ヴァルキューレの狼   作:アホの子ヴァルコ

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お久しぶりです。


山の支所当番 一日目

ベッドの中で意識が覚醒する。ほぼ同時にスマホが振動して起床時間を知らせた。

アラームを停止して画面を確認。現在時刻は……四時半。ん、寝坊しなくてよかった。

 

消灯されてるから部屋も廊下も真っ暗だ。静かにベッドを出て毛布をたたんでいると足音。光量を抑えたLEDライトを持った人影……夜勤の看守が現れた。

ご近所さんたちを起こさないように無言で挨拶をすると、荷物をまとめたカバンを手に居室エリアの廊下を静かに歩く。

 

二重扉を一つ抜けた先で看守の誰何。本人確認は大事だね。

 

「囚人番号501番。砂狼シロコ」

「次、本日の予定を答えよ」

「社会貢献作業に出ます。作業内容は―――支所当番です」

「よろしい。行っていいぞ」

 

確認を終えた看守に見送られて留置施設を後にする。まずは本館で顔を洗おう。

 

ん、今日は交番のお務め日和。初めての仕事だ。

 

 

 

 

 

 

 

お手洗いで身だしなみを整えたら更衣室へ。

いつもの半袖制服に制式拳銃とシールドの組み合わせをチョイス。それと着替えの制服を一着、カバンに入れておく。……さて、囚人服を脱ぎながらこうなった経緯を改めて整理しよう。

 

今日から三日間、遠方の交番に泊まり込み勤務だ。

これは本来なら生徒の仕事なんだけど、今回はちょっと訳ありで私も参加する。

 

その訳とは……SRTの生徒たちがヴァルキューレにやってくるからだ。

連邦生徒会長が失踪してから活動不能状態だったSRTは閉鎖の方針となり、所属する生徒たちは順次ヴァルキューレの警備局へ編入するんだって。

 

ただ、本館に彼女たち全員を受け入れるスペースは無い。だから警備局は本校から移転し、今後はヴァルキューレ第一分校が活動拠点になる。

それに付随する書類手続きや引っ越し作業など、雑事が完了するのに三日ほどかかるらしい。

 

その間、()()()()()で私は本校から離れることになった。

説明しにきた看守係長は詳細を教えてくれなかったけど……まあわかるよ。閉鎖と転校でピリピリしてるSRT生たちを微妙な立場の私に刺激してほしくないんだろうね。

 

私の監視役として同行するのはフブキとキリノの二人。三人だけで支所当番。しかも三泊四日だ。徹夜前提のとんでもない激務になるのでは……と思ったけど、フブキ曰くそんな心配は不要な支所なんだって。どういうことだろう?

 

教えてくれたのは場所が遠くて早朝に出発することだけ。後は到着してからのお楽しみだってさ。少し不安だけどフブキが含み笑いしてたし大丈夫だと思う。

 

キリノに関してはフブキと相談して現状維持に努める。あの独り言も一旦忘れることにした。

私が動くと絶対にこじれて悪化するとフブキが言うし、時の解決に任せるしかないみたい。ここは大先輩のアドバイスに従っておくよ。

 

制帽をかぶったところで思案を切り上げる。姿見に全身を映して確認。いつも通りの偽警官だ。

最後に髪飾りを前髪にセットしたら準備完了。忘れ物はなし。

 

さて、待ち合わせ場所は地下駐車場。時間に余裕はあるけど待たせたら悪い。そろそろ行こうか。

 

 

 

 

 

 

 

地下駐車場にやって来た。……まだ二人の姿はないね。

詰所の当番生徒に挨拶をしてから出入口の坂を上り、外に出て深呼吸。東の空が白み始めていた。もうすぐ夜が明ける。早朝の清々しい空気の中で軽く柔軟体操でもしようか。

 

背筋を伸ばしていると駐車場から人の話し声が聞こえてきた。フブキとキリノかな?

詰所まで戻ってくるとやっぱり二人だった。身だしなみを整えてちゃんと制服を着こんだキリノに対し、ぼさぼさ頭でジャケットを引きずり制服も着崩したフブキ。これはひどい。

 

「おはようございますシロコさん。待たせてしまいましたか?」

「ん、おはよう。私も来たばかりだよ。……フブキは起きてるよね?」

「……んあ? ふわぁ~……シロコちゃん、おはよー……ぐぅ」

 

寝た。返事をした直後にフブキが立ったまま寝始めた。器用だね。

 

「これは器用ではなくただの不精です。フブキ、いい加減に目を覚ましてください! それと制服をちゃんと着て! みっともないですよ!」

「うぇぇ、揺らさないで~……。だってぇまだ眠いんだよぉ~……」

 

キリノに肩を揺さぶられて嫌々ながらもフブキが動き始めた。それはいいんだけど……ネクタイを蝶結びしてどうするのさ。やってあげるよ。はい、案山子のポーズして。

よく見ればワイシャツのボタンは掛け違えてるし、制帽が前後逆だ。ジャケットのバッジもついてない。持ってるよね? ポケットの中? 仕方ないなぁ。

 

キリノも自分のカバンからヘアブラシを取り出し、フブキの絡まった髪を梳かし始めた。あっという間に整えると白いリボンでくるりと結び、見慣れたツインテールの完成。

 

「いやあ、楽ちんでいいね。二人ともありがとー」

「本当は自分でやることなんですよ? わかってますか?」

「ごめんっればー、わはったはら、ひゃめれよー」

 

目が笑ってないキリノがフブキの頬をつねった。じゃあ私は反対側をやるね。ん、よく伸びる。

 

 

 

小型PCのトランクに荷物を積み込むとヴァルキューレを出発。

今回はキリノが手続きをしてオートマチックの現行車両を借りた。運転手はキリノで助手席にフブキ、私は後部座席に乗り込んだ。

 

運転手役に立候補したけど却下された。訳ありということもあり、大人しくしててほしいみたい。それならしょうがないか。

地平線から太陽が顔を出して明るくなり始めたD.U.の都市部をしばらく走り、ハイウェイ乗り口の手前でコンビニに寄って買い出し。朝ごはん、まだだしね。

 

