緋に染まる天空   作:暁 蒼空

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第19話:喪失の雨、再会の光

マグノリアの空から、ポツリ、ポツリと雨が落ちてきた。

 

それは、戦火に焼かれた大地を冷まし、流された血を洗い流すための、天の涙のようだった。

「うあぁぁぁぁぁぁぁ……! マザー……! マザー……!」

ウェンディの泣き声だけが、雨音に混じって響いていた。

彼女はアイリーンの亡骸を抱きしめたまま、離れようとしなかった。

アイリーンの身体から体温が失われていく。

かつて世界を震え上がらせた「緋色の絶望」は、今はただの静かな女性の顔をして眠っていた。

 

「……ウェンディ」

エルザが静かに歩み寄る。

彼女もまた、実の母の死を目の当たりにし、複雑な感情を抱いていた。

愛された記憶はない。捨てられた恨みもある。

けれど、最期に彼女は、自分とウェンディを守るために命を絶った。

 

「もう……逝かせてやるんだ」

エルザがウェンディの肩に手を置く。

ウェンディは激しく首を振った。

「イヤです……! 離したくない……! 私が……私が弱かったから……マザーは……!」

「違う。……あの方は、お前を生かしたかったのだ」

エルザは、アイリーンの死に顔を見つめ、短く告げた。

「さようなら、母さん。……貴女は、不器用すぎる」

その言葉は、初めてエルザがアイリーンを「母」と呼んだ瞬間だった。

 

ナツは、少し離れた場所で空を見上げていた。

雨が顔を濡らす。

拳に残る感触。ウェンディを殴れなかった拳。

「……終わったんだな」

ナツが呟くと、後ろから足音がした。

シェリア、グレイ、そしてシャルルたちが駆けつけてきたのだ。

 

「ウェンディ!」

シャルルが叫び、ウェンディの元へ飛び込む。

「ウェンディ……! 無事なのね……!」

シャルルの声に、ウェンディが顔を上げた。

 

その瞳。

かつて宿っていた狂気や、焦点の合わない虚ろさは消えていた。

アイリーンの最期の魔法が、彼女の精神を繋ぎ止めたのだ。

あるのは、深い悲しみと、正気を取り戻した故の激しい後悔。

 

「シャルル……」

ウェンディの声が震える。

「私……みんなに……酷いことを……」

記憶は鮮明だった。

ナツを傷つけたこと。エルザを罵倒したこと。シェリアを拒絶したこと。

そして、イグニールを殺したという罪悪感から逃げるために、アイリーンという「安らぎ」に逃げ込んだ自分の弱さ。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

ウェンディは子供のように謝り続けた。

自分の犯した罪の重さに押しつぶされそうになっていた。

「バカね」

シェリアが、泥だらけのままウェンディを抱きしめた。

「あんたが生きてれば、それでいいのよ。……謝るくらいなら、生きて償いなさいよ!」

 

「ウェンディ」

ナツが近づき、彼女の前にしゃがみ込んだ。

その表情は、いつもの悪戯っぽい笑顔ではなく、頼れる兄の顔だった。

 

「立てるか?」

ウェンディはアイリーンの服の裾を握りしめ、躊躇った。

この場所(マザーの傍)を離れるのが怖かった。

「……行かなきゃダメですか? マザーを一人にして……」

「あいつはもう、一人じゃねえよ」

ナツは、静かに眠るアイリーンを見た。

「お前の心の中にいるんだろ? ……だったら、お前が生きている限り、あいつも一緒に生きてる」

 

その言葉に、ウェンディの目からまた涙が溢れた。

でも今度は、絶望の涙ではなかった。

前を向くための、決別の涙。

 

「……はい」

ウェンディは、震える足で立ち上がった。

右半身の鱗はもうない。

ただ、火傷のような傷跡と、アイリーンとお揃いの緋色の軍服だけが、彼女が過ごした「1年」の証として残っていた。

 

「帰りましょう」

シャルルが涙を拭いて言う。

「私たちのギルドへ」

 

ウェンディは、最後に一度だけアイリーンを振り返り、深く頭を下げた。

「ありがとう……マザー。……大好きでした」

雨が上がり、雲の隙間から夕日が差し込む。

その光は、傷ついた少女と、彼女を支える仲間たちを優しく照らした。

 

しかし。

この安息は、束の間のものに過ぎなかった。

 

ドクン。

ナツの心臓が、嫌な音を立てた。

ウェンディも、ガジルも、その場にいた滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)全員が、空を見上げて戦慄した。

風が変わった。

雨上がりの清浄な空気が、一瞬にして濃密な「死」の匂いに塗り替えられる。

 

「なんだ……この魔力は……?」

エルザが警戒を強める。

空の彼方から、黒い影が迫っていた。

それはアイリーンなど比較にならない、正真正銘の「絶望」。

全ての竜を喰らい尽くす、竜の王。

 

『我が名はアクノロギア……』

 

最悪の来訪者が、マグノリアの空に降り立とうとしていた。

 




次回、「第20話:黒き翼、終焉の咆哮」
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