ズズズズズ……ッ!
霊峰ゾニアの古代遺跡が悲鳴を上げた。
アイリーン・ベルセリオンから放たれる緋色の魔力は、単なるエネルギーの波ではなく、空間そのものを歪める「重圧」となって妖精の尻尾(フェアリーテイル)の魔導士たちを襲った。
「ぐっ……! なんだこの魔力は……!」
グレイが氷の盾を展開するが、ミシミシと音を立ててヒビが入っていく。
「相変わらずデタラメな強さだ……! スプリガン12の頃より上がってやがる!」
「当然でしょう」
アイリーンが杖を優雅に振るう。
「私は一度死に、地獄の淵を見てきた。……そして何より、今の私には『守るべき愛娘』がいる」
彼女の視線が、後方で蹲るウェンディに向けられる。
その瞳が一瞬だけ慈愛に満ち、すぐにナツたちへ戻ると、絶対零度の殺意へと変わった。
「『地形付加(エンチャント)・針の山』」
ドゴォォォォォンッ!!
床の岩石が一斉に隆起し、無数の鋭利な槍となってナツたちを串刺しにしようと襲いかかる。
「うおおおおっ! 『炎竜王の……崩拳ンンッ!!』」
ナツが炎で岩の槍を粉砕する。
「アイリーン! ウェンディを返せ! お前の道具じゃねえんだぞ!」
「道具? ……ふふっ、笑わせるわね」
アイリーンは宙に浮いたまま、蔑むように見下ろした。
「あの子が自ら私を選んだのよ。お前たちのような『偽りの家族』ではなく、私という『真実の母』をね」
「ふざけるな!」
エルザが換装し、空へ飛び出す。
「天輪の鎧! ……母上! 目を覚ましてください!」
無数の剣がアイリーンを襲う。
しかし、アイリーンは障壁すら張らなかった。
「『分離付加(エンチャント)・武装解除』」
カシャン……!
エルザの剣が、鎧が、瞬時にしてただの鉄屑となってバラバラに弾け飛んだ。
「なっ……!?」
エルザが無防備な姿で空中に放り出される。
「母上? ……気安く呼ばないで頂戴」
アイリーンが冷徹に告げる。
「私を殺し、見捨てた出来損ないが。……私の娘は、命を削って私を蘇らせたウェンディだけよ」
ドォォンッ!!
衝撃波がエルザを叩き落とす。
「きゃああっ!!」
「エルザ!!」
地面に叩きつけられたエルザを庇うように、ナツが前に出る。
だが、アイリーンの魔法だけではない。
後方から、信じられない追撃が飛んできた。
「『高位付加(ハイ・エンチャント)・筋力増強(フィジカル・ブースト)』……!」
ウェンディの声だ。
彼女は血を吐きながら杖を掲げ、あろうことかアイリーンに強化魔法をかけていた。
「マザー……! あの人たちを……追い払って……!」
アイリーンの体に緋色のオーラが纏わりつき、その魔力がさらに膨れ上がる。
かつて仲間を勝利へ導いた「支援魔法」が、今は最悪の敵を強化するための牙となっていた。
「ウェンディ……! お前、何やってんだよ!」
ナツが叫ぶ。
「俺たちを攻撃するならまだしも……なんであいつを助けるんだ! あいつはエルザの母親だぞ! お前を傷つけた奴だぞ!」
「うるさいッ!!」
ウェンディが絶叫した。
その声には、ナツが今まで聞いたことのない、純粋な憎悪が混じっていた。
「ナツさんなんて……大嫌いです!!」
ズキン。
ナツの心臓が痛んだ。
どんな強敵の攻撃よりも重い、拒絶の一撃。
「マザーをいじめるな! マザーは……マザーは私だけのものなんだから!」
ウェンディは半狂乱で杖を振り回す。
「『天竜の……翼撃』ッ!!」
暴風がナツたちを襲う。
手加減はない。本気で殺す気だった。
「くそっ……! どうすりゃいいんだよ!」
グレイが氷壁で防ぐが、ウェンディの風は以前より遥かに鋭く、重い。
数百人分の生命力を糧にした風は、氷をも切り裂く。
「終わりよ」
強化されたアイリーンが、巨大な魔法陣を天空に描く。
遺跡の天井が消し飛び、極寒の空が見えた。
そこに浮かぶのは、巨大な隕石――ではなく、圧縮された魔力の太陽。
「『極限付加術(マスター・エンチャント)・神の火(デウス・フレア)』」
このままでは全滅する。
エルザが歯を食いしばり、決断を下した。
「……退くぞ!!」
「はあ!? ふざけんなエルザ! ウェンディを置いていけるか!」
「今は無理だ!!」
エルザがナツの首根っこを掴む。
「今のウェンディに私たちの声は届かない! それに、この魔法を受ければ骨も残らん!」
「でもっ……!」
「行くぞナツ!」
グレイも無理やりナツを引っ張る。
ルーシィがハッピーとシャルルを抱える。
「ウェンディーーッ!!」
シャルルの悲痛な叫びが響く。
ズドォォォォォォォンッ!!!!!
灼熱の光が遺跡を飲み込んだ。
間一髪、ナツたちは転移魔法(あるいはメストの救出)によって離脱したが、遺跡の上半分は消滅し、ただのクレーターと化した。
煙が晴れた遺跡の跡地。
アイリーンは無傷だった。
そして、その腕の中には、魔法の反動で気を失ったウェンディが抱えられていた。
「……逃げたか」
アイリーンは、ナツたちが消えた方角を一瞥し、興味なさそうに鼻を鳴らした。
そして、腕の中の少女に視線を落とすと、その表情はとろけるように甘くなった。
「いいのよ、ウェンディ。……邪魔者は消えたわ」
アイリーンは、ウェンディの白くなった髪にキスを落とした。
彼女は知っている。
ウェンディが魔法を使えば使うほど、その命が削られ、自分への依存度が高まることを。
そして、それこそが彼女の望む「永遠の絆」であることを。
「さあ、場所を変えましょう。……もっと静かで、誰も来ない、二人だけの楽園へ」
アイリーンが杖を振るう。
二人の姿が、吹雪の中に溶けるように消えていった。
残されたのは、半壊した遺跡と、ナツたちの敗北感。
そして、「大嫌い」という言葉の棘だけが、いつまでも雪原に突き刺さっていた。
次回、「第9話:空虚な空、満たされぬ器」