主人公兼ヒロインであるカヤをskebにて世界一位様に書いていただきました
旧Twitter:@Seka_ichi
※成人向けコンテンツを取り扱っているため18歳未満の方は閲覧をお控えください
【挿絵表示】
大変素晴らしいイラストで大満足です
そのイラスト披露記念としてちょっとした小話を投稿させていただきます
ファミレスの熱量と密室の絶対零度
七月中旬、高校三年生の夏。進学校であるこの高校において、一学期の期末テストは単なる定期考査じゃない。推薦枠の獲得や本格的な受験シーズンに向けたクラス分けを左右する大変重要な意味を持つ戦いだ。
その重圧からようやく解放された今日の放課後、駅前のファミリーレストランは俺たちと同じように生き返ったような顔をした高校生たちの喧騒で溢れかえっていた。
「はーっ……! 終わった終わった! これでやっと地獄から解放された!」
ドリンクバーから戻ってきた麻依が、氷がたっぷり入ったメロンソーダのグラスをテーブルにドンッと置きながら、大げさに背伸びをした。
「ほんとそれ。今回の日本史、範囲エグすぎ。マジで推薦の評定に関わるから徹夜で詰め込んだけど、頭パンクするかと思ったわ」
向かいの席でストローを噛みながらボヤいたのは瑠璃だ。彼女は中学時代から麻依と同じダンススクールに通っていて、高校でも一年生の時から文化祭のダンサーチームを引っ張っている活発な子だ。
「瑠璃、あんたテスト前日までダンスの動画見てたじゃん。私と瑠璃は良くも悪くもずっと学年の中間層キープって感じだけどさ、今回はマジでギリギリかも」
麻依が山盛りのフライドポテトを口に放り込みながら笑う。
「まあまあ、二人ともお疲れ。私はとりあえず、これでやっと一息つけるよ……」
瑠璃の隣に座る
「大会とテスト勉強の両立、マジで死ぬかと思った。でもこれで部活は引退だし、夏からは心置きなく受験勉強に専念できるわ」
「純恋は部活やりながらでも、しっかり学年上位の成績キープしてるんだから本当にすごいよ。体力どうなってんの?」
俺が心底感心して言うと、純恋はカラカラと笑った。
「時間の使い方が上手いって言ってよ。でも、うちの『トップ層』であるカヤには絶対敵わないけどね。今回も余裕だったでしょ?」
「……まあね。やるべき準備は全部やったし、手応えはあるよ」
俺は両手で包み込んでいたティーカップからそっと口を離し、ふっと息を吐いた。真夏だというのに、俺の手の中にあるのはホットのダージリンティーだ。
アスリスが安定期へ向かい始めてから1年が経った今でも平熱は34℃台という極端な低体温を持ったまま。そのためファミレスの冷房はシベリアの寒風に等しい。夏服のブラウスの上に厚手の指定カーディガンをしっかり羽織っていても、指先はじんわりと冷え切っていた。
成績に関しては、今の俺は誰よりも自信と余裕があった。中学時代、いじめと転落の泥濘の中で完全に勉強からドロップアウトし、絶望的な遅れをとっていた。けれど、皓二朗に救われて死に物狂いでこの進学校に入り、高校の一年生の頃から彼と一緒に図書室で勉強会を重ねてきた。
彼に基礎から教えてもらい、自分でも狂ったように机に向かった結果、今では学年の枠組みの中でも上から数えた方が早い――間違いなくトップ層に返り咲いていた。今回のテストも、自分の頭の中に完璧な理論が組み上がっているのを感じながらペンを走らせることができたのだ。
「さすが優等生。ていうかさ、一年生の時から三年間ずっと同じクラスの私からすると、今のカヤがこうやってウチらとファミレスでポテトつまみながらテストの愚痴言い合ってるの、すっごい感慨深いわ」
麻依がニヤニヤしながら私に視線を向けてくる。
「あー、わかるかも」
純恋が手を叩いて同意した。
「私は二年生からカヤと同じクラスになったからさ。一年生の頃は噂っていうか、廊下とか学校行事で見かけるくらいだったじゃん。あの頃のカヤって、なんかこう……『深窓の令嬢』とか『高嶺の花』って感じで、別世界の人間みたいなオーラ出てたよね」
「そうそう!」
瑠璃も身を乗り出す。
