マグノリアの森。
緋色の魔力が渦巻く戦場で、戦いの火蓋が切られた。
「いくぞエルザ! 遅れるなよ!」
「ああ! 合わせろナツ!」
ナツとエルザが同時に飛び出す。
左右からの挟撃。
ナツは「炎竜王の崩拳」、エルザは「煉獄の鎧」による破壊の一撃。
「『分離付加(エンチャント)・炸裂』」
アイリーンが優雅に杖を一振りする。
ただそれだけで、ナツとエルザの間の空間が爆ぜた。
「ぐわぁっ!?」
「きゃああっ!」
二人は攻撃が届く前に吹き飛ばされる。
直撃ではない。空間そのものに「爆発」という概念が付加され、不可視の地雷原のように二人を襲ったのだ。
「甘いわね。……私の領域に踏み込むなら、それなりの礼儀を弁えなさい」
アイリーンは一歩も動かず、冷ややかな視線を送る。
「氷魔……零ノ太刀!!」
死角からグレイが飛び込む。
漆黒の氷の刃。悪魔狩りの力がアイリーンの首を狙う。
同時に、リオンとジュビアも魔法を放つ。
「『氷竜(アイス・ドラゴン)』!!」
「『水流斬破(ウォーター・スライサー)』!!」
三方向からの魔法攻撃。
しかし、アイリーンはあくびを噛み殺すように左手をかざした。
「『状態付加(エンチャント)・蒸発』」
シュゥゥゥゥゥ……ッ!!
グレイの氷も、リオンの造形も、ジュビアの水も、アイリーンに触れる寸前で瞬時に白い蒸気へと変わった。
氷の硬度も、水の質量も無視した、物理法則の書き換え。
「なっ……! 俺の滅悪魔法まで分解されただと!?」
グレイが驚愕する。
「属性など関係ないわ。……全ての物質、全ての大気、全ての魔力に、私は新たな『意味』を与えることができる。それが付加術(エンチャント)よ」
アイリーンが杖を地面に突く。
「『地形付加(エンチャント)・マグマオーシャン』」
ドロリ。
森の地面が一瞬にして灼熱の溶岩へと変貌した。
「うわあぁぁぁっ!?」
「きゃあああっ!」
足場を失ったシェリアやルーシィたちが悲鳴を上げる。
ウェンディは這いつくばっていた岩場だけが奇跡的に無事だったが、周囲は火の海だ。
「空だ! 飛べハッピー!」
「あいっ!」
ナツがハッピーに掴まり、空からアイリーンを狙う。
「逃げ場はねえぞ! 『炎竜王の……咆哮ォォォッ!!』」
極大の炎のブレス。
だが、アイリーンは杖の先で空中に魔法陣を描いた。
「『賢竜の瞳(ベルセリオン・アイ)』」
カッッッ!!!!
空中に巨大な眼球が出現し、ナツの咆哮を真正面から受け止める――いや、「食べた」。
炎が眼球に吸い込まれ、消滅する。
「ごちそうさま。……少し焦げ臭いけれど」
「俺の炎を……食った!?」
ナツが呆然とする。
「絶望したかしら? 人間たち」
アイリーンは溶岩の海の上に浮遊し、圧倒的な強者の笑みを浮かべた。
「お前たちの魔法は、所詮はお遊戯。……400年を生きた私の『理(ことわり)』の前では、無に等しい」
強すぎる。
スプリガン12の中でも別格。
魔法の規模、精度、そして魔力量。全てにおいて次元が違う。
エルザが「天輪の鎧」に換装し、無数の剣を展開するが、その剣すらも空中で花びらに変えられて散っていく。
「くっ……! 近づくことさえできないのか……!」
アイリーンは、地面に蹲るウェンディに視線を移した。
その目は、戦士を見る目ではなく、愛しいペットを見る目だった。
「さあ、邪魔者は片付けたわ。……おいで、ウェンディ」
アイリーンが手招きする。
「……マ……ザー……」
ウェンディが涙を流しながら、溶岩の熱に焼かれそうになりながらも、その手を取ろうと手を伸ばす。
「行かせねぇぞォォォッ!!」
ナツが無理やり突っ込む。
溶岩の熱などお構いなしに、アイリーンの懐へ。
「『紅蓮……爆炎刃ンンンッ!!』」
ドォォォォンッ!!
爆炎がアイリーンを包む。
やったか?
煙が晴れる。
そこには、無傷のアイリーンが立っていた。
障壁すら張っていない。
ただ、ナツの腕を「素手」で掴み、止めていた。
「……鬱陶しいハエね」
アイリーンの瞳が、爬虫類のように縦に裂けた。
「私の娘に触れるなと言ったでしょう?」
バキィッ!!
「ぐあぁっ!?」
アイリーンの蹴りがナツの腹にめり込む。
人間離れした膂力。
ナツは弾丸のように吹き飛び、森の木々を数十本なぎ倒してようやく止まった。
「ナツ!!」
エルザが叫ぶ。
「……もういいわ。遊びは終わり」
アイリーンの全身から、緋色のオーラが噴き出した。
それは今までとは質の違う、原始的で、凶暴な「竜」の気配。
「人間如きが、調子に乗るんじゃないわよ」
彼女の美しい肢体が膨張し、緋色の鱗に覆われ、巨大な翼が空を覆い隠す。
それは、ウェンディの未熟な竜化とは次元の違う、本物の「竜」の威容だった。
『賢竜アイリーン・ベルセリオン。……これぞ、私の真の姿』
ゴオオオオオオオッ!!
