まだ、生きてる   作:5734589

16 / 22
無名

第十六話

 

無名

 

――守るとは、名を捨てることだった

 

彼の名は、使われなくなった。

 

指名手配されたわけでもない。

異端として糾弾されたわけでもない。

ただ、便利ではなくなっただけだ。

 

町の掲示板から、

彼の噂は消えた。

 

酒場の話題にも、

街道の注意喚起にも、

もはや出てこない。

 

「拾う人」は、

制度に置き換えられた。

 

数字と基準と割り当てが、

彼の代わりをする。

 

――それで、十分だった。

 

 

近づけない距離

 

彼が近づくと、

人は一歩、下がる。

 

恐れているわけではない。

警戒しているわけでもない。

 

期待していない。

 

それが、

一番、堪えた。

 

かつて、

彼に向けられていたのは、

過剰な希望だった。

 

今は、

最初から、

何も向けられない。

 

 

声なき声

 

それでも、

夜になると、

彼は歩く。

 

街の外。

灯りの届かない場所。

 

制度の目が、

届かないところ。

 

そこには、

まだ、声がある。

 

言葉にならない声。

助けて、とすら言えない呼吸。

 

彼は、

それを聞き分けるようになっていた。

 

 

ひとり

 

ある夜、

倒れている人影を見つける。

 

男か女かも、

最初は分からなかった。

 

汚れすぎていて、

年齢も、

種族も、

判別できない。

 

彼は、

何も言わずに、

脈を取る。

 

まだ、生きている。

 

それだけで、

十分だった。

 

 

何もしないという行為

 

彼は、

その人を、

町へ連れて行かない。

 

連れて行けば、

基準に照らされる。

 

基準に合わなければ、

終わりだ。

 

彼は、

森の奥へ運ぶ。

 

古い倒木の陰。

誰も、

見つけない場所。

 

そこで、

火を起こす。

 

大きくもなく、

長くもない火。

 

真似できない程度の、

小さな手間。

 

 

 

彼は、

傷を洗う。

 

縫う。

 

雑で、

不格好で、

教本にも載らないやり方。

 

それでも、

手は、

震えなかった。

 

震えない自分に、

彼は驚く。

 

慣れたのではない。

 

諦めたのだ。

 

救えないことを。

続かないことを。

評価されないことを。

 

それでも、

目の前の肉体が、

冷えていくのだけは、

放っておけない。

 

 

名前を聞かない理由

 

夜明け前、

その人が、

目を覚ます。

 

「……ここは?」

 

彼は、

答えない。

 

答えれば、

場所が特定される。

 

特定されれば、

模倣される。

 

模倣されれば、

また、切り捨てが始まる。

 

彼は、

水を渡すだけだ。

 

その人は、

それ以上、

何も聞かなかった。

 

 

去り際

 

朝。

彼が目を覚ますと、

その人はいない。

 

足跡が、

一方向にだけ、

残っている。

 

彼は、

追わない。

 

追えば、

関係になる。

 

関係になれば、

期待が生まれる。

 

期待は、

制度の種だ。

 

 

無名の意味

 

彼は、

自分の荷を背負い、

再び歩き出す。

 

誰にも知られず、

記録も残らず、

物語にもならない。

 

それでも、

昨夜の呼吸は、

確かに、

ここにあった。

 

それだけで、

この一日は、

存在したと言える。

 

 

弱者という言葉の外側

 

彼は、

考える。

 

弱者とは、

誰か。

 

獣人か。

奴隷か。

貧者か。

 

違う。

 

選ばれなかった瞬間の、人間だ。

 

だから、

守護は、

属性に向かわない。

 

瞬間に、

向かう。

 

誰にも定義されない、

一瞬の崩れ。

 

そこに、

手を伸ばす。

 

 

夜が来る

 

日が落ちる。

 

また、

誰かが、

倒れるだろう。

 

彼は、

それを、

止められない。

 

だが、

見なかったことにも、

しない。

 

それが、

彼に残された、

唯一のやり方だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。