「銀縁の眼鏡かけてさ、いっつも分厚い本持ってて。近寄りがたい美人って感じで超有名だったっしょ。でも二年生の進級のタイミングで、カヤがその眼鏡外して登校してきた時はマジでビビった! しかも話してみたら全然普通にノリいいし、今じゃその『高嶺の花』のイメージ、完全にどっか行っちゃったもんね」
「……っ、それは……その節は、色々とこじらせてたから……」
俺は居心地が悪くなって、ティーカップの縁に視線を落とした。二年生に進級する春、俺は皓二朗という確かな居場所を得て、ようやく『九条綴』という完璧な仮面――あの伊達の銀縁眼鏡を完璧に手放すことができた。
今では瑠璃や純恋たちとこうして過ごす時間の方が長くなり、彼女たちの中での俺の印象は、すっかり等身大の「カヤ」として上書きされている。
「瑠璃たち、もったいないことしたねー。一年の頃のカヤのあの『完璧なお嬢様ロールプレイ』、マジで面白かったんだから。何かにつけて『ごきげんよう』とか言っちゃってさ!」
麻依が楽しそうに当時の俺の黒歴史を暴露し始める。
「ええーっ、何それ見たい! 今のカヤの『ごきげんよう』、超聞きたいんだけど!」
「カヤ、ちょっと一回やってみてよ! 当時の感じで!」
純恋と瑠璃が目を輝かせて囃し立ててくる。これはもう、麻依から昔の俺の話が出るたびに繰り返される定番のノリだ。
「絶対にやらない! ていうか麻依、いい加減そのネタ擦り倒すのやめてよ! 恥ずかしくて死にたくなる!」
俺が顔を真っ赤にして抗議するも、三人の笑い声は止まらない。こうして昔の痛々しい自分を笑い飛ばせるようになったのも、間違いなくこの気の置けない友人たちのおかげだ。
「でもさー、そんな元・高嶺の花のカヤさんは最後の夏休みはどうすんの? やっぱり彼氏様と予備校デート?」
ひとしきり笑った後、純恋が少し声を潜めてストローで器用に氷を回しながらニヤリと笑った。
「んー……お互い受験生だし、基本は予備校の自習室か図書館で勉強だよ。たまに息抜きで映画とか近場でご飯食べるくらいかな」
俺が素直に答えると、三人はあからさまにブーイングを飛ばしてきた。
「えー、つまんない! 高三の夏なんて一生に一度なんだよ!? 瀬戸くんもさー、もっとカヤをいろんなとこ連れ回せばいいのに」
瑠璃が不満げに唇を尖らせる。
「いや、私が人混みとか暑いとこ極端に苦手なの分かってるから、皓二朗が気を使ってくれてるんだよ」
「出た。瀬戸くんのカヤに対する過保護っぷりね」
純恋がパンッと手を叩いた。
「そういえばさ、こないだの日曜日に私、駅前でカヤと瀬戸くん見たよ」
「えっ!?」
「あ! 私もこの前見た! ヤバくない?」
瑠璃が身を乗り出す。
「瀬戸くん、カヤの代わりに日傘差して歩いてたんだよ! しかもカヤに日が当たらないようにめっちゃ角度計算しててさ。人混み歩く時も、すれ違う人にカヤがぶつからないようにさりげなく肩抱いてガードしてたの。どこのお姫様と騎士だよって思ったし!」
純恋の暴露に、俺は顔から火が出そうになった。
「あ、あれは……! 違うの、私が日傘持って歩いてたら、あいつが『疲れるだろ』って言って勝手に奪って差してただけで……っ。私が暑さに弱くてすぐバテるから、ただ気を利かせてくれただけで……!」
「はいはい、ごちそうさま。相変わらず溺愛されてんねー」
麻依がニヤニヤしながらポテトを頬張る。
「まあ、カヤは平熱34℃しかない特異体質だし、瀬戸くんが心配するのも分かるけどさ。それにしても甘やかされすぎでしょ」
「……もう、私の話はいいでしょ!」
これ以上皓二朗との惚気を暴かれるのはたまらないと、俺は無理やり話題の矛先を変えることにした。
「みんなはどうなの。人のことばっかり言ってるけど……。そういえば麻依、そっちこそ栄太とどうにか進展したわけ?」
俺が不意打ちで放った爆弾に、今度は麻依がポテトを喉に詰まらせかけ、盛大に咳き込んだ。
「ぶっ……!? な、なんでそこで栄太の名前が出てくるわけ!?」
「え、何それ!?」
純恋の目が獲物を見つけた猛獣のようにギラリと輝いた。