それぞれカゴを手に取り、好きな物を購入。買い物が終わったら外のベンチに並んで座った。

フブキはメロンパンとミルクティー、キリノはサンドイッチとホットラテ、私はデニッシュとフルーツ牛乳だ。ん、いただきます。

 

パンに齧りつくとサクっとした食感と濃厚なバターの風味。クロワッサンに似てるけどデニッシュの方が甘い。砂糖や牛乳が使われてるからだね。美味しい。

具やトッピングはなにもないプレーンなパンだけど大きくて食べ応えがある。フルーツ牛乳も甘くて美味い。朝から大満足。ごちそうさまでした。

 

ごみを処分しているとモモトークを受信。カンナから朝の挨拶だ。

こんな早朝に珍しいと思ったら公安局も早出なんだね。案件の対処に出るということは……朝から捕り物か。気をつけてね。

 

ここ最近、カンナと会えてない。最後に顔を合わせたのは私の誕生日だ。あれからしばらく経つけどモモトークで少しお話するくらいなんだよね。

正直に言えば寂しい。でも特別休養をもらったんだ。だから我慢しよう。

 

「シロコちゃーん、そろそろ出発するよー」

 

スマホの画面を見ながらぼんやりしてたらフブキに呼ばれた。モモトークを終了してポケットにしまう。早歩きで小型PCに戻るとキリノがエンジンを始動。全員がシートベルトを締めたらキリノが車両を発進させた。

 

 

 

コンビニを出た小型PCはそのままハイウェイに進入。高速を走る車はまばらでスムーズに走行車線に合流できた。交通の流れに乗ったのを確認してからキリノに話しかける。

 

「これからどれくらい走るの?」

「三十分ほどハイウェイを走ります。その後は下道を一時間。合計で一時間半と考えてください。途中、サービスエリアやコンビニもあるので、休憩したいときは早めに言ってくださいね」

「わかった。……ねえ、目的地の交番ってどんなところ? 場所が遠いとしかフブキは教えてくれなかったから気になる」

「え……。まさか、聞いてないんですか? フブキ?」

 

私の質問にキリノが驚いた様子で助手席のフブキに話を振る。するとフブキが椅子をリクライニングさせて寝そべりながら答えた。

 

「シロコちゃんは初めての交番勤務だからね。現地に到着するまで内緒にしといた方がワクワクできるかなーって」

「フブキ……我々は遊びに行くのではありません。れっきとした警察官の業務ですよ?」

「そうは言うけどさぁ、行き先は()()()だよ? 私らの出番、あると思う?」

「交番に居るだけで抑止力になります! 立派な治安維持活動じゃないですか!」

後は?

「……警察官が暇なのは良いことですから」

 

バックミラーに映るキリノの表情が渋い。逆にフブキはニヤニヤと笑っている。ええと、結局どういうことなの?

 

「これから向かうのはD.U.でも特に僻地の交番でして……すっごい田舎なんです」

「生徒主催の交番ランキングで『暇すぎるで賞』を連続受賞してるくらいだからねぇ。夜勤もないから私みたいな怠け者には最高の交番だよ。ドーナッツ屋がないのが惜しいかなー」

「……もしかして、交番の立ち当番と定期巡回しか仕事がなかったりする?」

「まあ、はい……。最後に事件が発生したのが、一か月ほど前でしたね。果物泥棒が出ました」

 

果物泥棒。それも一か月前なんだ。……平和なのはいいことだよ。

 

「ってことで、初仕事だからって気合入れる必要ないよ。三日間、皆でのんびりしようね~」

 

そう言いながらフブキはシートを起こすと車載ラジオを起動。軽快な音楽がスピーカーから流れてきた。さらにコンビニで購入したお菓子まで取り出す有様。もう完全にドライブ気分だ。

 

キリノもため息をついたけどフブキを叱ったりしなかった。つまりフブキの言ってることは事実なんだね。拍子抜けして大きく息を吐いた。

フブキに分けてもらったチョコ菓子を齧りながら窓の外を眺める。雲のない青空は少しだけ晴れやかな気分にしてくれた。

 

僻地の交番で三泊四日のお務めは、こうしてスタートすることになった。

 

 

 

 

 

 

 

ハイウェイを降りてからは下道を走り、小型PCは山を登り始めた。

周囲の光景は空き地と畑、農家と思わしき大きな民家。手入れされた果樹園と雑木林。高層ビルなんてまるで見当たらない。都市部から離れればこんな風景が広がっているんだね。

 

山道を走り続けて現在時刻は七時過ぎ。目的地の交番に到着した。

白いコンクリート製の平屋。四角いお豆腐みたいな形状で、一目で交番とわかるレトロな外観。街中の交番と違って質実剛健と言えば聞こえはいいんだろうけど、まあ予算の都合かな?

 

小型PCを隣接する駐車場に停車。三名の生徒が交番から出てきた。当番明けの子たちだね。

キリノが代表して引き継ぎに向かったので、私とフブキは荷下ろししよう。キリノのカバンは私が持つよ。

 

カバンを正面玄関に運び込むとキリノが勤務日誌を受け取り敬礼を交わしていた。他の子やフブキもそれに則り敬礼。私も準じておこう。

警察官としての勤務時、支障がなければ敬礼には答礼すること。これはヴァルキューレの礼式であり義務だ。偽警官だからこそちゃんとやらないとね。

 

引き継ぎが完了したので前任たちとはお別れ。お疲れさまでした。

別の小型PCに乗り込み交番を出発した彼女たちを見送ったら行動を開始する。いよいよ交番勤務が始まるんだ。

 

「まずはカバンを奥へ運びましょう。それとシロコさんに内部を案内しますよ」

「お願いします」

 

交番はあまり広くない。生徒が待機する表の詰所。奥につながる廊下。廊下の左右にトイレと洗面台、シャワールーム、独居房が二つ。そして生活スペースの小さな給湯室と宿直室。これだけ。

裏口を出てすぐ、屋外に洗濯機と乾燥機がある。小さな倉庫もあるけど利用することはないかな。

 

