まだ、生きてる   作:5734589

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数えられなかった夜

番外編 血帽子譚

 

第二話

 

数えられなかった夜

 

夜は、均等ではない。

 

人が多く集まる場所の夜は、短い。

灯りがあり、声があり、名前が飛び交う。

そこでは闇は管理され、分割され、危険として処理される。

 

だが、

境界の夜は違う。

 

街道と森のあいだ。

法と無法のあいだ。

救済と放置のあいだ。

 

そこでは夜が、伸びる。

 

時間ではなく、密度として。

 

⸻

 

女は、歩いていた。

 

目的地があったわけではない。

戻る場所も、急ぐ理由もなかった。

 

だから、境界を歩いていた。

 

選ばれなかった者たちが、自然と辿り着いてしまう場所。

巡察も、商人も、司祭も、長くは留まらない土地。

 

彼女は、かつて何度もそこを通った。

一人で歩く夜の危険性を、知らないわけではない。

 

それでも足を止めなかったのは、

恐怖よりも先に、理解が来てしまったからだ。

 

⸻

 

鉄の音が、遠くで鳴る。

 

規則正しい。

獣のものではない。

人間のものとも、少し違う。

 

彼女は立ち止まり、火を起こす。

 

大きくしない。

目印にならないよう、しかし完全に消えない程度。

 

それは、誰かがかつてやっていたやり方だった。

意味はない。

安全でもない。

 

ただ、そうしてしまう。

 

⸻

 

赤いものが、闇の中で揺れる。

 

最初は布切れのように見えた。

次に、帽子だと分かる。

最後に、それが生きるための器官だと理解する。

 

レッドキャップ。

 

名前は、後から付いた。

存在のほうが先だった。

 

⸻

 

近づいてくるにつれ、分かることが増える。

 

背は低い。

姿勢は歪んでいる。

だが、動きに無駄がない。

 

長く生きてきた存在ではない。

長く殺してきた存在だ。

 

彼女は逃げなかった。

 

逃げるという選択肢が、彼女の中で成立しなかった。

 

なぜなら、彼女は知っていたからだ。

 

これは追跡者ではない。

罠でも、報復でもない。

 

余った夜が、生んだものだ。

 

⸻

 

レッドキャップは、彼女を見ていた。

 

値踏みするようでもなく、

敵意を示すでもなく。

 

ただ、確認している。

 

この命が、

「今夜、消えても問題ないか」を。

 

それは残酷な判断ではない。

制度と同じ判断だった。

 

⸻

 

彼女は、初めて口を開く。

 

だが、問いは投げない。

 

答えが返る構造を、作らない。

 

「……あなたは、増えた」

 

事実の指摘。

 

レッドキャップの足が止まる。

 

彼女は続ける。

 

「この辺り、

 前は、もっと静かだった」

 

それは、治安の話ではない。

見捨てられる速度の話だ。

 

救済が減ったのではない。

選別が、洗練された。

 

⸻

 

赤頭は、笑わない。

 

代わりに、

帽子の縁から、血が一滴、落ちる。

 

乾いていない。

 

つまり、

今夜すでに一人は終わっている。

 

彼女は、目を閉じない。

 

閉じる理由がなかった。

 

⸻

 

「あなたは、

 悪じゃない」

 

それは、免罪ではない。

 

「でも、

 正義でもない」

 

それも、断罪ではない。

 

ただ、配置の確認だった。

 

⸻

 

レッドキャップは、ようやく口を開く。

 

「俺は、

数えない」

 

それは誇りではない。

哲学でもない。

 

できないのだ。

 

数えれば、

自分が何者か分かってしまうから。

 

⸻

 

彼女は、火を見つめながら言う。

 

「数えなかった人たちが、

 あなたを作った」

 

「数えられなかった夜が、

 あなたを呼んだ」

 

その言葉に、

赤頭は否定しない。

 

否定できない。

 

⸻

 

遠くで、声がする。

 

助けを呼ぶ声か、

怒鳴り声か、

あるいは、ただの錯覚か。

 

どちらでも、同じだった。

 

レッドキャップは、そちらを向く。

 

彼女を、もう見ていない。

 

⸻

 

「……行くのね」

 

彼女がそう言うと、

赤頭は、振り返らずに答える。

 

「まだ、

生きてる声がある」

 

それは、かつて誰かが使っていた言葉に、

よく似ていた。

 

⸻

 

鉄の足音が、遠ざかる。

 

彼女は、追わない。

 

止めもしない。

 

ここで何かをすれば、

それは制度になる。

 

制度は、

また別の怪物を生む。

 

⸻

 

火が消える。

 

夜は、

まだ、

数えられていない。

 

彼女は、立ち上がり、歩き出す。

 

この世界には、

救済より先に、

理解してしまう人間がいる。

 

それが、

救いにならないことを知りながら。

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