「ちょっと麻依、高橋くんと何かあんの!? 私それ聞いてないんだけど!」
「いや、瑠璃は知ってるよね?」
俺は瑠璃に同意を求めるように視線を送る。
「あー、うん。なんとなく、最近二人でよく一緒にいるなーっては思ってた」
瑠璃がニヤニヤしながら頷いた。
「テスト前もさ、自習室の帰りに二人でファミレス寄ってなかった?」
「あ、あれはただ勉強の効率化のために情報交換してただけで……っ!」
麻依の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。完全に形勢逆転だ。
「情報交換ねぇ」
俺は意地悪く口角を上げる。
「麻依、最近、週末も高橋と二人で映画行ったりしてるでしょ? 皓二朗伝いに聞いたんだけど」
「おっ!」
純恋と瑠璃が同時に身を乗り出し、にわかにテーブルが盛り上がった。
「二人きりで映画なんて完全にデートじゃん! やるぅ!」
「ちょっと瀬戸くん!! 何カヤに筒抜けにしてんのよあいつはー!?」
麻依が頭を抱えた後、観念したように息を吐き出した。
「デートじゃないから! それがさ……観たジャンル、ゴリゴリのハリウッドのアクション映画だよ。爆発ドッカーン! みたいな」
「「あー……」」
麻依を除く三人のテンションが見事に揃って落ち着いた。
「まあ、高橋くんらしいっていうか。色気はないね」と瑠璃が苦笑する。
「でもね!」
麻依が身を乗り出して力説する。
「映画見ながら、ポップコーンをシェアしたの! 一つの入れ物から一緒に!」
「おおーっ!」
再び純恋と瑠璃の目が輝く。
「それめっちゃ王道じゃん! 手とか触れ合っちゃうやつ!」
「……Lサイズだったの」
「「あー……」」
またしても急降下する熱量。
「バケツみたいな大きさでさ、なんかもうロマンチックっていうより『量多すぎ、これ食べ切れるかな』って方にばっかり意識が向いちゃって……」
麻依がガックリと肩を落とす。
「でもね、館内は暗いし、これはチャンスだと思って! 手を繋ごうと頑張ったの!」
麻依の言葉に、俺を含めた三人がゴクリと唾を飲み込んだ。
「でもアイツ、映画に感情移入しすぎて喜怒哀楽が激しいの! ピンチのシーンとかで、ずっと身体の前で両手の拳をギュッて握りしめたりしてて、全然隙がなくて!」
「目に浮かぶわ……」
俺は呆れ半分で頷いた。
「で、映画の終盤でやっとアイツの手が膝の上に置かれたから、ここだ!と思ってそっと握ったの!」
「おぉっ!! で!? どうなったの!?」
瑠璃が身を乗り出す。
「……アイツの手、ポップコーンのバターでベタベタだった」
「「うわぁ……」」
「しかもさ! 私が手を握ったのをアイツ『麻依もポップコーンもっと食べたいんだな!』って勘違いして、無言でLサイズのバケットを私の膝の上にドンッて押し付けてきたんだよ!? 手なんてすぐ離されて! 私、悔しくて最後まで意地で食い切ってやったわ!」
「ギャハハハハ!」
あまりの不憫さに、純恋と瑠璃が大爆笑する。俺も耐えきれずに吹き出してしまった。
「笑い事じゃないってば! で、映画が終わってすぐだよ。アイツ何て言ったと思う?」
麻依がメロンソーダをヤケクソ気味に煽る。
「『お、麻依、腹減ったか? あそこのラーメン屋、大盛り無料で美味いぞ!』って、色気の欠片もない顔で言ってきたのよ!?」
「えええーっ!?」
「ポップコーンLサイズ完食した直後にラーメン!? 拷問じゃん!」
純恋と瑠璃が笑いと深すぎる同情の混ざった声を上げた。お腹いっぱいで食べ物なんて入らないタイミングでのその選択は、あまりにも高橋栄太すぎた。
「でしょ!? なのに私、ムカつきすぎてアイツと一緒に大盛りラーメンちゃんと食べきってやったからね! スープまで飲み干してやったわ!」
「凄すぎる……。その意地、ベクトル間違ってない?」
俺がドン引きしながら言うと、麻依はテーブルに突っ伏して地鳴りのような声を漏らした。
「そしたらさ……帰り道にアイツ、めっちゃ爽やかな笑顔で私の肩をガシッと掴んで……『お前は、俺の食欲についてこれる最高の相棒だな! 女子の中じゃ一番仲良いし、瀬戸と同じくらい大事なマブダチだぜ!』って、親指立ててきたんだからね!!」