困ったことが一つ。牢屋がすごく狭い。猫の額ほどの窮屈な檻の中にパイプベッドと便器が押し込められている。衝立もないから色々と丸見え。

私は囚人。当然だけど奉仕活動時以外は牢屋に入るのがルールだ。本校の留置施設みたいに自由に脱走とはいかない。気が重いけど文句を言える立場じゃないしね。三日間の辛抱だ。

 

「あの、シロコさんのお部屋なんですが……」

「わかってる。ただ、できればあまり見ないでほしいな」

「それはできません。囚人の監視・監督が義務付けられていますので」

「ん、わかった」

 

大丈夫。キリノを困らせたいわけじゃないから気にしないで。恥ずかしいけど女同士だしね。

 

「ちょいストップ。それってつまり、監視・監督が最優先ってことだよね?」

「ええ、その通りです。そしてシロコさんを監視するなら三人一緒の方が確実です。後は逃亡防止のための拘束と施錠で十分でしょう。フブキは異論がありますか?」

「ないよー」

 

……フブキとキリノが急にわざとらしい会話を始めてる。なんとなく予想がつくけどさ、それって二人が怒られたりしないの? 無理しなくていいよ。

 

「いやぶっちゃけるとね、定期的に見回る必要があるんだよ。夜に何度も牢まで行くの面倒だし、だったら最初からそばにいた方が楽じゃん?」

「それは言わなくてもいいことでしょう!? ま、まあともかく、手錠を我慢できるなら宿直室で構いませんが、どうします?」

「……手錠くらい全然平気。二人と一緒がいい。お邪魔します」

 

優しい二人に感謝して宿直室へ向かう。引き戸を開けるとビニール製の畳が敷かれた六畳間。

押し入れと折りたたみ式の座卓、荷物置きのメタルラックが一つ置いてある。さて、荷解きだ。

 

 

 

今回の交番勤務用にヴァルキューレの購買でいくつか買い物をした。

まず部屋着のタンクトップとショートパンツを数着。使い捨てるつもりで一番安いのにしたら生地がペラペラ。ヴァルキューレの予算不足を痛感するね。これはラックに出しておく。

 

次に下着。普段から借りてるのと同じ物。地味なスポーツタイプだけど、下着を見せびらかすのは年頃の女の子として駄目だよね。カバンにしまったままにしよう。

フェイスタオルはすぐに使えるように数枚畳んで並べておく。替えの制服は押し入れ下段のハンガーラックへ。ヘアブラシとかの小物は必要なときに出せばいいよね。

 

後は……スマホとドローンの充電器。そして最後にマグカップ。梱包を丁寧に解いてメタルラックに並べたら完了だ。

カンナにもらった最高の宝物。本当は持ち歩きたくなかったけど牢屋に置いていけなかった。

 

元SRT生徒たちに本校施設を紹介する都合上、私の部屋は一度片付けるんだって。今頃、留置施設のタブレットや私物などが運び出されて掃除の真っ最中のはずだ。

他の荷物は多少手荒な扱いでも構わない。でもマグカップだけは駄目だよ。簡単に割れてしまう。

 

(……あれ? よく考えたら、カンナにお願いして預かってもらえばよかったんじゃ?)

 

荷解きが終わってからふと閃く。宝物を危険に晒すこともなく、カンナと顔を合わせるチャンス。それを棒に振ったことに気がついた。

初めての交番。それも泊りがけの勤務。どこか浮かれてたんだろうね。私のお馬鹿。

 

……過ぎてしまったことは仕方がない。帰宅するまで注意すればいいだけだ。切り替えよう。

 

「こんなもんかな? こっちは終わったよー」

「私も終わりました。シロコさん、カバンはラックの一番下に置いてください」

「ん」

 

三人とも生活の準備を整えた。メタルラックの上からキリノ、私、フブキの順で私物が並んでる。そしてカバンはヴァルキューレのロゴが入った共通の物。相部屋で共同生活してるみたいだよね。口には出さないけど心が弾む。

 

「それでは朝礼を始めましょう。詰所に移動しますよ」

 

キリノの指示に従って宿直室から移動を開始。朝礼か……どんなことを話すのかな。

 

 

 

 

 

 

 

本日のスケジュール。09:00と14:00に治安維持活動の地域パトロール。……以上。

朝礼でキリノから伝えられたスケジュールはこれだけ。前任からの引き継ぎ案件はなし。本当に仕事がないんだね。

 

「都市部の交番だと事件対応とか応援要請に出たりするけどさ、ここじゃねぇ」

「僻地ですからね。一応、朝と夕に立番はありますが……後はここで待機です」

「ん……確かにこれは暇すぎる」

 

詰所に二つある事務机にフブキとキリノが座り、私はパイプ椅子を借りて二人から仕事の詳細を聞く。しかしこの様子だと、警ら以外で私ができるのは立ち当番だけかな?

 

「来客と電話の応対、それと事務仕事は私とフブキが担当します。交番内のパソコン、電話、無線機は触らないでください」

「事件が発生しないと報告書を作ることもないけどねー。日報を書いておしまいだよ」

「そうなんですが、事前準備は必要ですよ? さてシロコさん、私たちは事務の用意を始めるので正面玄関の立番に当たってください。説明が要りますか?」

「ううん、不要だよ。カンナに教わったから知ってる。じゃあ外に居るから」

 

朝礼が終わったのでパイプ椅子を片付けて正面玄関を出た。室内のキリノたちから見えるように、ガラス戸に背中を向けて立つ。両足を少し広げ、両手は背中に回して組む。休めの姿勢。

 

立ち当番。または立番とは、ヴァルキューレが実施する治安維持活動の一種だ。

制服姿の生徒が校門、交番、交差点、駅やバスターミナルなどに立ち、周囲を警戒・監視することで犯罪抑止と未然防止を狙って行う。

 

特に交番の立ち当番は「この交番はきちんと機能している」ということを示す意味もある。地味だけど重要な活動だ。さあ、地域住民が安心して暮らせるように頑張ろう。

 

