そして、今日も。
※小説家になろうにも同一作品を投稿しています。
木枯らしが吹き抜けている。役目を終えた葉が地面を滑空して、そこらじゅうを茶色に染め上げている。
ギイコ、ギイコ。俺の顔面も見えない壁に気圧されて、僅かに揺れはじめた。人のいないときに動くといたずらに耐久が減る、一刻も早く止まってほしい。鎖はぶらさがっているだけで、肝心な時に仕事をしない。
俺の記憶はどこから繋がっていたか、振り返ることもおっくうだ。ジジババだったら認知症とでも言われるのだろう。実際、俺はその域に入っている。
目覚めたときはがれきの風景が点在していた。なぜ記憶が宿ったのかは分からない。隣のやつに話しかけようとしたが、ついぞ返って来ることはなかった。横のやからがどんな面相なのか、いまだにふと考えさせられる。
地中深くに埋め込まれた支柱。両脇から俺自身を吊り上げている二本の鎖。だれか一人でも天に召されたときが俺の死に場所だ。リサイクルは俺に優しくない。
古ぼけた深緑の帽子をかぶった老人が、入口からやってきた。やっとお客様の登場か。敷地は狭いもので、見える範囲に一息つけるベンチもない。
つえを一突き、二突き。第三の足を頼りにして、その老人は命綱たちに手を掛けた。危ないよ爺さん、そいつらもいつ逝くか分からないんだ。
彼といっしょにいた女性は、いつ頃からかはたと姿を消した。子どもが卒業することはよくあるけれど、棲みついた大のおとなが消えたことはない。
彼女が来なくなってから、この老人はため息をつくことが多くなった。平日の真昼間だ、ボールを投げれば跳ね返ってくる公園の人気はない。彼一人の吐いた息が、不規則に生えた雑草の地面を覆っていた。
そして、今日もまた。
カップル同士が苛立ってここに寄ったことがあった。価値観の違いだとかなんとかで、愛が冷めてしまったらしい。こちとら、地球さまの言う通りだってのに。自力で動けるんだから何とかできただろう。
詳細な内容はいい。形は違っても、この爺さんは道長きにして付き添い人を失ったのだろうと。どこかの学生が口にしていたか、熟年離婚が社会問題だというのは。
サビついた金属がきしんで、俺は小刻みに揺れる。この爺さんの足が地面と垂直に置かれているのが、死角からの情報だ。
彼と消えたばあさんは、幼い頃から知っている。土地開発やら法律整備やらが起こる前、まだ公園でキャッチボールをする子がわんさかいた時代だ。時流にまきこまれる人間はともかく、俺にとってはまさに『古き良き時代』だった。
爺さんも婆さんも、泥んこになりながら互いを追いかけていた。一度捕まると攻守交替、これを遊びくたびれるまでやっていた。
『お前、何回やっても捕まるなぁー。やっぱり、俺からは逃げられないんだろ?』
『
コンプライアンスのかけらもない、少年少女の遊びだった。
ずっと眺めていると人間の成長は手に取るようにわかる。身なりがかしこまっても、メイクで愛嬌を付け足しても、ふれあいの根っこまでは変えられない。彼らもそうだった。
モノクロ写真から付き合っていた二人。片割れを喪失するむなしさはどれほどか。絶望に突き落とされてでもいいから、俺も人になってみたかった。
視界が安定しない。爺さんのバランスに合わせて木々が見え隠れする。
俺らの、爺さんたち世代の時代は終わりを告げようとしている。幕引きを迎えるのもそう遠くない未来のことだろう。
にわかに歓声が響いてきた。ランドセルを背負った男の子がやってきた。学校が休みにでもなったのかい、と尋ねるところだ。
男の子に畏怖の念はまったく見えない。黄昏ているであろう老人へ一目散に駆け寄ってきた。
「……坊や、なにか用かい?」
「おじいさんは、ここで何しているの? ……ブランコなら揺らしてあげられるよ?」
「ありがとう。転んだら大変だから、遠慮しておくよ」
自らが落ち込んでいても柔和に接するあたり、さすが芯は腐っていない。
男の子は足をジタバタさせていて落ち着きがない。
「そう? だったら……、そうだった! 寄り道しちゃいけません、だって言いつけられてたんだった……。おじいさん、またね!」
再び会うかどうかも決まっていないのに、少年はもう走り出した。少年よ、目の前に座っている爺さんもまたキミみたいなやつだったんだぞ!
嵐は過ぎ去っていった。家屋を根こそぎ持っていったのか、恵みの雨を降らせたのか。
あの子もまた、爺さんと同じく時代を担っていく。輪廻とはそういうものだ。存在自体が過去のものになりかねない俺とは違って。
しばし固まっていた老人が、影をさらに地に落とした。
「……
誰かに言い聞かすような口ぶりだ。大丈夫だ爺さん、自責の念をひとりで抱えるんじゃあない、俺もそばについている。
「……そんなことを考えていても仕方ないか。……あの子、元気だったなぁ……」
老人は立ち上がった。杖に支えられながら、出口へと歩んでいく。
彼のどこかもの寂しい背中は、バトンを渡し終えた者の姿だった。
彼の残滓は、俺を、ブランコをまだ揺らしていた。