「「「マブダチ!!」」」
「誰がマブダチじゃボケぇーーーっ!! 男友達と名前並べんな!!」
麻依の魂の叫びがファミレスの冷房を突き破る。
「あはははは! 完全に男友達枠に綺麗に入っちゃってるじゃん!」
純恋がお腹を抱えて笑い転げ、瑠璃も涙を拭っている。麻依から見た限り、高橋の言葉に恋愛的なニュアンスはまるで――本当に一ミリもなさそうだった。純粋に「自分の食欲についてこられる同性の親友」と同じカテゴリーに入れられて喜んでいる彼の顔が、容易に想像できてしまう。
「ねえカヤ、あいつの脳みそマジでどうなってんの!? 筋肉でできてる瀬戸くんの方が、まだカヤに対して何百倍も男として機能してるよ! 栄太の鈍感バリア、どうやったらぶっ壊せんの!?」
「私に聞かれても困るよ……。でも栄太の場合、悪気がないから余計にタチが悪いよね。完全に麻依のことを『気の合う最高の相棒』だと思い込んでる」
俺は冷たいポテトを口に放り込みながら、少し気の毒そうに笑った。
「あいつの理性をぶっ壊すにはさ……」
純恋が不敵に笑いながら、再び声を潜めた。
「今年の夏休み、ちょっと大胆な作戦仕掛けるしかないんじゃない? 瑠璃、出番だよ。ダンス仕込みの色気ってやつを麻依に叩き込んであげて」
「任せといて。高橋くんの目を覚まさせるくらいのメニュー、考えてあげるから」
「ちょっと二人とも、変なこと企まないでよ……!」
麻依が顔を真っ赤にしながらも、どこか期待を隠せない様子で二人を見つめる。ファミレスの冷房の寒さなんて完全に吹き飛び、俺たちのテーブルは、麻依の不憫すぎる恋愛事情と高橋栄太攻略会議の熱気で、一気に沸騰していった。
◆
女子たちが駅前のファミレスで華やかな恋バナに花を咲かせていたのとは対照的に、高橋栄太の自室は男子高校生四人が発するむさ苦しい熱気とコンソメ味のスナック菓子の匂い、そしてテレビ画面から流れる対戦格闘ゲームのけたたましい電子音で満たされていた。
「……はい、そこ。隙だらけだぞ」
画面の中で派手なエフェクトが弾け、K.Oの文字が浮かび上がる。テレビの前に陣取っていた健斗は、熱くなることもなく極めて落ち着いた手つきでコントローラーを床に置いた。
180センチを超える長身で、つい先日までバスケ部のレギュラーとして県大会で活躍していた。チームの司令塔として広い視野と元来の大人びた雰囲気を持つ彼は、ゲームにおいてもプレイスタイルに性格が表れている。相手の攻撃を冷静に見極め、的確にカウンターを叩き込む冷静沈着な戦法だ。
「あああああクソッ! また負けた! 健斗、お前マジで待ちガイルみたいな戦い方しやがって! もっと男らしく攻めてこいよ!」
隣でコントローラーを乱暴に掻き毟るように操作していた
「格ゲーは冷静さが命だろ。前川は攻めっ気ばかり強くて、ガードが甘すぎるんだよ」
健斗は余裕の笑みを浮かべ、ペットボトルの炭酸水を一口飲んだ。恋愛経験もあり、グループの中でも一歩引いて全体を見渡す落ち着きを持つ健斗は、血の気ばかり多い隆盛を手のひらで転がすのが上手かった。
ベッドの上で胡座をかき、二人の対戦を眺めていた部屋の主である栄太はポテトチップスを豪快に口に放り込みながら笑った。
「にしても、いよいよ夏休みだなー。健斗も俺も部活引退したし、受験勉強の合間にみんなで海とかプールでも行きてぇな。隆盛、バイト休めそうか?」
「休むに決まってんだろ。彼女もいねーのに夏休みにバイトと補習の往復だけなんて、ただの罰ゲームだからな」
隆盛がコーラを煽りながらやさぐれた声で吐き捨てる。
「あーあ、どっかに可愛い彼女落ちてねーかな。……てかさ、ぶっちゃけ、うちの学年だと誰が一番可愛いと思う?」
男子高校生が集まれば、最終的に行き着く話題などたかが知れている。その問いに隆盛は誰の返事も待たずに、まるで早口言葉でも披露するかのように学年の女子たちの評定をすらすらと喋り始めた。
