……ッ!」

 

アイリーンの心が乱れる。

その精神の動揺は、彼女が維持していた超広域魔法に直接的な影響を及ぼした。

 

ズズズズズズズ……ッ!!

 

大地が鳴動する。

フィオーレ全土を覆っていた緋色の光が明滅し、歪み始める。

 

「ユニバースワンが……解ける!?」

アイリーンがハッとして空を見上げる。

集中力が途切れたのだ。

再構築された世界が、パズルのピースが崩れるように、あるべき場所へと戻ろうとしている。

「……チッ。まあいいわ。どうせナツ・ドラグニルたちはもう城の近くまで来ていたもの」

 

アイリーンは乱れた呼吸を整え、冷たい仮面を被り直した。

だが、その瞳の奥にある揺らぎまでは、消すことができなかった。

 

カッッッ!!!!

強烈な閃光と共に、世界が元に戻る。

 

気がつけば、ナツたちは見慣れたマグノリアの森の中にいた。

目の前には、半壊したままの「妖精の尻尾(フェアリーテイル)」のギルド建物がある。

「戻った……のか?」

ナツが周囲を見回す。

「ああ。アイリーンの魔法が解けたようだ。……理由はわからんがな」

エルザが、腕の中のウェンディを抱え直す。

 

ウェンディは、世界が変わる衝撃にも反応しなかった。

ただ虚空を見つめ、ぐったりとしている。

「急ごう! 医務室へ!」

ギルドの地下、臨時の医務室。

ベッドに横たえられたウェンディを、重苦しい空気が包んでいた。

「……傷は塞がった。だが、魂が戻ってこない」

ポーリュシカが悲痛な面持ちで首を振る。

「この子は、自分の殻に閉じこもっている。……外の世界を拒絶してな」

ルーシィが涙を堪えて話しかける。

「ウェンディ……聞こえる? 私よ、ルーシィよ」

ジュビアも手を握る。

「ジュビアです。……温かいお茶、淹れましょうか?」

ミラジェーンが優しく髪を撫でる。

「怖くないわよ。ここはあなたの家なのよ」

 

しかし、反応はない。

瞬き一つしない。

彼女の世界には、アイリーン以外の人間は存在しないかのように。

「くそっ……! なんでだよ!」

ナツが壁を殴る。

「体はここにあるのに! なんで心だけあいつの所に行っちまうんだよ!」

その時。

ギルドの扉が激しく開かれた。

 

「――どきなさいッ!!」

 

鋭い声と共に、一人の少女が飛び込んできた。

包帯だらけの身体。松葉杖をついているが、その瞳は燃えている。

「蛇姫の鱗(ラミアスケイル)」の天空の滅神魔導士、シェリア・ブレンディだ。

「シェリア!?」

リオンが支えようとするが、彼女はそれを振り払ってウェンディの元へ歩み寄る。

「ハルジオンでやられた傷が、まだ痛むわ。……あんたの風、すっごく痛かったんだから」

シェリアはウェンディのベッドの横に立つ。

そして、虚ろな目をしたかつての敵(とも)を見下ろした。

「……ねえ。私のこと、忘れたなんて言わせないわよ」

ウェンディは無反応だ。

シェリアは唇を噛み締め、ウェンディの胸倉を掴んで無理やり引き起こした。

「おい、やめろシェリア!」

グレイが止めようとするが、シェリアは叫んだ。

 

「あんたは私に勝ったんでしょ!? だったら、胸張って生きなさいよ!」

シェリアの目から涙が溢れる。

「『友達になれたかもしれない』って私が言った時、あんたは私をゴミみたいに見た! ……でもね、私には聞こえたのよ! あんたの風の音が!」

シェリアは自分の額を、ウェンディの額にゴツンと押し付けた。

ナツがやったような暴力的な頭突きではない。

魂と魂を繋ぐための、祈りのような接触。

「寂しいんでしょ? 誰かに愛されたいんでしょ? ……あの女(アイリーン)じゃなきゃダメなの? 私達じゃダメなの!?」

 

シェリアの魔力が、ウェンディへと流れ込む。

同系統の天空魔法。

だが、ウェンディのそれが「冷たい竜の風」なら、シェリアのそれは「温かい人の風」。

「思い出してよ……! あんたが笑ってた過去を! 想像してみてよ……! 私たちが友達になれた未来を!」

 

その熱が、ウェンディの閉ざされた心の扉をノックした。

アイリーンという絶対的な存在の影に隠れていた、小さな、本当に小さな「ウェンディ自身の願い」が、微かに震えた。

 

「……あ……」

 

ウェンディの喉が動いた。

焦点の合っていなかった瞳が、わずかに揺らぎ、目の前のピンク髪の少女を捉えた。

 

「……シェ……リ……ア……?」

 

蚊の鳴くような声。

しかし、それは確かに彼女自身の意志で紡がれた言葉だった。

「! ……そうよ! シェリアよ!」

シェリアが泣き笑いの顔で頷く。

 

ウェンディの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

それは「マザー」を求めて流す涙とは違う。

自分を求めてくれる「友」の温かさに触れて流す、再生の涙だった。

 

しかし、その光はまだあまりにも弱い。

アイリーンの呪縛を解くには、まだ何かが足りない。

そして、世界が元に戻ったということは、あの「緋色の絶望」がすぐそこまで迫っていることを意味していた。

 




次回、「第16話:緋色の来訪者、動かぬ人形」
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