――マグノリア近郊の森。
ドサッ。
巨大な魔獣バルカンが、老婆のように干からびて倒れた。
その身体から立ち上る青白い光の奔流を、ウェンディは無表情で魔水晶(ラクリマ)へと吸い込ませていた。
「……98、99……これで、100体目」
ウェンディは、満杯になって妖しく明滅する魔水晶を満足げに眺めた。
人間だけでなく、魔獣の命も刈り取った。
質より量。膨大な生命力(ライフ・フォース)の海が、手の中で渦巻いている。
「コホッ……コホッ……」
不意に、乾いた咳が出た。
ウェンディは口元を押さえる。
喉の奥がチリチリと焼けるように熱い。風邪? いや、天空の滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)が風邪など引くはずがない。
「……寿命の前借り、ですね」
ハデスの書庫で得た知識。『魂魄定着理論・改』。
術者自身の寿命を削り、それを「接着剤」として死者の魂を現世に繋ぎ止める。
その代償が、こうして身体機能の低下として表れ始めていた。
「コホッ……。別に、痛くもなんともないです」
ウェンディは咳き込みながらも、平然としていた。
自分の命が削れる音など、マザーの声が聞こえない静寂に比べれば、雑音にもならない。
翌日のギルド。
ウェンディは図書スペースで、古代文字の解読――に見せかけた、儀式の手順確認を行っていた。
「ケホッ、ケホッ……」
咳が止まらない。
喉の奥に、見えない棘が刺さっているようだ。
「ウェンディ、大丈夫?」
ミラジェーンが心配そうにハーブティーを持ってきてくれた。
「顔色が悪いわよ。少し休んだら?」
「あ、ありがとうございますミラさん。……コホッ、大丈夫です。ただの埃アレルギーみたいで……」
ウェンディは笑顔で誤魔化し、ティーカップを受け取る。
その様子を、少し離れた場所からシャルルが凝視していた。
その瞳は、もう「心配」の色を超え、「疑惑」と「恐怖」に染まっていた。
(……おかしい。今の咳、肺から変な音がしたわ。それに、あの魔導書……ナツが持ってきた時はあんな装丁じゃなかったはず)
シャルルは予知能力(未来視)を持つエクシードだ。
最近、ウェンディを見ると、不吉な映像がフラッシュバックするようになっていた。
崩れ落ちるウェンディ。
緋色の闇。
そして、邪悪な何かの復活。
シャルルは意を決して、ウェンディの元へ歩み寄った。
「ウェンディ。ちょっといいかしら」
「? なあに、シャルル」
ウェンディが振り返る。
その瞬間、シャルルは彼女が広げていた本のページを覗き込んだ。
――『生贄の儀』、『寿命の譲渡』、『反魂の禁術』
「ッ!? ウェンディ、これ……!」
シャルルが息を呑む。
「あなた、何をしようとしてるの!? 農業の本だなんて嘘じゃない! これは……人を生き返らせるための黒魔法……!」
ギルド内がざわつく。
ナツやルーシィも、シャルルの剣幕に気づいてこちらを見た。
「おい、どうしたんだシャルル?」
ウェンディは、ゆっくりと本を閉じた。
そして、困ったように眉を下げた。
「……あーあ。見つかっちゃいましたか」
その声は、驚くほど冷徹だった。
いつもの甘えたような響きはない。
まるで、壊れた人形が喋っているような無機質さ。
「ウェンディ……?」
シャルルが後ずさる。
「コホッ……。シャルル、貴女は勘が良すぎます。……もう少し、知らないふりをしていてくれればよかったのに」
ウェンディが杖を構える。
その切っ先が、相棒であるシャルルに向けられた。
「やめろウェンディ! 何する気だ!」
ナツが異変に気づき、飛び出してくる。
遅い。
ウェンディは悲しげに、けれど躊躇なく魔法を紡いだ。
「ごめんなさい。……少しの間、眠っていてください」
「『状態付加(エンチャント)・強制睡眠(スリープ)』」
ドサッ。
シャルルが糸の切れた操り人形のように倒れ込む。
さらに、駆け寄ろうとしたナツやグレイ、ギルドメンバー全員の意識が、強力な睡魔によって刈り取られた。
「な……ん……だ……これ……」
ナツが膝をつく。
抵抗しようとするが、瞼が鉛のように重い。
アイリーン仕込みの、広範囲かつ強力な精神干渉魔法。
「ウェ……ン……ディ……」
バタリ。
ナツも、エルザも、ルーシィも。
ギルドにいた全員が、床に伏した。
静寂が戻ったギルドホール。
立っているのは、ウェンディただ一人。
「ケホッ、ケホッ、ケホッ……!」
激しい咳と共に、ウェンディは口元を押さえた。
手のひらに、一筋の血が付着している。
寿命を削った代償が、喀血として現れ始めていた。
「……行かなきゃ」
ウェンディは倒れているシャルルに近づき、そっとその頭を撫でた。
「さようなら、シャルル。……目が覚めた時、私はもう、貴女の知っているウェンディじゃないかもしれません」
彼女は禁書と、生命力の詰まった魔水晶を抱え、ギルドを後にした。
振り返らない。
振り返れば、引き返したくなってしまうから。
――マグノリアの丘。アイリーンの墓前。
夜の闇に包まれた丘に、冷たい風が吹き荒れる。
ウェンディは墓標の前に立ち、準備を始めた。
地面に描かれた、血と魔力による巨大な魔法陣。
中央にはアイリーンの髪。
そして、周囲には数百人分の生命力が渦巻く魔水晶。
「マザー……。お待たせしました」
ウェンディは咳き込みながら、杖を高く掲げた。
月が雲に隠れ、世界が闇に沈む。
「私の命を削ります。私の未来を捧げます。……だから、帰ってきて」
「『極限付加術(マスター・エンチャント)・反魂の儀(リザレクション)』!!」
カッッッ!!!!
毒々しいほどの緋色の光柱が、天を貫いた。
大地が鳴動し、墓標が割れる。
禁忌の扉が、今、少女の手によってこじ開けられようとしていた。
その光の中で、ウェンディは狂ったように笑い、そして血を吐いて膝をついた。
それでも、彼女の目は墓の下にある「闇」を見つめ続けていた。
次回、「第5話:再誕の産声、歪んだ抱擁」