「顔とスタイルだけの総合点なら、断然1組の清水だろ。あいつは胸もデカいし愛嬌もあるが、男慣れしすぎててガードが緩い。3組の吉田は小動物系で可愛いが、笑い声がデカすぎて情緒に欠ける。4組の佐々木は清楚ぶってるけど裏垢で愚痴ってるの知ってるし……」
「お前、本当にそういう情報だけはよく見てるよな」
健斗が呆れたように、しかし面白がるように相槌を打つ。
「でもさ、前川。そうやって外野から女子を品定めして評定してるだけじゃ、一生彼女なんてできないぞ? 女の子ってのは、もっと踏み込んだ時のギャップが大事なんだから」
健斗は場の空気がただの下世話な品評会で冷え切ってしまわないよう、絶妙なバランスでいさめながらも会話を回していく。
「うるせえ、経験者マウントとんな! ……でさ、俺が今一番推してるのは、なんといっても2組の梶田さんなんだよ!」
隆盛が鼻息を荒くして力説した、その瞬間。
「梶さん、な」
健斗が即座に、しかし冷静にツッコミを入れた。
「あ? いや、だってさ!」
隆盛が不服そうに声を上げる。
「瀬戸が1年の頃からずっと『梶田さん、梶田さん』って呼んでたから、俺の中でどうしてもそのイメージが強く張り付いてて抜けねーんだよ!」
「まあ、気持ちは分かるけどな」
健斗が苦笑する。
「だろ!? あの涼しげな目元と黒髪、マジでたまんねーよ。1年の頃は『深窓の令嬢』って感じで超絶近寄りがたかったけど、2年に進級してあの銀縁眼鏡外してから、マジで化けたっていうか……最近なんか、妙に色気あるしさ!」
隆盛のテンションはもう誰にも止められない。
「なあ、実際どうなんだろうな? あの手の真面目でガード硬そうな優等生って、付き合ったらめちゃくちゃ甘えてきたりするのかな……」
その時、ベッドの上でポテトチップスの袋を傾けていた栄太が思い出したようにポンと手を打った。
「あー、そういやカヤちゃんで思い出したわ。こないだ麻依が、ゲラゲラ笑いながら変なこと言ってたな」
「変なこと?」
健斗が眉を上げる。
「ああ。なんか『お医者さんごっこがどうのこうの』って。カヤちゃんがナース服着て、とか何とか……。よく分かんねーけど、あいつらも色々やってんなーって」
栄太は自分がどれほどの燃料をこの空間に投下したのか全く自覚のないまま、無邪気にコンソメパンチを咀嚼した。
「お、お医者さんごっこォォォ!?」
隆盛が目玉が飛び出そうなほどの勢いで食いついた。
「マジかよ! あの知的なクールビューティーが!? ミニスカのナース服着て!? 『瀬戸くん、お熱測りますね♡』とか、『心拍数、早いですよ♡』とか言ってんの!? うおおおおお! ヤバい、エロすぎる!! ギャップ萌えの極みじゃねーか!!」
隆盛の脳内で、とてつもないスピードで桃色の妄想が爆発していた。涎を垂らさんばかりの勢いで虚空を見つめ、悶え苦しんでいる。健斗は「おいおい、前川の妄想が暴走しすぎて手がつけられないぞ」と笑いながらも、その状況を面白がって眺めていた。
だが、部屋の隅、壁にもたれかかり、膝を立てて分厚い漫画雑誌を読んでいた瀬戸皓二朗が、静かに本を閉じた。
スッ、と立ち上がった皓二朗は、足音一つ立てずに隆盛の背後へと歩み寄る。そして、元ボクサーの分厚く鍛え上げられた万力のような巨大な手が、隆盛の肩を無言でガシッと掴んだ。
「――っ!?」
隆盛の肩の骨がミシミシと悲鳴を上げる。振り返るまでもない。背後から立ち昇る、絶対零度の殺気と、背筋が凍るような圧倒的なプレッシャー。皓二朗は、ただ静かに、にっこりと微笑んでいた。目は完全に笑っていなかった。
「隆盛」
「ひっ……!」
「悪乗りのしすぎは、よくないよ」
「…………はい」
その瞬間、隆盛は己の死を悟ったという。
万力のような力で掴まれていた肩からようやく皓二朗の手が離れ、隆盛は床に崩れ落ちるようにして胸をなでおろした。背後からはまだジリジリと肌を焼くような残熱が漂っている気がしたが、皓二朗自身はすっかり何事もなかったかのように涼しい顔で壁際へと戻り、再び分厚い漫画雑誌を開いている。
部屋の空気を完全に凍らせかけた張本人である栄太は自分がどれほどの爆弾を放り投げたのか一ミリも理解していない様子で、のん気に次のポテトチップスへと手を伸ばしていた。
