深夜の女子寮。
ウェンディは苛立ちを隠せない様子で、机をバン! と叩いた。
「……ダメ。これじゃ足りない」
目の前には、ナツから貰った羊皮紙が広げられている。
そこには『魂の定着』に関する術式が記されているが、肝心な部分が古びて擦り切れ、解読不能になっていたのだ。
――『魂を器に縫い止めるには、■■■の楔が必要である』
「楔(くさび)……? 触媒の髪の毛と血だけじゃ、魂がすぐに霧散してしまうってことですか?」
ウェンディは爪を噛んだ。
数百人分の生命力(ライフ・フォース)を集めて器を作っても、そこに呼び戻したマザーの魂が定着しなければ、またすぐに失ってしまう。
二度目の喪失なんて耐えられない。
「もっと……もっと詳しい知識が必要です」
彼女の脳裏に、先日「狩った」闇ギルドの男が、命乞いと共に吐いた言葉が蘇る。
『た、頼む! 命だけは! ……そうだ、いいことを教えてやる! 西の荒野にある古城の跡地……あそこには、評議院も手出しできなかった「悪魔の心臓(グリモアハート)」の隠し書庫があるって噂だ!』
ウェンディは立ち上がり、黒いローブを羽織った。
迷っている時間はない。
フィオーレ王国西部、風鳴りの荒野。
草木も生えない荒涼とした大地に、朽ち果てた古城の廃墟がそびえ立っていた。
かつて最強の闇ギルドの一角が拠点としていた場所の一つ。
ヒュンッ。
夜空から一人の少女が降り立つ。
ウェンディだ。アイリーンの付加術で飛行能力を強化し、数日の距離をわずか数時間で踏破したのだ。
「……ここですね」
廃墟の入り口には、厳重な術式結界が張られていた。
普通なら解除に数日かかる高レベルな魔法障壁。
しかし、今の彼女にとっては、薄いガラスも同然だった。
「『分離付加(エンチャント)・術式解体』」
パリンッ。
ウェンディが杖で突くと、結界は呆気なく砕け散った。
彼女は冷たい目で足を踏み入れる。
地下へと続く螺旋階段。
カビと埃、そして濃密な闇の魔力の匂い。
最下層には、膨大な数の魔導書が乱雑に積み上げられた書庫が広がっていた。
「……すごい。これなら、答えがあるかも」
ウェンディは書棚を漁り始めた。
『煉獄の七眷属』の研究記録、『失われた魔法(ロスト・マジック)』の概論、そして『ゼレフ書』の写本。
禁忌の知識の宝庫だ。
その時。
背後から、しわがれた声が響いた。
「――おやおや。迷い込んだネズミかと思えば……妖精の尻尾(フェアリーテイル)の小娘ではないか」
「ッ!?」
ウェンディが振り返り、即座に杖を構える。
闇の奥から浮かび上がったのは、半透明の老人――いや、魔力で構成された『思念体』だった。
眼帯をした、長い髭の男。
かつての「悪魔の心臓」マスター、ハデス(プレヒト)の残留思念が、書庫の番人として具現化していたのだ。
「ハデス……!」
天狼島での恐怖が蘇る。
だが、ウェンディは震える足を叱咤し、睨み返した。
「……邪魔をするなら、消します」
「ほほう?」
ハデスの思念体は、面白そうに目を細めた。
「以前とは随分と雰囲気が変わったな。……その魔力、その瞳。光のギルドの者とは思えん。まるで深淵を覗き込んだ者のようだ」
ハデスはウェンディの周囲に漂う、数百人分の「奪った生命力」の残滓を嗅ぎ取っていた。
「何を求めてここへ来た? 力か? 永遠か?」
「……蘇生術です」
ウェンディは短く答えた。
「大切な人を……マザーを生き返らせるための、完全な術式が欲しい」
「クックックッ……」
ハデスが喉を鳴らして笑った。
「死者蘇生だと? ゼレフですら手を焼き、我が生涯をかけて追い求めた『大魔法世界』の鍵。……それを、お前ごとき小娘が?」
「できます!」
ウェンディが叫ぶ。
「私には……賢竜アイリーンの知識があります。器も、エネルギーも用意しました。あとは『魂の楔』だけなんです!」
「アイリーンだと? ……なるほど、あの『緋色の絶望』の力か」
ハデスは納得したように頷いた。
そして、試すような視線を送る。
「いいだろう。知識を授けてやる。……ただし、代償が必要だ」
「代償……?」
「その術を完成させるには、術者自身の『最も清らかな部分』を汚さねばならん。……お前は、光を捨て、二度と戻れぬ修羅の道を歩む覚悟があるか?」
ウェンディは、一瞬だけマグノリアのギルドの風景を思い出した。
ナツの笑顔、シャルルの心配そうな顔。
それらは、あまりにも眩しく、そして遠い。
彼女は、懐のガラス瓶を強く握りしめた。
「……光なんて、いりません」
ウェンディはハデスの目を真っ直ぐに見据えた。
その瞳は、もはや「巫女」のものではない。「魔女」の瞳だった。
「マザーがいない世界なら、私が闇になります。……だから、教えてください」
ハデスの思念体は、満足げに嗤った。
「見事だ。……妖精(フェアリー)が堕ちる様、実に愉快。持っていくがいい、禁断の秘術を」
ハデスが指を弾くと、一冊の黒い装丁の本がウェンディの手元に飛んできた。
『魂魄定着理論・改』。
「魂を繋ぎ止める楔。……それは『強い未練』と、術者自身の『寿命』だ」
「寿命……」
「お前の時間を削り、死者に分け与えるのだ。……さあ、行け。堕ちた妖精よ」
ハデスの笑い声と共に、思念体は霧散して消えた。
残されたのは、禁断の書と、引き返せない一線を越えた少女だけ。
ウェンディは本を抱きしめた。
寿命? そんなもの、いくらでも差し出す。
50年でも、60年でも。
マザーともう一度話せるなら、明日死んだって構わない。
「ありがとうございます……」
ウェンディは廃墟を後にした。
夜明け前の空は、彼女の未来を暗示するように、どこまでも暗く、深く澱んでいた。
次回、「第4話:削られる命、完成する儀式」