 

 

交番前で立ち番を開始して一時間。

……誰も来ないね。地域住民どころか、車すらあまり通らない。澄み渡る青空と小鳥のさえずり、山のきれいな空気に癒される。奉仕作業中の囚人がこれでいいのだろうか。

 

「シロコちゃーん、もうすぐ午前のパトロールだから立番は終わっていいよ。入っておいでー」

 

フブキに呼ばれたから朝の立ち当番を終了する。正面玄関から詰所に入ると二人にねぎらわれた。

 

「お疲れさまでした。姿勢を乱さず立ち続けてましたね。お見事です」

「今日が初めてなのによくやるよ。私なんて最初は五分も耐えられなかったのに」

「ただ立って警戒してるだけだから普通だよ。それより警らに出るなら早く行こう」

 

土地勘のないエリアのパトロール。道を覚えながら歩くから初回は時間を要するだろう。朝礼でキリノがスケジュールボードに記入した組み合わせだと……午前は私とキリノだね。

今回は三人の班だし私の監視がある。だから単独行動ができない私は固定だ。交番に残していくわけにはいかない。まあ普段の社会貢献作業に比べたら一日二回、徒歩の巡回なんて朝飯前。

 

キリノがパソコンを終了させて立ち上がった。準備はいい? じゃあフブキ、留守番よろしく。

ん、行ってきます。

 

 

 

スマホのナビを起動。交番には定められたパトロール順路がある。キリノにもらった地図情報を読み込むと案内が開始された。これで道に迷わない。

 

「それではパトロールを開始します。異変や事件の予兆を見逃さないよう、注意してください」

「了解」

 

キリノと交番を出発。並んで田舎町を歩き出そうとした瞬間、あることに気がついて足が止まる。

私、誰かと一緒に警らするの……初めてだ。なんか嬉しいな。

 

「……シロコさん? どうかしましたか?」

「あ、うん。ちょっとね。……キリノは、私の初めての人になった。よろしく」

「―――は?」

 

カンナと行動を共にしてた頃は近くで見てただけだし、ストリートレーサーのときは小型PCで送るついでだった。他には……やっぱり、誰かと警らをした覚えはないね。

 

「は、初めっ……ええっ!? そ、そのような経験、記憶にございませんがっ!?

 

回想していると急にキリノが大声で叫んでびっくり。耳が痛くなるからやめてほしい。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! どういう意味ですか! その、初めての人とは!?」

「どうって……警らはいつも一人だったから、キリノが初めてペアを組んだ人。なにか変かな?」

 

なぜか慌ててるキリノの質問に答えを返したら石のように固まった。……今度は顔が赤くなり、さらに両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。さっきから表情がコロコロ変わるけど、どうしたのさ。

 

「もしかして体調不良? 交番は目の前だし引き返す?」

「大丈夫ですっ! 本官の早とちりもありますが、シロコさんは言葉をきちんと伝えてください!」

 

なんだろうこれ。怒ってる感じはしないけど叱られた。あれ、なにか間違えたっけ?

ええと、言葉をきちんと伝える……あ、言葉足らずだったってことかな?

 

「私はキリノが最初の人で嬉しい。ん、嘘じゃない」

っ~~~!! わざとやってませんか!?

 

耳まで真っ赤になったキリノに怒鳴られてアイアンクロー! なんで怒ったの痛い痛い! んー!

 

「おーい、そこの二人~? 道端でイチャイチャしてないでさぁ、はよパトロール行っといでー」

 

交番からフブキが顔を出してニヤニヤしながら変なことを言ってきた。イチャつくとか意味不明。そんなことしてない。というか助けて! パワーが違いすぎる!

 

 

 

 

 

 

 

順路通りに町中を一回り。ここ、本当に田舎だね。

センターラインの無い生活道路ばかりだし民家は疎ら。代わりに大きな農園が広がってる。

 

お店はミニスーパーとコンビニを発見。ホームセンターがなぜか複数ある。農業生産が活発なエリアだし需要はあるんだろう。

警ら中に異常は見つからなかった。たまに農作業中の人を見かけるから地域住民はちゃんと活動してる。なのに銃声が一つも聞こえない。

 

まあ、理由は察しがつくよ。騒ぎを起こす子供が居ないからだ。遊べそうな遊戯施設や観光名所がまるで見当たらない山間の町だもの。同時に、子供たちの引き金がいかに軽いかよくわかるね。

交番が見えてきたところでキリノがパトロール終了を宣言。道を引き返してミニスーパーへ。お昼ご飯の買い出しだ。

 

「給湯室はIHコンロと電子レンジしかありません。お弁当と総菜のコーナーへ行きましょう」

 

買い物カートにカゴを乗せてキリノの後を追う。選んだのは唐揚げ弁当とサラダカップを三人分。それと飲み物。無糖のアイスティーと天然水のペットボトルをカゴに入れた。

そのままお会計……の前に、キリノが調味料コーナーに寄りたいと言い出した。いいけど、なにを買うんだろう。お塩とか醤油? それともサラダ用のドレッシングかな?

 

「ありました。これですよ、これ。食卓の必需品でしょう?」

 

キリノが手にした商品。半透明のプラスチックボトルに赤いキャップ。卵と酢と油で作る調味料。

 

マヨネーズ

 

うん、美味しいよね。私も嫌いじゃないよ。

宝物を見つけたようにはしゃぐキリノはマヨネーズをカゴに入れた。一本、二本、三本……ん?

 

「ねえ、私たち三泊四日で帰るんだよね? 一本で十分じゃないかな」

「はい。だから一日に一本の計算です。通常サイズなのでこれでも控えめですよ?」

 

控えめ。……一日一本が控えめ?