哮だけで森の木々がなぎ倒される。
人型ですら圧倒的だった絶望が、さらに形を変えて彼らを押しつぶす。
地面に這いつくばっていたウェンディは、その姿を涙で見つめていた。
(美しい……マザー……)
(あんな強くて美しい方が……私なんかのために……)
ウェンディは恐怖よりも、恍惚とした感情に支配されていた。
自分を捨てた母が、自分を取り戻すために本気を出してくれた。その事実だけで、彼女の壊れた心は満たされていた。
『消えなさい、羽虫ども』
巨大な竜が空へ吼える。
宇宙の深淵から、一つの星が引き寄せられる。
『極限付加術(マスター・エンチャント)・デウス・セマ』
雲が割れ、巨大な隕石が顔を覗かせた。
それは城塞都市よりも大きく、落ちればフィオーレ全土が消滅するほどの絶望の塊。
「う、嘘だろ……?」
グレイが空を見上げて絶句する。
「こんなの……どうやって防ぐんだよ……」
全員が死を覚悟した。
だが、ただ一人、緋色の髪の女騎士だけは違った。
「……防ぐ必要はない。斬ればいい」
エルザ・スカーレット。
彼女は片足が折れていようと、右腕一本しか動かなかろうと、剣を握りしめていた。
「エルザ!?」
「ナツ! 私が道を切り開く! お前はアイリーンを叩け!」
ドォンッ!!
エルザが空へ飛び出す。
迫りくる隕石に向かって、たった一人で。
「うおおおおおおおおおおっ!!!!」
魔力を解放する。
母への怒りではない。妹分(ウェンディ)を救いたいという、純粋な愛の力。
「私はお前の娘じゃない! 妖精の尻尾(フェアリーテイル)のエルザだァァァッ!!」
一閃。
エルザの剣が、隕石の核を捉えた。
パキィィィンッ……!!
巨大な隕石に亀裂が走り、次の瞬間、粉々に砕け散った。
『な……っ!?』
賢竜アイリーンが、驚愕に目を見開く。
『人の身で……星を斬ったというの……!?』
その隙を、炎の滅竜魔導士が見逃すはずがなかった。
「今だァァァァァッ!!!」
隕石の破片を足場に、ナツが空へ駆け上がる。
右腕に、イグニールから託された全ての炎を込めて。
「アイリーンンンンンッ!!」
『小僧ォォォッ!!』
アイリーンが迎撃しようとするが、隕石破壊の衝撃で動きが鈍っている。
「これが家族の力だァッ!! 『炎竜王の……崩拳ンンンンッ!!』」
ドゴォォォォォォォォォォォッ!!!!!
ナツの拳が、賢竜の腹部に直撃した。
圧倒的な熱量が、竜の鱗を貫通し、巨体を地面へと叩き落とす。
ズズズゥゥゥゥンッ!!!!!
巨大なクレーターができ、土煙が舞う。
変身が解けたアイリーンが、人間の姿に戻って倒れていた。
杖は折れ、緋色のドレスは汚れ、口から血を流している。
「あ……が……」
アイリーンが震える手で地面を掴む。
負けた。
この私が。竜の女王である私が。人間ごときに。
「終わりだ、アイリーン」
ナツが炎を纏ったまま、ゆっくりと近づく。
その目には殺気はないが、決して引かない強い意志があった。
ウェンディを解放するため。この歪んだ連鎖を断ち切るため。
トドメの一撃を放とうと、拳を振り上げた。
「ナツ、待て!」
エルザが叫ぶが、もう遅い。
ナツの拳が振り下ろされる。
その瞬間だった。
ザッ。
ナツの拳が、寸前で止まった。
いや、止められたのではない。
アイリーンの前に、小さな影が飛び出してきたからだ。
「……え?」
ナツの目が点になる。
アイリーンもまた、信じられないものを見るように目を見開いた。
そこに立っていたのは、ウェンディだった。
全身包帯だらけ。
右半身の鱗はなくなり、火傷の痕が痛々しい。
足は震え、立っているのがやっとの状態。
先ほどまで、指一本動かせず、這いつくばって泣いていたはずの少女。
それが今、両手を広げ、アイリーンを背に庇って立っていた。
「……ウェンディ……?」
ナツの声が震える。
「どけ……。そいつはお前を……!」
「……や……め……て……」
ウェンディは、焦点の合わない瞳でナツを見据えていた。
その目からは、絶え間なく涙が溢れている。
怖い。
ナツが怖い。痛いのが怖い。
けれど、それ以上に「マザーがいなくなること」が何よりも怖かった。
「マザーを……いじめるな……ッ!!」
悲痛な叫びと共に、ウェンディの体から微弱な風が吹き荒れる。
それは攻撃魔法ですらない。
ただの拒絶の風。
「ウェンディ……お前……動けなかったはずじゃ……」
グレイが呆然と呟く。
そう、動けなかったはずだ。
心も体も壊れていたはずだ。
それを突き動かしたのは、奇跡でも希望でもない。
ただひたすらに歪で、純粋すぎる「愛」だった。
「どうして……?」
背後のアイリーンが、掠れた声で問うた。
「なぜ私を庇うの……? 私はお前を捨てたのよ……? 道具だと……」
ウェンディは振り返らなかった。
ただ、背中で語るように、震える声で答えた。
「……マザーは……私の……全部だから……」
その言葉は、ナツの拳よりも重く、アイリーンの胸を貫いた。
最強の竜の女王が、初めて言葉を失った。
振り上げられたナツの拳。
盾となった虚ろな少女。
そして、その背中を見つめる敗北した母。
戦いは決着したが、物語はまだ終わらない。
この歪んだ愛の結末を、誰かが裁かねばならなかった。
次回、「第18話:緋色の終焉、最後の魔法」