このままではゲームの電子音だけが虚しく響く冷えた空気になりかねない。そう判断した健斗は手元で炭酸水のペットボトルのキャップを小気味よく鳴らしながら、絶妙なニヤニヤ顔を浮かべて皓二朗の方へと視線を向けた。
「それにしてもさ……」
健斗が少し声を落として、楽しげに言葉を紡ぐ。
「栄太の奴、普段はあんな調子だし、色恋沙汰に関しては嘘を吐いたり話を盛ったりするような器用な真似はできないだろ? ってことはだ、瀬戸。さっき栄太が言ってたあの『お医者さんごっこ』の噂って、あながち間違いじゃなくてマジな話なんだろうな」
「……え?」
漫画のページをめくろうとしていた皓二朗の指先が、ピタリと止まった。
「いや、梶がノリノリでナース服を着てたかどうかってのは流石に俺たちには分からないけどさ」
健斗は格闘ゲームのセレクト画面を適当に操作しながら、さらに皓二朗を追い詰めるように言葉を重ねる。
「少なくとも、二人きりのプライベートな空間で、美人なナースをとびきり堪能したスケベな『患者』がそこに一人いたってことだけは今のやり取りで完全に確定したろ」
その言葉が呼び水となった。皓二朗の脳裏に、高校二年生の一月――あの身を切るような寒さの週末の夜の記憶が、濁流のように鮮明にフラッシュバックした。
友人の麻依にそそのかされたとはいえ、普段の知的な姿からは想像もつかないほどスカート丈の短い、白いタイトなナース服に身を包んで僕の前に現れたカヤさん。からかうような笑みを浮かべていた彼女の理性を、あろうことか自分から完全に叩き壊し、ベッドの上で――――――――
「い、いや……っ! それは、その……っ! 違う、お前らが思っているような、そんな不純な意図があったわけじゃなくて……っ!!」
先ほどの冷静沈着な『ロジカルゴリラ』の面影はどこへやら、皓二朗はあからさまに狼狽え、顔を耳の裏まで真っ赤に染め上げて言葉を詰まらせた。視線は泳ぎ、漫画雑誌を持つ手が微かに震えている。弁解しようとすればするほど墓穴を掘ることに気づいているのか、最終的には雑誌で顔を半分隠すようにして完全に黙り込んでしまった。
その皓二朗の「百点満点の反応」を目の当たりにした瞬間、床に這いつくばっていた隆盛の脳内で、凄まじいスピードで桃色の妄想が爆発した。
(マジかよ……本当にやったのかよ……! あの梶田さんがナース服を着て、こいつの腕の中で……ッ!!)
溢れ出そうになる下卑た妄想、口から飛び出しそうになる限界突破したシモネタの数々。しかし、隆盛は先ほど自分の肩に刻まれた万力の痛みを本能的に思い出した。今ここでその妄想を口にすれば、確実に右脇腹にストレートを叩き込まれて病院送りにされる。
「うぅ……っ、ぐぬぬぬぬぬっ……!!」
隆盛は両拳を床に叩きつけ、血の涙を流さんばかりの形相で奥歯をガタガタと震わせた。唇を噛み締め、喉元まで出かかっている全ての不潔な言葉を必死の思いでかみ殺す。そのあまりにも必死な姿に、健斗は心の中で(よし、前川は完全に抑え込んだな)とガッツポーズを作った。
ようやく場の空気がギャグのノリとして整ったところで健斗はこれ以上瀬戸の地雷を踏み抜かないよう、自然な手つきでターゲットを栄太へと切り替えた。
「まあ、瀬戸のプライベートな患者生活はこれくらいにしておいてやるよ。……それよりさ、お前はどうなんだよ、栄太」
「ん? 俺がどうかしたか?」
栄太が不思議そうに首を傾げる。
「そうだよ。お前、さっきから前川の恋愛脳をバカにしてるけど、お前自身は伊藤と結構いい感じなんじゃないのか? よく二人で一緒にいるのを見かけるぞ」
健斗が水を向けると、涙目で呼吸を整えていた隆盛も「あ?」と顔を上げた。
「あー、麻依か」
栄太はポテトチップスを咀嚼し、何を言うかと思えば、呆れたように鼻で笑った。
「お前ら、なんでもかんでもすぐ恋愛に結びつけるの本当によくないぞ。俺と麻依はな、そういう俗っぽい次元にいる関係じゃないんだよ」
「俗っぽい次元?」
健斗が眉を寄せる。
「この前の週末さ、俺、麻依と二人で映画館に遊びに行ったんだよ」