ごめん、キリノがなにを言っているのか私には理解できない。

 

思考が停止した私をその場に残し、上機嫌な様子のキリノはカートを押してレジに向かった。

嘘でしょ……キリノってマヨラーだったんだ。それも重度なやつ。

 

 

 

 

 

 

 

午前のパトロールを終えて交番に到着。

フブキは暇そうにテレビを見てた。ん、ただいま。こっちはなにもなかったよ。交番の方も来客とか電話はなかったみたい。後は勤務日誌に巡回終了時刻を記入して完了となる。

 

事務仕事は触れないのでキリノにお任せ。私は購入してきた品を冷蔵庫にしまっておいた。

その後はお昼休憩まで自由時間。だって仕事がないんだもん。一応、キリノが来客に備えて事務机に座ったけど視線の先はテレビだ。

 

フブキは来客用ソファを占拠してごろ寝を開始。私はどうしようかな。

悩んでいるとスマホがメッセージを受信。先生からのモモトーク。内容は……セリカとの二回目の面談について? そういえば、最初の面談は全然お話できなかったね。

 

私の予定に合わせてくれるみたいだけど……今は支所当番中。それにカンナも参加したがってたからすぐには返事ができない。一旦保留をお願いしたら了承してくれた。

ついでに先生の近況を聞いてみると今はミレニアムでお仕事中。アビドスの次はミレニアムか。生徒のためにあちこち飛び回って忙しそう。ん、お疲れさまです。

 

 

 

テレビが十二時を知らせてお昼のニュースが始まった。お腹空いた。

結局、やることが思いつかなくてテレビで暇つぶししてたら午前が終了。午後はなにか仕事があるといいな。

 

「お昼にしましょう。本来は交代制で一人ずつ食事と休憩を取りますが、シロコさんの監視義務があるので全員で食べましょう」

「わかった。二人とも、迷惑をかけてごめんなさい」

「そんなに気にしなくていいよー。ていうか、一人ずつだと休憩時間が短いんだよね。だけど全員一緒なら一時間、丸々休めるじゃない? 結果オーライだねぇ」

「フブキ……まあいいです。ただし、日中に詰所を無人にすることはできません。私はここで待機しますので二人で用意をお願いします」

 

キリノの指示に従って給湯室に向かう。お弁当を電子レンジで温めるのはフブキに任せ、私は割り箸と紙コップ、天然水、濡れ布巾をおぼんに用意して運ぶ。

詰所のテーブルを布巾で拭きあげたら箸とコップを並べる。おぼんを空にして引き返し、今度はお弁当とサラダカップ、キリノが使うであろうマヨネーズを並べた。

 

最後に交代で手を洗って来客用ソファに座ったら準備完了。いただきます。

大きな唐揚げと千切りキャベツ、そして白米。シンプルなお弁当。唐揚げは王道の醤油味。ご飯が進むに決まってる。美味しい。油物の後は千切りキャベツで口直し。でも量が少ない。

 

だからサラダカップを追加で購入した。レタスをメインにコーン、ニンジン、オニオンの生野菜サラダ。酸味のあるフレンチドレッシングが合うね。美味い。

正面に座ってるフブキも美味しそうに食べている。お弁当のチョイスは間違ってなかったみたい。よかった。

 

その隣……キリノの方はあまり見ないでおく。だってマヨネーズがこんもりと乗ってるんだもん。見てるだけで胸焼けしそう。

 

「スーパーの唐揚げですが美味しいですね。マヨネーズとの相性はバッチリです!」

「……そうだね」

「……ん」

 

キリノにマヨネーズを勧められたけどお断りして完食。ごちそうさまでした。

 

 

 

外水栓で空の容器を軽く水洗い。水気を振るい落としてから可燃ごみ専用のポリバケツへ。

一手間かかるけど、こうすると悪臭や害虫の発生を抑えられるとキリノが教えてくれた。牢屋暮らしの私にはあまり活用できないけど覚えておこう。

 

さて、食事の後は休憩だ。詰所の来客用ソファは向かい合う二脚だけ。どうする? 私は座って寝れるからパイプ椅子で構わない。

 

「キリノは奥で布団使いなよ。早朝に長距離運転したから疲れてるでしょ?」

「そうだね。キリノはしっかり休むべき。詰所は私とフブキに任せてほしい」

「え? ですが……」

「私はさっき寝かせてもらったからねぇ。だから遠慮しないで寝ておいでよ」

 

キリノはためらっていたけどフブキに促されて奥に向かった。さっき、ごみの片付けをしてる最中に何度も欠伸したり目をこすってたの、フブキも気がついてたんだね。

 

「まあね~。んじゃ、ソファは空いてるしシロコちゃんも昼寝していいよ」

「ん、じゃあお言葉に甘えさせてもらう。二十分で起きるから」

「……それだけでいいの? 今からならもっと寝られるのに」

「大丈夫、パワーナップだよ。横になると胃に悪いから座ってるね」

 

制帽を脱いでソファに深く座り背中を預ける。念のため、スマホのアラームをセットしてから目を閉じた。それではおやすみなさい。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

シロコちゃんが目を閉じてから三分も経たずに寝息が聞こえてきた。

なるほど、これは確かに寝つきが良いとかいうレベルじゃないね。そもそも仮眠のはずが完全に眠りに落ちている。局長が危惧するのも当然だ。

 

パワーナップは脳を休ませる休息法で深い眠り……ノンレム睡眠まで移行すると逆に目覚めが悪くなる。だからウトウトとした状態を維持するのがコツなのに、シロコちゃんは寝入ってしまった。

 

(これで寝起きがどうなるかだね。寝ぼけてなければアウトだよ)

 

今回の支所当番だけど、シロコちゃんには言えない隠し事がいくつかある。

その一つが睡眠状況の確認だ。三日間の共同生活で様子を監視するように頼まれてる。これは局長から内密に受けた話でキリノも知らない。

 

(キリノには無理だよ。腹芸とか苦手だし、カンナ局長との仲も悪いしさ)

 

にしても、まさか睡眠負債とはなぁ。……でもたぶん、それだけじゃない。

局長はまだ気がついてないけど、シロコちゃんは睡眠に関する問題をもう一つ抱えているはずだ。それを今夜、確認しよう。

 

カバンの底に隠してある保険。それの出番がなければいいんだけどね。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

