第十話
捨て村
――生き残る価値を、誰が決めた
その村は、地図に名前が残っていなかった。
街道から外れ、乾いた丘を越え、風に削られた岩場を抜けた先に、まるで忘れ去られた傷口のようにぽつりと存在していて、柵は傾き、畑は荒れ、家々の壁には補修の跡が幾重にも重なり、「まだここに人がいる」という事実そのものが、既に異常であるかのような場所だった。
噂は、街道筋の酒場で聞いた。
――口減らしをしている村がある。
――病人や働けない者を、山に捨てている。
――そうしなければ、全員が死ぬ。
誰も、怒ってはいなかった。
誰も、笑ってもいなかった。
ただ、仕方がない、という声色だった。
彼は、その「仕方がない」という言葉が、
いつ、誰の免罪符になったのかを考えながら、
村へ向かった。
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村の中
村に入って、最初に気づいたのは、音の少なさだった。
子どもの声がしない。
犬も鳴かない。
風が吹いても、戸口がきしむだけで、
生活のざわめきが、どこにもない。
人々は、彼を見て、立ち止まり、
だが警戒もしなかった。
武装したよそ者。
それだけなら、
もう何度も見送ってきたのだろう。
「……何しに来た」
声をかけてきたのは、
村長だった。
痩せて、背を丸め、
それでも目だけは、妙に強かった。
「噂を聞いた」
彼がそう言うと、
村長は、短く息を吐いた。
「なら、
見に来たんだろう」
否定はなかった。
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価値の計算
集会所で、話を聞いた。
食糧は足りない。
畑は痩せ、狩りも不調。
疫病が流行った年があり、
労働力が一気に落ちた。
「助け合った」
村長は言う。
「最初はな」
「でも、
全員を助けようとしたら、
全員が死ぬ」
彼は、
静かに問い返す。
「……だから?」
「だから、
残す者を選んだ」
老人。
病人。
怪我人。
孤児。
“生産できない者”。
それが、
彼らの言葉だった。
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捨て場
村の裏手。
森に入る手前。
そこに、
粗末な小屋があった。
中には、
人がいた。
横になったまま、
動けない者。
毛布に包まれ、
水だけを与えられている者。
世話は、
されている。
殺してはいない。
だが――
戻す気も、ない。
「山に、
置いていくだけだ」
村人の一人が、
言い訳のように言う。
「神に、
委ねている」
その言葉に、
彼は何も返さなかった。
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女と子ども
小屋の奥で、
彼は、女と子どもを見た。
獣人ではない。
どちらも、人間だ。
女は、片腕がない。
子どもは、まだ小さい。
「……行きたく、ない」
女は、
掠れた声で言った。
「山は、
寒い」
「この子が、
もたない」
彼は、
しゃがみ込む。
視線を、
同じ高さにする。
「……お前たちは、
ここにいたいか」
女は、
何度も頷いた。
それだけで、
十分だった。
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衝突
彼が、
小屋の前に立ったとき、
村人たちは、
ようやく危機を悟った。
「連れていくな」
「それをやったら、
村が持たない」
「責任を、
取れるのか!」
怒鳴る声。
震える声。
彼は、
盾を持つ。
構えない。
ただ、
そこに立つ。
「俺は、
お前たちを裁かない」
「生きるために、
選んだんだろう」
村人たちは、
息を詰める。
「でも――」
彼の声は、
低く、重い。
「選ばれなかった命を、
切り捨てる役を、
他人に押し付けるな」
沈黙。
誰も、
前に出られない。
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夜
その夜、
彼は村に泊まった。
女と子どもを、
小屋から出し、
空き家に移す。
村人は、
手伝わない。
だが、
邪魔もしない。
火を焚き、
湯を沸かし、
食事を分ける。
それだけのことが、
ひどく重い行為のように感じられた。
夜更け、
村長が来た。
「……明日、
お前は出て行く」
「その二人もだ」
彼は、
頷く。
「それでいい」
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夜明けの決断
朝。
村の外れ。
彼は、
女と子どもを連れて立つ。
背後で、
村人たちが見ている。
誰も、
石を投げない。
誰も、
手も振らない。
ただ、
目を逸らす。
彼は、
歩き出す前に、
一度だけ振り返る。
「……生き残るために、
何かを捨てるなら」
「次は、
捨てなくて済む道を、
探せ」
それが、
彼の唯一の言葉だった。
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重さ
街道に出て、
しばらく歩いてから、
女が言った。
「……ありがとう」
彼は、
首を振る。
「礼を言われることは、
していない」
本音だった。
助けた。
だが、
救ったとは言えない。
村は、
変わらない。
同じことを、
またするだろう。
それでも。
彼は、
歩き続ける。
弱者とは、
種族じゃない。
身分でもない。
声が、
届かない者のことだ。
その声を、
拾い上げるために。