マグノリアの丘。
天を貫いた緋色の光柱が、徐々に収束していく。
周囲の空気は焼け焦げ、草木は枯れ果て、まるでそこだけが世界の理から切り離された異界のようだった。
「ケホッ……! コホッ、コホッ……!」
ウェンディは地面に這いつくばり、激しく喀血していた。
口元から垂れる血が、黒い地面に吸い込まれていく。
視界が霞む。手足の感覚がない。
寿命を削りすぎた代償として、彼女の身体は老婆のように軋んでいた。
けれど、その瞳だけは、目の前の「奇跡」に釘付けになっていた。
バキリ。
砕け散った墓石の下から、白い手が伸びた。
土を掻き分け、闇を払い、その存在が現世へと這い出してくる。
「……あ……あぁ……」
ウェンディの喉から、言葉にならない嗚咽が漏れた。
土煙が晴れる。
そこに立っていたのは、紛れもなく彼女だった。
長く美しい緋色の髪。
豊満で妖艶な肢体。
そして、全てを見通すような冷徹な瞳。
賢竜アイリーン・ベルセリオン。
死の淵から、黄泉の国から、少女の狂気によって引き戻された母。
「……ここは……?」
アイリーンが、ゆっくりと自分の両手を見つめた。
温かい。血が通っている。
腹部に突き立てたはずの剣の傷も、綺麗に塞がっていた。
「私は……死んだはず……。なぜ、ここに……」
彼女の記憶は、自害したあの瞬間のままだ。
だが、周囲に漂う濃密な魔力の匂い――数百人分の「死」と、一人の少女の「寿命」の匂いが、彼女に答えを告げた。
「マザー……ッ!!」
ウェンディが、泥だらけの体を引きずってアイリーンの足元へ辿り着いた。
彼女の軍服の裾を、震える手で握りしめる。
「おかえり……なさい……! ずっと……待っていました……!」
アイリーンは、足元の小さな少女を見下ろした。
髪の一部が白く変色し、口から血を流し、ボロボロになったウェンディ。
その姿を見た瞬間、アイリーンの脳裏に全てが理解(わか)った。
(この子が……やったの? 私のために? 禁忌を犯して?)
普通なら、娘が禁術に手を染めたことを嘆くだろう。
だが、蘇ったアイリーンの精神は、死の概念を超越したことで、かつてよりも深く、暗く変質していた。
ドクン。
アイリーンの胸に、かつてないほどの歓喜が湧き上がった。
エルザは私を捨てた。世界は私を拒絶した。
けれど、この子だけは。
このウェンディだけは、世界を敵に回し、自分の命を削ってでも、私を求めてくれた。
「……ウェンディ」
アイリーンは膝をつき、ウェンディを抱き寄せた。
その体は冷たく、死人のようだったが、ウェンディにとっては天国の温もりだった。
「よくやったわ。……私の可愛い娘」
アイリーンの声は甘く、そして毒を含んでいた。
彼女はウェンディの白くなった髪を愛おしそうに撫でた。
「命を削ったのね。他人の命を奪ったのね。……すべて、私のためだけに」
「はい……! はいっ……!」
ウェンディはアイリーンの胸に顔を埋め、泣きじゃくった。
「マザーがいない世界なんて……いらなかった……! 私には……貴女しかいないんです……!」
「ええ、そうよ。お前には私しかいない」
アイリーンは、ウェンディの背中に手を回し、強く、強く抱きしめた。
骨が軋むほどに。
それは慈愛の抱擁ではない。
二度と逃さないという、呪縛の鎖。
「もう離さないわ。……お前が望んだのよ? この『地獄』を」
アイリーンの瞳が、妖しく光った。
「マザー……苦しい……でも、嬉しい……」
ウェンディの意識が朦朧とする。
寿命を削った反動と、絶対的な安らぎに包まれて、彼女の精神は幼児退行したかのように甘えていた。
「ふふっ。……さあ、行きましょう」
アイリーンはウェンディを軽々と抱き上げた。
復活したばかりだが、魔力は全盛期――いや、ウェンディが付加した膨大な生命力によって、それ以上に膨れ上がっている。
「妖精の尻尾(フェアリーテイル)には戻れないわよ。……お前はもう、こちらの住人なのだから」
「はい……。どこへでも……連れて行って……」
ウェンディはアイリーンの腕の中で、安心しきって目を閉じた。
彼女が選んだのは、光の仲間たちとの未来ではなく、闇の母との永遠の逃避行。
アイリーンが杖を振るう。
空間が歪み、転移魔法が発動する。
その直後。
丘の下から、何者かが駆けつけてくる気配がした。
「ウェンディーーッ!!!」
強制睡眠から無理やり目覚めたシャルルが、ボロボロの体で空を飛んで来たのだ。
その後ろには、フラフラになりながら走ってくるナツとエルザの姿もある。
「待って……!行かないで……!」
シャルルが叫ぶ。
アイリーンは、振り返りもせず、冷笑だけを残した。
「残念だったわね、猫。……この子は私が貰ったわ」
フッ。
二人の姿が、緋色の光と共に消滅した。
残されたのは、砕けた墓石と、枯れ果てた大地。
そして、空っぽになった「ウェンディの居場所」だけだった。
「ウェンディ……嘘でしょ……」
シャルルが地面に崩れ落ち、慟哭した。
禁忌は成された。
世界最強の付加術士(エンチャンター)と、彼女を蘇らせた天空の巫女。
最悪の親子が、フィオーレの闇へと消えていった。
次回、「第6話:逃避行、緋色の空の下で」