目を開くのと同時にアラームが鳴った。仮眠を始めてちょうど二十分。問題なく起床できた。

ソファから立ち上がり手足を伸ばしてほぐす。ん、問題なし。

 

事務机の席に座ってたフブキと目が合った。おはようフブキ。

 

「おはようシロコちゃん。体調はどう? 朝早かったしさ、まだ寝足りないんじゃない?」

「すこぶる快調だよ。眠気も感じないし元気一杯」

「……そっかー。ならいいんだよ。ちょっとトイレ行ってくるから留守番お願いね」

「ん、行ってらっしゃい」

 

フブキが席を立って廊下に向かった。なんか少し表情が硬かったけど……もしかして、私が起きるまで我慢してたのかな? それは悪いことをした。

 

制帽をかぶり直して事務机に着く。二人が不在の詰所。今だけは私が責任者だ。えっへん。

 

 

 

帰ってきたフブキと交代で顔を洗い歯を磨く。午後の準備は万全。

キリノも十三時前に仮眠から戻ってきたので休憩はおしまい。さあ、お仕事を再開しよう。

 

……意気込んでみたけど出番はないわけで。相変わらず誰も来ないし電話は鳴らない。

ヴァルキューレの警察無線も静かなままだ。暇だね。

 

フブキは私物の小型ラジオを持ち出して音楽チャンネルを聴いてるし、キリノもフブキを叱ることもなくSNSのニュースを見てる。

私は交番の工具箱を借りて制式拳銃の分解整備。別に必要ないんだけど手持ち無沙汰なんだもん。

 

そうやって各自で暇をつぶしていると午後のパトロールの時間になった。

今度はキリノが留守番でフブキと一緒に出る。出るんだけど……フブキが寝落ちしてた。ラジオに夢中だと思ってたら寝てたんだね。

 

さすがにキリノが怒ってフブキを叩き起こす。朝と同じように頬をつねられていたので私も参加。ん、やっぱりよく伸びる。

 

 

 

 

 

 

 

両の頬を押さえてるフブキとパトロールに出発。

フブキの止まらない雑談に付き合いながら順路を歩く。退屈そうな顔をしてるけど実際はあちこち視線を向けて異変がないかチェックしてるよね。優秀な大先輩だ。

 

問題は妖怪ドーナッツ娘の偏愛がにじみ出始めたこと。こんな田舎にドーナッツ屋なんてあるわけない。食べたくなるからあんまり言わないでよ。残念な大先輩め。

 

「だってぇ、最後にドーナッツを食べてからもう何時間経ったか……。ああ、ドーナッツぅ」

「そうなんだ。辛いね」

「そうだよ辛いんだよー。ドーナッツが食べたい~」

「そうなんだ。あるといいね」

 

適当にあしらいながら歩いているとミニスーパーが見えてきた。するとフブキがスーパーめがけて走り出す。ちょっと、まだ警らの途中なんだけど?

 

「お店に立ち寄って店内を見回るんだよ。これは立派なパトロール活動!」

 

フブキは引き留める間もなく、店内に駆け込んだ。単独行動ができない私は後を追うしかない。

これ、悪いのはフブキだからね? 私は悪くない。

 

 

 

ミニスーパーに入店するとフブキは駄菓子コーナーを物色中。あれは放置しよう。

私はお弁当コーナーに向かう。お昼が肉類だったし夜は魚にしようかな? 大きな焼き鮭が目立つ幕の内弁当を発見。これでいいや。

 

三人分をカゴに入れてお会計。レシートをもらって買い物完了。後でキリノに提出する。

警察業務中の買い物はヴァルキューレが必要経費として認めた場合、後払いしてくれる。でも私は生徒じゃないから給料とか賞与は発生しないはず。どうするんだろう?

 

まあ別に払われなくても構わない。賞金首で稼いでるし不満はないよ。

フブキがマネーカードを用意してくれるまでは面倒だったなぁ。補給の度に本校に戻ってたから、遠出が難しいし時間を無駄にしてた。

 

「お待たせ~。それじゃパトロールの続きしながら帰ろっか」

 

入り口で待ってるとパンパンに膨らんだビニール袋を持ったフブキが現れた。……なにそれ、もしかしてドーナッツ?

 

「残念だけどドーナッツは無かったよ。これは代わりの品だねぇ」

 

ミニドーナツ。

 

うん、美味しいよね。私も甘い物は好きだよ。ただ、買い占めるのはやりすぎ。

マヨラーと妖怪ドーナッツ娘……はたしてどちらがマシなんだろうか。もういいや、帰ろう。

 

 

 

 

 

 

 

交番に到着して本日の地域パトロールは終了。

ただいまキリノ。特に異常は見つからなかったよ。それと買い出しのレシート、渡しておくね。

 

「はい、確かに……。購入したのはお弁当三つだけ? フブキが持っている袋はなんですか?」

「それは本人に聞いて」

 

フブキをその場に残し、私は足早に給湯室に向かった。背後からキリノの怒声とフブキの悲鳴。交番勤務に不要なおやつを買い漁ったことと、レシートの購入時間からパトロールをサボったことがバレた。これは大先輩の自業自得だから助けない。

 

その後は買ってしまったものは仕方がないと、ミニドーナツと無糖アイスティでおやつにしたり、夕方の立ち番をこなしたりして時刻は十八時を回った。この交番は夜勤がないから、これで一日の警察業務は終了になる。

 

最後にキリノがテンプレートに入力した日報をヴァルキューレに送信。それとは別に、交番の勤務日誌を書きあげたらおしまい。ん、お疲れさま。

 

気になる夜間対応だけど正面玄関は施錠しない。詰所の照明も一晩中、点灯したまま。

代わりに玄関と詰所の間にある仕切り扉を閉める。これで玄関から人が入ってきても所内まで侵入されないわけだね。

 

さらに防犯装置を起動。人感センサーが反応すると宿直室の照明が自動点灯して音が鳴る仕組み。これなら奥で休んでいても素早く応対できる。安心した。

 

 

 

 

 

 

 

さて、戸締りが終わったら夕食にしよう。

宿直室の折りたたみ式の座卓を広げてお弁当を並べる。全員座ったらいただきます。

 

焼き鮭、黒ゴマが散らされた白米、玉子焼き、野菜の煮物、それと漬物が少々。塩の効いた鮭は旨味と合わさってご飯のお供だ。甘辛く煮込まれたニンジンやシイタケ、タケノコも美味い。玉子焼きはちょっと残念な味付けでがっかり。お漬物も残さず食べきって、ごちそうさまでした。

 

ちなみにキリノのお弁当はマヨネーズの海だった。煮物にマヨ……? マヨラー恐るべし!

