緋に染まる天空   作:暁 蒼空

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第5話:再誕の産声、歪んだ抱擁

マグノリアの丘。

 天を貫いた緋色の光柱が、徐々に収束していく。

 周囲の空気は焼け焦げ、草木は枯れ果て、まるでそこだけが世界の理から切り離された異界のようだった。

「ケホッ……! コホッ、コホッ……!」

 ウェンディは地面に這いつくばり、激しく喀血していた。

 口元から垂れる血が、黒い地面に吸い込まれていく。

 視界が霞む。手足の感覚がない。

 寿命を削りすぎた代償として、彼女の身体は老婆のように軋んでいた。

 けれど、その瞳だけは、目の前の「奇跡」に釘付けになっていた。

 バキリ。

 砕け散った墓石の下から、白い手が伸びた。

 土を掻き分け、闇を払い、その存在が現世へと這い出してくる。

「……あ……あぁ……」

 ウェンディの喉から、言葉にならない嗚咽が漏れた。

 土煙が晴れる。

 そこに立っていたのは、紛れもなく彼女だった。

 長く美しい緋色の髪。

 豊満で妖艶な肢体。

 そして、全てを見通すような冷徹な瞳。

 賢竜アイリーン・ベルセリオン。

 死の淵から、黄泉の国から、少女の狂気によって引き戻された母。

「……ここは……?」

 アイリーンが、ゆっくりと自分の両手を見つめた。

 温かい。血が通っている。

 腹部に突き立てたはずの剣の傷も、綺麗に塞がっていた。

「私は……死んだはず……。なぜ、ここに……」

 彼女の記憶は、自害したあの瞬間のままだ。

 だが、周囲に漂う濃密な魔力の匂い――数百人分の「死」と、一人の少女の「寿命」の匂いが、彼女に答えを告げた。

「マザー……ッ!!」

 ウェンディが、泥だらけの体を引きずってアイリーンの足元へ辿り着いた。

 彼女の軍服の裾を、震える手で握りしめる。

「おかえり……なさい……! ずっと……待っていました……!」

 アイリーンは、足元の小さな少女を見下ろした。

 髪の一部が白く変色し、口から血を流し、ボロボロになったウェンディ。

 その姿を見た瞬間、アイリーンの脳裏に全てが理解(わか)った。

 (この子が……やったの? 私のために? 禁忌を犯して?)

 普通なら、娘が禁術に手を染めたことを嘆くだろう。

 だが、蘇ったアイリーンの精神は、死の概念を超越したことで、かつてよりも深く、暗く変質していた。

 ドクン。

 アイリーンの胸に、かつてないほどの歓喜が湧き上がった。

 エルザは私を捨てた。世界は私を拒絶した。

 けれど、この子だけは。

 このウェンディだけは、世界を敵に回し、自分の命を削ってでも、私を求めてくれた。

「……ウェンディ」

 アイリーンは膝をつき、ウェンディを抱き寄せた。

 その体は冷たく、死人のようだったが、ウェンディにとっては天国の温もりだった。

「よくやったわ。……私の可愛い娘」

 アイリーンの声は甘く、そして毒を含んでいた。

 彼女はウェンディの白くなった髪を愛おしそうに撫でた。

「命を削ったのね。他人の命を奪ったのね。……すべて、私のためだけに」

「はい……! はいっ……!」

 ウェンディはアイリーンの胸に顔を埋め、泣きじゃくった。

「マザーがいない世界なんて……いらなかった……! 私には……貴女しかいないんです……!」

「ええ、そうよ。お前には私しかいない」

 アイリーンは、ウェンディの背中に手を回し、強く、強く抱きしめた。

 骨が軋むほどに。

 それは慈愛の抱擁ではない。

 二度と逃さないという、呪縛の鎖。

「もう離さないわ。……お前が望んだのよ? この『地獄』を」

 アイリーンの瞳が、妖しく光った。

「マザー……苦しい……でも、嬉しい……」

 ウェンディの意識が朦朧とする。

 寿命を削った反動と、絶対的な安らぎに包まれて、彼女の精神は幼児退行したかのように甘えていた。

「ふふっ。……さあ、行きましょう」

 アイリーンはウェンディを軽々と抱き上げた。

 復活したばかりだが、魔力は全盛期――いや、ウェンディが付加した膨大な生命力によって、それ以上に膨れ上がっている。

「妖精の尻尾(フェアリーテイル)には戻れないわよ。……お前はもう、こちらの住人なのだから」

「はい……。どこへでも……連れて行って……」

 ウェンディはアイリーンの腕の中で、安心しきって目を閉じた。

 彼女が選んだのは、光の仲間たちとの未来ではなく、闇の母との永遠の逃避行。

 アイリーンが杖を振るう。

 空間が歪み、転移魔法が発動する。

 その直後。

 丘の下から、何者かが駆けつけてくる気配がした。

「ウェンディーーッ!!!」

 強制睡眠から無理やり目覚めたシャルルが、ボロボロの体で空を飛んで来たのだ。

 その後ろには、フラフラになりながら走ってくるナツとエルザの姿もある。

「待って……!行かないで……!」

 シャルルが叫ぶ。

 アイリーンは、振り返りもせず、冷笑だけを残した。

「残念だったわね、猫。……この子は私が貰ったわ」

 フッ。

 二人の姿が、緋色の光と共に消滅した。

 残されたのは、砕けた墓石と、枯れ果てた大地。

 そして、空っぽになった「ウェンディの居場所」だけだった。

 「ウェンディ……嘘でしょ……」

 シャルルが地面に崩れ落ち、慟哭した。

 禁忌は成された。

 世界最強の付加術士(エンチャンター)と、彼女を蘇らせた天空の巫女。

 最悪の親子が、フィオーレの闇へと消えていった。




次回、「第6話:逃避行、緋色の空の下で」
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