マグノリアの森にある仮設ギルド。
シェリアの必死の呼びかけにより、ウェンディの瞳に微かな光が戻りかけた、その時だった。
ズズズズズ……ッ。
空気が軋む音がした。
森の鳥たちが一斉に飛び立ち、風がピタリと止む。
肌にまとわりつくような、濃密で禍々しい緋色の魔力。
「……来た」
エルザが震える手で剣の柄を握る。
ナツもまた、全身の毛が逆立つのを感じていた。
間違いない。この重圧感。この絶望の匂い。
「あら。ずいぶんと賑やかね」
ギルドの壊れた扉の向こうから、杖の音が響く。
コツン、コツン。
現れたのは、緋色の髪をなびかせた、美しくも恐ろしい魔女――アイリーン・ベルセリオン。
「アイリーン……ッ!」
ナツが牙を剥く。
グレイ、ジュビア、リオン、そしてシェリア。全員がウェンディを守るように陣形を組む。
「私の娘を返してもらうわ」
アイリーンは優雅に微笑んだ。
だが、その目は笑っていない。
ウェンディが自分以外の人間(シェリア)に涙を見せたことへの、隠しきれない苛立ちが滲んでいる。
「ふざけんな! ウェンディはお前の道具じゃねえ!」
ナツが叫ぶ。
「返せだと? 笑わせるな! お前が捨てたんじゃないか!」
「ええ、捨てたわ。……でも、気が変わったの」
アイリーンは悪びれもせず告げた。
「壊れた玩具でも、手元に置いておきたくなる夜もあるのよ。……さあ、おいでウェンディ」
アイリーンが手を差し伸べる。
その手を見た瞬間。
ドクン。
ベッドの上のウェンディの心臓が跳ねた。
「……あ……」
ウェンディの瞳から、シェリアを見ていた時の温かい光が消え、再び焦点の定まらない虚ろな色が戻る。
マザーだ。マザーが迎えに来てくれた。
捨てられたんじゃなかった。気が変わったと言ってくれた。
それだけで十分だった。
「マ……ザー……」
ウェンディは、ボロボロの体を引きずるようにして、ベッドから這い降りようとした。
「ウェンディ!?」
シェリアが驚いて肩を掴む。
「ダメよ! 行っちゃダメ! あの女の所に行ったら、あんたは本当に壊れちゃう!」
「……はな……して……」
ウェンディの声は掠れ、震えていた。
行きたい。あの緋色の揺り籠へ。
あそこだけが、私の居場所。あそこだけが、罪人の私を許してくれる。
ズリッ。
ウェンディはベッドから転がり落ちた。
這ってでも行こうとする。
しかし、身体が言うことを聞かない。
ナツに砕かれた鱗のダメージ、精神崩壊による麻痺、そしてシェリアの呼びかけによって生じた「迷い」。
それらが鎖となり、彼女の手足を縛り付けていた。
「う……うぅ……動かない……」
ウェンディは地面に爪を立て、涙を流した。
「マザー……ごめんなさい……行けない……体が……」
その姿は、あまりにも惨めだった。
ナツたちの目には、洗脳された被害者にしか見えない。
だが、アイリーンにはわかっていた。
あの子は、心底自分を求めているのだと。
「……可哀想な子」
アイリーンは杖を振るった。
「邪魔な壁があるから来られないのね。……なら、掃除してあげる」
ドォォォォンッ!!
衝撃波が放たれる。
ナツたちが吹き飛ばされる。
「全員、消えなさい」
アイリーンが宙に舞う。
圧倒的な魔力。スプリガン12最強の女が、本気で「娘」を奪還しようとしていた。
「させるかァッ!!」
ナツが炎を纏って飛び出す。
「エルザ! グレイ! あいつを止めるぞ!」
「ああ! 」
エルザが「金剛の鎧」でアイリーンの魔法を防ぐ。
グレイが氷の壁を作る。
激しい戦闘が始まった。
その中心で、ウェンディは這いつくばったまま、泣きじゃくっていた。
「やめて……やめて……」
彼女の叫びは、自分を守ろうとするナツたちへの感謝ではない。
マザーを傷つけないで、という懇願だった。
けれど、声が出ない。体が動かない。
ただ無力な人形として、愛する「母」と、かつての「家族」が殺し合う光景を見せつけられる地獄。
「マザー……」
彼女の伸ばした手は、空を掴むだけ。
その指先はまだ、緋色の裾には届かない。
次回、「第17話:竜の女王、堕ちる時」