 

夕食の後は順番に汗を流す。私の監視があるから真ん中は私で固定。そしてじゃんけんの結果、今日はフブキが先に入ることになった。ごゆっくり。

 

宿直室でキリノと二人きり。フブキが部屋を出たから会話が途切れるかと思ったけど……普通に世間話が続いてる。なんでだろう?

……思えば、パトロールのときも違ったような。いつもの居心地の悪さとか気まずさなんて、そんなに感じなかった。今日は機嫌がよかったのかな?

 

美味しい食堂の話題で盛り上がっているとフブキが帰ってきた。じゃあシャワーを浴びてくるね。着替えを用意してシャワールームへ。脱衣所はカーテンを閉めるだけの簡易的な作りだ。

折れ戸を開けると単身用のユニット式シャワー。小さな交番だけあって広さも相応。

 

頭から湯を浴びて汗を流す。気持ちいい。

備え付けのソープボトルの中身は本校と同じ業務用。私は慣れてるからこれで十分。全身を洗ったら泡を洗い流してきれいさっぱり。本日も十分程度のカラスの行水でシャワーはおしまい。

 

バスタオルで体の水気を拭き取ったら下着と部屋着を身に着ける。……やっぱり、タンクトップとショーパンの生地が薄かった。ちょっと心許ないけどすでに手遅れ。我慢するしかない。

脱いだ服とタオルは洗濯カゴに入れておく。洗濯は明日の朝だ。朝礼前のお仕事だから忘れないようにしよう。

 

 

 

宿直室に戻ると布団が敷いてあった。六畳間に三人分だから手狭だね。隣同士の間隔もほぼない。交代でシャワーに向かったキリノを見送り、残ったフブキに視線を向けると……なにしてるの?

 

頭にタオルを巻いたワンピースパジャマ姿のフブキが、布団に座り込んで顔をマッサージしてる。その目の前には小さなボトルが三本。かすかに香料の匂い。

 

「スキンケアだよー。化粧水と乳液。それと後で使うヘアオイルだね」

「……お肌の手入れだっけ? カンナは石鹸だけだったけど、フブキは色々使うんだね」

は?

「ん?」

 

フブキと目が合った。なんか威圧されてる気分。ええと、なにか変なこと言ったかな。

 

「ねえシロコちゃん? 局長って、どんなふうに肌のお手入れしてたの?」

「どうって……朝はぬるま湯で洗顔。夜だけ石鹸で洗顔してたよ。それだけだった」

「化粧水とか乳液とか保湿液は?」

「使ってなかったよ」

 

カンナは強い香りを避けてるからフェイスケアとかお化粧は最低限。無香料でもカンナの嗅覚だと鼻につくと避けてたんだよね。だからお気に入りの石鹸で洗顔だけしてた。

私がお化粧とかファッションに興味がないのもこれが理由。同居人がやらないんだもん。

 

「なるほどねぇ。あの美人さんフェイスが洗顔だけで維持されてたとは……羨ましい~!」

 

私の話を聞きながらもフブキはお手入れを続けている。今はヘアオイルを揉み込んでドライヤーで乾燥させ始めた。ん……これいい匂いだね。石鹸みたいな香りがする。

 

「これはサボンって言うんだよ。私もお巡りさんだから香りには気を使うさ。……そうだ、シロコちゃんもやってみない? まだ髪が湿ってるでしょ?」

「あ、うん。タオルドライはまだだよ。キリノがシャワーを待ってるからね。髪はこっちで拭くつもりだった」

「ならちょうどいいじゃん。私はもう終わったからやってあげるよ。ほらおいで」

「……じゃあ、お願いします」

 

フブキの指示に従って正面に座る。柔らかい布団の上だから正座でいいよね。ちゃんとしたお手入れなんて初めて。興味がないのは本当だけど……それでも少しだけドキドキする。

 

「まずはスキンケアだね。乳液は肌の相性があるし、今回は化粧水だけにしておくから」

「よくわからないから任せるよ」

「りょーかい。んじゃ、顔に触るよ。少しひんやりするからねー」

 

化粧水を両手に塗り広げたフブキが私の頬を触った。ん、スースーする。

 

 

 

化粧水とヘアオイルのケアが終わった。顔を撫でまわされたりマッサージされるの気持ちいいね。髪のお手入れもよかった。ふんわり石鹸の匂いで触るとツヤツヤする。私の髪じゃないみたい。

ヘアオイルは素晴らしい。ありがとうフブキ。

 

「どういたしまして。シロコちゃんは普段から紫外線や空気の乾燥にさらされてるせいか、髪の痛みが気になるね。なにか対策を考えた方がいいかも」

「太陽の下を自転車で走り回ればそうもなりますよ。ヘアオイルは慣れが必要ですし時間もかかります。なのでダメージケアシャンプーはどうでしょうか?」

 

シャワーから上がったキリノも髪の手入れをしながら会話に参加してる。ダメージケアシャンプーなんてあるんだ。コンビニやドラッグストアで売れてるの? ふむふむ。

スマホで検索してみると確かにあるね。でもボトルタイプは困る。私は囚人で私物入れのロッカーが無いからシャワールームに持ち込むのが難しい。

 

悩んでいると小分けされたパウチを発見。旅行とか外出用に一回分だけの使い切りタイプだ。これならなんとかなりそう。明日、朝食を買いにコンビニに行くから探してみよう。

 

