王宮メルクリアス。
その厳重な警備網は、一人の侵入者によって音もなく無力化されていた。
「……ルート確保。索敵範囲内に生体反応なし。進んでください」
廊下の角から、ウェンディが手招きをする。
ナツ、ミラジェーン、ハッピー、シャルルが恐る恐る進むが、そこには気絶した衛兵たちが壁に寄りかかるようにして眠っていた。
外傷はない。姿も見せず、ただ通り過ぎるだけで意識を刈り取ったのだ。
「す、すげえなウェンディ……。忍び込み放題じゃねーか」
ナツが呆れたように呟く。
「『認識阻害』と『睡眠付加』を併用しました。彼らは朝まで良い夢を見るでしょう」
ウェンディは地図を確認すらせず、迷いなく進んでいく。
その歩調は、散歩でもするかのように軽い。
「ここです」
彼女が足を止めたのは、地下牢獄の最深部。
鉄格子の向こうに、やつれた表情のルーシィとユキノがいた。
「ルーシィ!」
「ナツ!? それにみんな……!」
再会を喜ぶ間もなく、ウェンディが鉄格子に手を触れる。
『物質透過』。鉄が泥のように柔らかくなり、道が開く。
「さあ、出てください。帰りますよ」
ウェンディが手を差し伸べた、その瞬間だった。
カシャン。
どこかでスイッチが押される音が響いた。
「――かかったわね、賊ども!」
高らかに響くヒスイ姫の声と共に、牢獄の床が唐突に消失した。
奈落宮へと続く落とし穴だ。
「うわあああああああ!!」
ナツたちの悲鳴が響く。
ハッピーとシャルルが翼を出そうとするが、ウェンディがそれを制した。
「いけません。上空に魔力感知式の迎撃結界があります。触れれば焼かれます」
「えっ!? じゃ、じゃあどうすんのよウェンディ! 飛んでよ!」
シャルルが叫ぶ。ウェンディなら全員に『浮遊』をかけて助かるはずだ。
だが、ウェンディは落下しながら、冷静に頭上の闇を見上げた。
「この深さ……地下に広大な空間あり。脱出経路を探すなら、ここで踏みとどまるより『底』へ落ちた方が早い」
「マジかよぉぉぉぉ!?」
ウェンディは魔法を使わなかった。
重力に身を任せ、真っ逆さまに闇の底へと落ちていく。
それは「諦め」ではなく、最短ルートを選んだだけの「計算」だった。
ドォォォォン!!
着地の衝撃が走る――はずだったが、直前にウェンディが展開した『緩衝付加(クッション・エンチャント)』により、ナツたちはふわりと着地した。
そこは、地下深くに広がる「奈落宮」。
死の迷宮と呼ばれる場所だ。
「助かった……。サンキュー、ウェンディ」
ナツが安堵の息をつく。
しかし、ウェンディは返事をせず、少し離れた瓦礫の山を見つめていた。
「あそこに、先客がいます」
指差す先には、血まみれで倒れている男の姿があった。
王宮騎士団長、アルカディオスだ。彼もまた、王宮の陰謀に巻き込まれ、落とされていたのだ。
「おい! あんた大丈夫か!?」
ナツが駆け寄る。
アルカディオスは苦しげに目を開けた。「うぅ……貴様ら……なぜここに……」
全身傷だらけで、息も絶え絶えだ。
ウェンディが近づき、無表情で見下ろす。
「全身打撲、および火傷。……処置しないと数時間で死亡しますね」
彼女はしゃがみ込み、掌をかざした。淡い光がアルカディオスを包み、致命傷を一瞬で塞いでいく。
「な、なんだこの魔法は……痛みが、引いていく……」
「応急処置です。戦闘行動はできませんが、走れる程度には回復させました」
事務的に告げて立ち上がるウェンディ。
その時、闇の奥から不気味な足音と、嘲笑うような声が響いた。
「ヒャハハ! 罪人が増えてるねぇ!」
「オレたちの庭へようこそ……」
フードを被った5人組。
王国最強の処刑部隊、餓狼騎士団が現れた。
「こいつらは……餓狼騎士団! 王国の闇に葬られた犯罪者を始末する処刑人だ!」
アルカディオスが青ざめて叫ぶ。
「ここから生きて帰った者はいない。貴様らもここで骨になるのさ」
リーダー格の男が鎌を舐める。
「上等だ! やってやろーじゃねえか!」
ナツが拳に炎を纏い、突っ込む。
乱戦が始まった。
だが、戦況は悪かった。
カミカの紙吹雪、ウオスケの地形操作、コスモスの巨大植物。
狭く入り組んだ奈落宮の地形は、彼らにとって絶対的なホームグラウンドだった。
「くそっ! やりづれえ!」
ナツが炎を放つが、ウオスケの『地形効果・重力帯』によって軌道を逸らされる。
「私のサタンソウルも、この狭さじゃ本気が出せないわ!」
ミラジェーンも攻めあぐねていた。
苦戦する仲間たちを見て、餓狼騎士団は勝利を確信し、歪んだ笑みを浮かべた。
「終わりだ! 我ら最強の処刑人が、貴様らに死を与える!」
「フィオーレの闇に葬られることを光栄に思うがいいわ!」
その高笑いが、洞窟に響き渡る。
――しかし。
「……うるさい」
冷徹な一言が、その笑いを断ち切った。
戦場の後方。アルカディオスの護衛をしていたウェンディが、ゆっくりと前に歩み出てきた。
その瞳は、餓狼騎士団の誰よりも深く、昏(くら)い闇を宿していた。
「な、なんだこのガキは……?」
鎌の男が不審げに鎌を構える。
ウェンディは、ため息交じりに指をパチンと鳴らした。
――『地形操作(ワールド・リコンストラクション)』」
ズズズズズズズッ!!!!
激しい地鳴りと共に、餓狼騎士団が得意としていた迷宮の壁が、天井が、床が、生き物のように蠢き、平坦な更地へと変えられていく。
ウオスケの作った重力帯も、カミカの足場も、全てが均(なら)された。
「なっ……バカな!? 奈落宮の構造を変えただと!?」
コスモスが絶叫する。
一瞬にして有利な地形を奪われた彼らは、狼狽して後ずさった。
ウェンディは、凍りつくような冷たい視線で彼らを見回した。
「最強? 処刑人? ……笑わせないでください」
彼女は一歩、前に踏み出す。
それだけで、圧倒的な魔力の暴風が吹き荒れ、空間そのものが軋みを上げる。
背後に幻視されるのは、巨大な緋色の竜の影。
「あなた達の殺気は、ただの『悪意』です。殺し合いの重みも、覚悟もない。」
ウェンディは右手をかざす。
その掌(てのひら)に収束するのは、彼らが一度も見たことのない、高密度の滅竜魔法。
「私のいた西の大陸(アルバレス)なら、あなた達ごとき……ただのチンピラです」
ゾクリ。
餓狼騎士団の背筋を、死の予感が駆け抜けた。
アルカディオスさえも、味方であるはずの少女の放つ威圧感に、言葉を失い震えている。
彼らは理解した。自分たちは「狩る側」ではない。「狩られる側」なのだと。
「消えなさい」
ウェンディの手が振り下ろされる。
それは、処刑人たちが味わう初めての、そして最後の「本物の絶望」だった。
次回、「第9話:未来からの警鐘」。