朝の修行を終え、湊は縁側で息を整えていた。
棒を握る手はまだ震えているが、昨日よりは確かに“自分の身体”を感じられる。
霊夢は湊の姿を見て、満足げに頷いた。
「いい調子よ。
あなた、思ってたより筋がいいわ」
「そ、そうですか……?」
「ええ。考えすぎる癖はあるけど、素直に動けてる」
霊夢の言葉に、湊の胸が少しだけ温かくなる。
そのとき――
境内の空気が、ふっと揺れた。
風ではない。
温度でもない。
“境界”そのものが、わずかに歪んだような感覚。
湊は思わず立ち上がる。
「……霊夢さん、今の……」
霊夢は眉をひそめ、鳥居のほうを睨む。
「来たわね」
次の瞬間、空間に裂け目が走り、紫色の瞳が覗いた。
八雲紫が、まるで散歩の途中で寄り道したかのように姿を現す。
「まあまあ。ずいぶん頑張っているじゃないの、湊」
湊は息を呑む。
紫の声は柔らかいのに、心の奥まで見透かされるような感覚がある。
霊夢は腕を組み、呆れたように言った。
「また勝手に現れて……何の用よ」
紫は扇子を口元に当て、楽しげに目を細める。
「湊の様子を見に来ただけよ。
あなたが外来人を鍛えているなんて、珍しいもの」
霊夢はむっとした表情を浮かべる。
「鍛えてるんじゃないわ。
生き残るために必要なことを教えてるだけ」
紫は霊夢の言葉を聞き流し、湊のほうへ歩み寄る。
「湊。
あなた、自分が“なぜここに来たのか”考えたことはある?」
湊は戸惑いながら答える。
「……絶望していたから、だと……」
紫は首を横に振る。
「それは“きっかけ”にすぎないわ。
本当の理由は、もっと深いところにある」
湊の胸がざわつく。
霊夢が一歩前に出て、紫を睨む。
「紫。湊を混乱させるようなこと言わないで」
「混乱なんてさせないわ。
ただ――」
紫は湊の目をまっすぐ見つめる。
「あなたは、境界の揺れを“感じ取れる”人間。
それは偶然じゃないのよ」
湊は息を呑む。
「感じ取れる……?」
「ええ。
あなたの心は壊れかけていたけれど、その分“隙間”があった。
世界の揺らぎが入り込むだけの、ね」
霊夢が湊の肩に手を置く。
「湊。気にしなくていい。
紫の言うことは、いつも回りくどいだけよ」
紫はくすりと笑う。
「でも、事実よ。
あなたはただの外来人じゃない。
“境界の変化に気づける人間”なの」
湊の心臓が強く脈打つ。
紫は扇子を閉じ、意味深に続けた。
「だから――
あなたが強くなることには、ちゃんと意味があるの」
霊夢が険しい表情で紫を睨む。
「紫。何を企んでるの」
紫は肩をすくめる。
「企んでなんていないわ。ただ……
湊が“選ぶ時”が来るだけ」
湊は思わず問いかける。
「選ぶ……?」
紫は答えず、裂け目の向こうへ消えながら言った。
「そのとき、あなたがどちらの世界を向くのか……楽しみにしているわ」
裂け目が閉じ、境内に静寂が戻る。
湊は震える声で霊夢に尋ねる。
「霊夢さん……僕は……何を選ぶんですか」
霊夢は湊の肩を強く掴み、真剣な目で言った。
「湊。
紫の言葉に振り回されないで。
あなたは“今”を生きればいいの。
ここで、私と一緒に」
その言葉は、湊の胸に深く染み込んだ。
しかし同時に――
紫の残した“選択”という言葉が、湊の心に影を落とし始めていた。