さて、雑談で盛り上がり時刻は二十時を過ぎた。消灯は二十一時だけどフブキとキリノはもう眠たそうで欠伸してる。今日は全員早起きだったし、そろそろ寝ようか。

就寝前の準備としてフブキがナイトキャップという帽子をかぶり、キリノは髪をゆるい三つ編みにまとめる。私はカンナにモモトークで夜の挨拶を済ませた。そしたら最後に拘束だね。

 

キリノが私の両手に手錠をはめる。そして引き戸を内側から施錠した。たったそれだけ。

囚人への対応にしてはあまりにもお粗末。簡単に脱走できる状況だ。でも私は逃げたりしないよ。それは二人の善意を踏みにじることだからね。朝まで大人しく寝ていよう。

 

真ん中の布団に潜りこむ。今日も一日、お疲れさまでした。ん、おやすみ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

宿直室の明かりを常夜灯に変更して数分。

隣のシロコさんは頭頂部の獣耳だけ残し、頭まで布団をかぶって寝てしまいました。すでに寝息が聞こえます。すさまじい寝付きの良さですね。

 

環境が変わってもすぐに眠れるなんて、まるで軍人じゃないですか。こういう細かい部分でも私との違いを感じてしまう。警察官としての敗北感。私の方が……劣っている気がするんです。

……ああ、駄目だ。一度考えだしたら、心の中でモヤモヤしたものがどんどん膨らんでいく。おかげで眠気が引っ込んでしまいました。

 

静かに上半身を起こして小さくため息をつく。そのまま心を落ち着かせようとぼんやりしているとシロコさんが布団の中で身じろぎ。起こしてしまったかと思いましたが、違うようですね。

 

(それにしても、なぜ顔を隠すように眠るのでしょう? 息苦しいと思うのですが……)

 

少しの親切心と大きな好奇心。どんな顔をして寝ているのかが気になって、布団を捲って―――

 

「キリノ」

 

―――捲ろうとした手が止まる。いつの間にかフブキが体を起こし、私を見ていました。

 

 

 

フブキに連れられて宿直室から廊下へ出てきました。気まずくて目が合わせられません。

 

「あの、フブキ。さっきのは、その……」

「駄目だよキリノ。シロコちゃんの布団を捲ってはいけない。あれはね、心の防衛反応なんだよ」

「……はい?」

 

心の防衛反応? フブキがなにを言っているのかよくわかりません。どういうことですか?

 

「生活安全局の新人研修でさ、養護施設の見学に行ったの覚えてる? そこで施設の職員さんからブランケット症候群っていうのを習ったよね?」

「新人研修で……ああ、思い出しました。確か―――」

 

ブランケット症候群。

幼い子供が特定対象物、又は特定行為へ強い依存や執着が見られる状態。ストレスからの逃避や、精神的安定を保つために行う。親と急に引き離されたり、将来に対する不安が原因と考えられる。

 

「という解説だったと記憶しています。……えっ、まさか、布団をかぶる行為がそれだと?」

「そうだよ。私は留置施設でシロコちゃんが寝ている姿を何度か見たことがある。そのとき、必ず毛布を頭からかぶってるんだよ。看守に確認したら、収容されてからずっとそうやって寝てる」

「収容されてからって……一年以上ですよ!? では、その間……ずっと?」

「キリノはシロコちゃんの過去を知ってるよね? 逮捕されて、局長から引き離されて、そして収容されてから……ずっとさ。そうしないと、シロコちゃんは安心して眠れないんだよ」

 

私の問いかけにフブキは暗い顔で答えてくれました。まさか、シロコさんがそんな問題を抱えていたなんて、私は知らな―――……あっ。

 

 

そうだ、私は知らないんだ。

 

 

カンナ局長からシロコさんの境遇と現状、そして関係は聞きました。そこは知っています。

でもシロコさん本人のことは……よく知りません。

 

「ねえキリノ、前に宿題を出したよね。砂狼シロコが何歳に見えるかって。答えは出そう?」

「……まだわかりません」

 

ええ、わかりませんよ。だって私は今、シロコさんを知らないことに……いえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに、ようやく気がついたんですから。

 

 

私が知っていることなんて―――

 

『ひとりぼっちは……やだ……そばに、いて……』

 

―――寂しがり屋なことくらいです。

 

 

「しょうがないなぁ、じゃあもう少し待つよ。……そうだ、アドバイスを一つしておくね」

「アドバイスですか?」

「うん。キリノはね、もうちょっと気楽に考えていいと思うよ?」

「それは……難しいことを言ってくれますね」

 

フブキが言いたいことはわかります。でも感情を制御するのは難しいんですよ。とてもね。

簡単には捨てれません。溜め込んだ気持ちも同様です。

 

「……まあ、急ぐ必要はないから。それじゃ私は寝るよ。おやすみ~」

「はい、おやすみ」

 

フブキは宿直室に入っていきました。私は……洗面所に向かいます。

蛇口のハンドルをひねり、流れ出た冷たい水で顔をジャブジャブと洗う。以前にもこうやって気分転換しました。

 

でも、今夜の方が気分がすっきりしています。これなら寝られそうですね。

 

宿直室へ向かい扉を施錠。戸締り確認、よし。

寝ている二人を起こさないよう、静かに自分の布団へ潜りこみました。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、息苦しさを感じて目を覚ましたら―――シロコさんが布団の中に居ました。

なぜか私に覆いかぶさり、胸を触っています。……どういう状況でありますか!?

 

「あ、おはよーキリノ。朝から仲良しさんだねぇ~」

 

先に起きていたフブキがニヤニヤしながらこちらを見ていました。理解が追いつきません。

 

「フブキ、なにを言ってるんですか。というか、これは一体……?」

「親離れできてない子猫みたいなものでしょ。ふみふみして甘えてるんだよ。かわいいじゃん」

 

子猫って……まあ確かに、ただ胸を押しているだけですね。

寝ぼけていると思えば……? いえ、やっぱり駄目です! 乙女の胸は安くないんです!

 

「シロコさん、起きてください! 起きなさい!!

 

 

 

 





メインストーリー第二部とFOX実装おめでとう!
尚、公式設定に殴られそうで戦々恐々な毎日です。

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