雨上がりの空が、一瞬にして鉛色に染まった。
肌を突き刺すような、重く、禍々しい魔力。
それは、ゼレフやアイリーンですら比較にならない、生物としての格の違いを見せつけるプレッシャーだった。
「……なんだ、これ……?」
ナツの膝が震える。
恐怖ではない。本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らしているのだ。
ドォォォォォォンッ!!!!!
轟音と共に、アイリーンの亡骸のすぐそばに、何かが落下した。
土煙が晴れると、そこには一人の男が立っていた。
黒いマント。褐色の肌。そして、全ての生命を見下す冷酷な瞳。
「……竜のにおいが消えたと思えば。死んだか」
アクノロギア。
竜の王が、無造作にそこに立っていた。
「ア……ア……」
ウェンディの瞳孔が開く。
身体が石のように固まる。
天狼島での記憶。冥府の門での絶望。
イグニールを殺し、世界中の竜を滅ぼした、絶対的な死の象徴。
「アクノロギア……!」
エルザが剣を構えるが、切っ先が震えて定まらない。
あまりの魔力差に、身体が竦んで動かないのだ。
アクノロギアは、ナツたちになど目もくれず、足元のアイリーンの遺体を見下ろした。
「賢竜アイリーン・ベルセリオン。……竜の女王などと名乗っていたが、所詮は人間崩れか。興醒めだ」
男はつまらなそうに鼻を鳴らすと、右足を上げた。
アイリーンの顔を踏みつけようとしたのだ。
「……やめて」
蚊の鳴くような声。
しかし、アクノロギアの動きは止まらない。
「やめてェェェッ!!!!」
ウェンディが絶叫した。
恐怖で震える足で、地面を蹴った。
ナツたちが反応するよりも速く、彼女はアイリーンの遺体に覆いかぶさった。
ドンッ!!
アクノロギアの足が止まる。
踏みつけたのはアイリーンではない。
彼女を庇った、ウェンディの背中だった。
「ぐ……ぅぅ……ッ!」
ウェンディが呻く。
ただ踏まれただけではない。圧倒的な質量と魔力が、彼女の内臓を押し潰そうとしている。
「ほう」
アクノロギアが、初めてウェンディに興味を示した。
「滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)か。……しかも、この死体と同じ、不快な緋色のにおいがする」
「どけよッ!! アクノロギアァァァッ!!」
ナツが炎を纏って殴りかかる。
「『炎竜王の……崩拳ンンッ!!』」
バシィッ!!
アクノロギアはウェンディを踏みつけたまま、裏拳一発でナツを吹き飛ばした。
「がはっ……!?」
ナツは数キロ先の山まで弾き飛ばされ、岩盤にめり込んだ。
「ナツ!!」
エルザとグレイが同時に動くが、アクノロギアの咆哮だけで弾き返される。
「『我は竜の王……羽虫が囀るな』」
圧倒的すぎた。
アイリーンとの死闘で疲弊した彼らに、勝ち目は万に一つもなかった。
「……娘か?」
アクノロギアは、足元のウェンディを見下ろした。
「この女の死体を守るために、我が足の下に入るとはな。……滑稽だ」
「……マザーを……汚すな……」
ウェンディは血を吐きながら、アクノロギアの足を両手で掴んだ。
爪が剥がれそうになるほど強く。
「マザーは……立派な竜でした……。貴方なんかより……ずっと、ずっと気高い……!」
「気高い? 竜に気高さなどない」
アクノロギアの目に、残虐な光が宿る。
「あるのは破壊のみ。……消え失せろ、滅竜魔導士」
彼が足に力を込める。
ウェンディの背骨が悲鳴を上げる。
死ぬ。
今度こそ、本当に潰される。
その時。
ウェンディの体から、淡い緋色の光が溢れ出した。
キィィィィィン……ッ!!
「ぬ?」
アクノロギアが僅かに足を浮かせた。
それは、ただの魔力防御ではない。
ウェンディの周囲の空間座標を書き換え、重力を反転させ、物理的な干渉を拒絶する超高等魔法。
「『高位付加(ハイ・エンチャント)・絶対防御(デウス・シールド)』……!?」
エルザが驚愕する。
それはウェンディが使えるはずのない、アイリーンの十八番だった。
「私が……守る……」
ウェンディがゆらりと立ち上がる。
彼女の髪色が、一時的に緋色に輝いていた。
アイリーンが最期に残した「精神修復」の魔法。それには、彼女の膨大な知識と魔力の一部が含まれていたのだ。
「マザーがくれた命……マザーが残した力……! こんな奴に、消させてたまるもんですかッ!!」
ウェンディが空を睨みつける。
その瞳は、竜の王を前にしても、もう逃げなかった。
「……面白い」
アクノロギアが獰猛に笑った。
「賢竜の残り香か。……ならば、その力ごと喰らい尽くしてやる!」
ゴオオオオオオオッ!!
アクノロギアの腕が竜の鉤爪へと変化する。
「みんな、下がっててください!!」
ウェンディが叫ぶ。
彼女は両手を広げ、巨大な魔法陣を展開した。
風と、緋色の魔力が混ざり合う、新たな滅竜魔法。
「私が……ここで食い止めます!!」
恐怖に震えながらも、少女は王に牙を剥く。
亡き母の尊厳と、生ける家族の未来を守るために。
次回、「第21話:継承されし緋色、空への反撃」