「おおっ!」
隆盛が即座に食いついた。
「マジかよ! 休日に二人きりで映画館なんて、それ完全にデートじゃねーか! やるじゃねーか栄太!」
漫画を読んでいた皓二朗も、再びそっと視線を上げた。カヤさんの口から、親友である伊藤さんが栄太に対して並々ならぬ感情と凄まじい苦労を抱いていることは、なんとなく耳にしていたからだ。
「だからデートじゃねえって。バリバリのハリウッドのアクション映画観て、そのあと大盛りのラーメン食いに行っただけだ」
栄太はさも当然のように言い放ち、これ以上ないほどのドヤ顔で胸を張った。
「でもな、俺はあの日、映画館で一緒に過ごして改めてはっきりと分かったんだよ。麻依は、ただの女友達じゃねえ。アクション映画で俺と同じタイミングで熱くなって、そのあとの大盛りラーメンもペロリと平らげて、俺の食欲に全力でついてこれる……。あいつは間違いなく、女子の中じゃ一番仲が良い友達だし、瀬戸と肩を並べるくらい『最高の友達』で『相棒』だってな!!」
「「…………」」
部屋に、格闘ゲームのセレクト画面のBGMだけが虚しく響き渡った。その一点の淀みもない、純粋極まりない笑顔から放たれた言葉を聞いた瞬間、健斗と皓二朗は「すべて」を察した。
テスト前の自習室通い。休日の映画館への誘い。暗い館内。それらは間違いなく、麻依から栄太に対する決死の、そして健気なアプローチだったはずだ。女の子が勇気を出して意中の相手を休日に誘い、少しでも男として意識してもらおうと奮闘した努力の数々。
それを、この男は。この娯楽と底抜けの鈍感さで構成された単細胞は、すべてを「親友としてのノリの良さ」に脳内変換し、あろうことか『瀬戸と同列の男友達枠・最強の相棒』として彼女を認定したのだ。
「……伊藤……お前、マジで茨の道どころか、コンクリートの壁を素手で殴るような恋してんな……」
健斗は深く、深いため息をつき、右手で自分の顔を覆った。生半可な色気やアプローチでは、この男の強固すぎる「相棒装甲」は絶対に貫けない。
皓二朗に至っては、無言のままそっと目を閉じ、心の中でカヤさんの親友へと深い同情を寄せていた。
(……伊藤さん。貴方の苦労は、今まさに僕たちの目の前で証明されました。本当に、お疲れ様です……)
だが、この部屋で最も深刻なダメージを受けていたのは、健斗でも皓二朗でもなかった。
「……うぅっ、うわぁぁぁん!!」
不意に、床から本格的な嗚咽が漏れた。見ると、隆盛が両拳を床に強く押し当て、ボロボロと大粒の悔し涙を流していた。
「前川? お前なんで泣いてんだよ」
健斗が呆れて声をかける。
「なんで……なんでだよ……ッ!!」
隆盛が血を吐くような声で叫んだ。
「女の子から映画に誘ってくれて! 休日にわざわざ時間作って一緒に遊んでくれて! なんでそんな奇跡みたいな状況で、お前は『最高の男友達だぜ!』なんて言ってんだよ!! ふざけんな!! 俺なんか、バイト先のレジ打ちでおばちゃんに世間話されるくらいしか女っ気がねぇのに!!」
隆盛の叫びは彼女のいない男子高校生としての、悲痛な魂の慟哭だった。自分の好意をアピールしてくる可愛い女の子を、無自覚に粉砕している栄太の贅沢さが許せなかった。しかし、その隆盛の涙を見た栄太は見当違いも甚だしい解釈をした。
「……ふっ」
栄太はフッと口角を上げ、ベッドの上から隆盛を哀れむように見下ろした。
「分かるぜ、隆盛。お前……俺が羨ましいんだな?」
「はぁ!?」
「いいんだ、無理して強がらなくても。お前が泣く気持ちも分かる。俺と麻依みたいな、性別を超越した『魂の相棒』を持った俺に、嫉妬してるんだろ? 得難い友を得た俺への、敗北感ってやつだな」
栄太はニヤニヤと完璧な優越感に浸りながら、的外れな煽りを投下した。
「まあ、お前もいつか、俺の麻依みたいな最高の『マブダチ』が見つかるといいな! 応援してるぜ!」
「誰がマブダチなんか欲しがってるかボケェェェェッ!!」
隆盛が絶叫する。
(正直、お前みたいなバカのズレまくった煽りなんて、痛くもかゆくもねえんだよ!……でも、でもッ!)
