プロローグ:完璧な「妹」の演技
マグノリアの街に、眩しいほどの朝日が差し込んでいた。
妖精の尻尾(フェアリーテイル)のギルドホールは、今日も今日とて賑やか──いや、騒がしいほどの活気に満ちている。
「うおおおお! 燃えてきたぞォ!!」
「うるせえナツ! 朝から暴れるな!」
「あーい! 二人とも仲良く喧嘩してねー」
いつもの風景。いつもの仲間たち。
その中心で、ウェンディ・マーベルはニコニコと微笑みながら、傷ついた仲間の手当てをしていた。
「もう、ナツさんったら。また怪我して……。じっとしててくださいね」
ウェンディの手から、柔らかな天空の光が溢れる。
ナツの擦り傷がみるみる塞がっていく。
「おーっ! サンキューなウェンディ! お前の魔法はすげえや! めっちゃ元気になる!」
ナツがニカっと笑い、ウェンディの頭をガシガシと撫でる。
ウェンディは、少し照れたように頬を赤らめ、首をすくめた。
「えへへ……。お役に立てて嬉しいです」
完璧だった。
照れる角度、声のトーン、瞳の揺らし方。
どこからどう見ても、ギルドのマスコットであり、愛されるべき妹分の姿だった。
(……簡単ですね)
ウェンディの心の中は、真冬の湖面のように冷え切っていた。
ナツの掌の温もりを感じながら、彼女は冷静に分析していた。
(人は、見たいものしか見ない。私が「良い子」でいればいるほど、誰も私の影を疑わない)
あの日、アイリーン・ベルセリオンの亡骸の前で誓ってから、数ヶ月。
ウェンディは以前よりも明るく、積極的になったと言われていた。
「マザーの死を乗り越え、成長した」と、誰もがそう解釈していた。
──違う。
乗り越えてなどいない。
ただ、目的のために「邪魔が入らない場所」を確保しただけだ。
「ウェンディ?」
不意に、鋭い視線を感じた。
相棒のシャルルだ。彼女だけは、時折ウェンディの様子を怪しむような素振りを見せる。
「どうしたのシャルル? 紅茶、淹れましょうか?」
ウェンディは瞬時に「優しい飼い主」の顔を作る。
「……ううん。なんでもないわ。最近、夜更かししてるみたいだけど、大丈夫?」
「あ、わかっちゃいました? 実は、新しい魔法の勉強が楽しくて……」
「無理は禁物よ。あなたは頑張りすぎるんだから」
「はい、気をつけます」
嘘ではない。
毎晩、魔法の勉強をしているのは事実だ。
ただし、それはシャルルが想像するような「人を癒やす魔法」などではなかった。
その日の深夜。
女子寮の自室。カーテンを閉め切り、ランプの明かりだけが灯る密室。
ウェンディは机の上に広げた古びた羊皮紙──ナツから譲り受けた闇ギルドの禁術書を、食い入るように見つめていた。
「……『魂魄の再定着』には、三つの触媒が必要……」
ウェンディは、小声で読み上げる。
一つ、対象の遺体の一部。
(これはある。マザーの髪の毛が)
一つ、対象とかつて強い魔力パスで繋がっていた者の血液。
(これも問題ない。エルザさんの血……あるいは、エンチャントで繋がっていた私の血でも代用できるはず)
そして、最後の一つ。
「……『竜の種』の活性化に必要な、大量の……『生命力(ライフ・フォース)』」
ウェンディの指が止まる。
そこには、残酷な事実が記されていた。
失われた強大な魂──ましてや「賢竜」クラスの存在を現世に呼び戻すには、等価交換として膨大な生命エネルギーが必要となる。
それは、ただ魔力を注げばいいというものではない。
もっと根源的な、命そのものを刈り取る行為。
「……誰かの命を、奪わなければならない」
普通なら、ここで諦めるだろう。
かつてのウェンディなら、恐怖で本を閉じていただろう。
だが、今の彼女は違った。
彼女は、ランプの灯りに照らされたガラス瓶──アイリーンの髪が入った瓶を見つめ、うっとりと瞳を細めた。
「大丈夫ですよ、マザー。……私は『妖精の尻尾(フェアリーテイル)』の魔導士です」
彼女は、羊皮紙の「生贄」と書かれた項目を、冷たい指先でなぞった。
「悪い人たち……闇ギルドや、魔物を倒して、その命を使えばいいんですよね? ……それなら、誰も文句は言いません」
「正義のために戦って、その結果としてマザーが戻ってくるなら……それは『善い行い』です」
歪んだ論理。
目的と手段が入れ替わり、狂気が正当化されていく。
ウェンディは立ち上がり、窓を開けた。
夜風が吹き込む。
そこには、どこまでも広がる自由な空があった。
しかし、彼女にはその空が、自分を閉じ込める檻にしか見えなかった。
「待っていてください。……もうすぐ、自由にしてあげますから」
ウェンディは微笑んだ。
月明かりの下、その影だけが、巨大な竜の形をして揺らめいているように見えた。
光の仮面を被った少女が、禁忌の扉に手をかける。
愛する母を地獄から引きずり上げるためなら、彼女は自ら天使の羽をもぎ取り、堕天することも厭わない。
次回、「第1話:代償の血、狩りの時間」