隆盛は再び床に突っ伏した。栄太の言葉がバカバカしければバカバカしいほど、そんな男と一緒にいてくれる麻依という可愛い女の子が身近にいるという、その覆しようのない「事実」そのものが、隆盛の心に致命的なクリティカルヒットを与えていた。
羨ましくて、羨ましくて、悔しい。栄太がいくら的外れなマウントを取ってこようとも、「休日に自分と遊んでくれる可愛い女の子が、自分のすぐ隣にいる」という現実そのものが隆盛にこれ以上ないほど「効いて」しまっているのだった。
「ほら泣くなよ隆盛! ポテチ食うか?」
「お前のポテチなんか食うかァァッ!」
全く噛み合わない男たちの会話。
健斗はもはやツッコミを入れることすら放棄して炭酸水を飲み、皓二朗は再び静かに漫画のページをめくり始めた。
一方その頃、駅前のファミレスでは、その「最高の相棒」扱いされた女子生徒が怒りと悲哀の涙を流し、友人たちによる『高橋栄太・理性ぶっ壊し作戦』が極秘裏に立案されていることなど、この筋肉と鈍感さで構成された男は知る由もなかった。
男たちの夏は、むさ苦しい汗と理不尽なまでの独占欲、巨大な壁のように厚い鈍感さ、そして致命的なすれ違いとともに幕を開けようとしていた。
◆
栄太の家を出て待ち合わせの公園へ向かうと、木陰のベンチでカヤさんが待っていた。
「……遅い」
夕暮れの中、指定カーディガンを羽織った彼女は、少しだけ恨めしそうに僕を睨んだ。その顔には、隠しきれない疲労感が漂っている。
「ごめん、栄太の家でちょっと長引いちゃって。……もしかして、そっちも大変だった?」
僕が隣に腰を下ろすと、カヤさんは「お前もか」と深くため息をついた。
「ああ。もう最悪だった。麻依のやつ、栄太との映画の件で完全にやさぐれちゃってさ。おまけに純恋たちと一緒に、お前の俺に対する『過保護っぷり』を散々いじり倒してきやがったんだ。おかげで顔から火が出るかと思った」
「あはは……奇遇だね。こっちも栄太の『マブダチ宣言』のせいで、前川が血の涙を流して発狂してたよ。僕はそれを宥めるのに一苦労だった」
お互いの集まりで具体的にどんな会話が飛び交ったのか、その詳細までは分からない。けれど、どちらの空間でも高橋栄太の鈍感さが猛威を振るい、それに振り回されたことだけは確かなようだ。
「お疲れ様」「お前もな」と、僕たちは顔を見合わせて和やかに苦労を分かち合った。
「でさ、皓二朗」
一息ついた後、カヤさんが自分のトートバッグを膝の上で抱え直し、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ファミレスでお開きになった後にさ、麻依のやつが『憂さ晴らしに付き合え』って言って、駅前のバラエティショップに俺を連行したんだよ」
「バラエティショップって……」
嫌な予感がして、僕の背筋がピクリと跳ねる。あの、今年の正月に伊藤さんと二人で過激な衣装を買いに行った、あの店だろうか。
「麻依が言うにはさ、『あのナース服を買ってからもう半年も経ったんだから、そろそろ新しい刺激が必要でしょ』だってさ」
「し、刺激……?」
カヤさんはトートバッグの口を少しだけ広げ、中を僕に覗かせた。
そこには、見慣れない衣装の入った透明なパッケージと、鈍い銀色に光る『手錠』が無造作に転がっていた。パッケージの端には、ミニスカポリスの文字が見える。
「……今日は逃がさないぞ、皓二朗」
カヤさんは僕の耳元に顔を寄せ、甘く低い声で囁いた。
「夜道で油断してるスケベな悪者は、俺が逮捕してやるからな」
「えっ!? ちょ、カヤさん!? それ、まさか……!?」
「ふふっ。さあ、大人しくお縄を頂戴しろ」
夕闇が迫る公園で、冗談めかして笑うカヤさんと、すっかり動揺して顔を真っ赤にする僕。騒がしい夏の一日は、甘くて危険な夜の延長戦へと突入しようとしていた。
お医者さんごっこに関してのエピソードは別に投稿してある短編にあります
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