まだ、生きてる   作:5734589

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赤は、空だった

番外編 血帽子譚

 

第三話

 

赤は、空だった

 

彼は、夜の境界に立っていた。

 

道として扱われながら、

誰の責任にも含まれない場所。

人が倒れても、

「そこにいたこと」が記録されない距離。

 

彼は、

何度もこの境界に立ってきた。

 

立つことで、

間に合ったと思いたかった。

立ち続ければ、

守護者でいられると、

どこかで信じていた。

 

⸻

 

鉄の音は、

夜に溶けていた。

 

急がない足音。

追わない歩幅。

 

間に合わないことを、

最初から知っている存在の歩き方。

 

彼は、

盾を構える。

 

だが、

それは防ぐためではない。

 

境界を示すためだった。

 

⸻

 

赤いものが、

闇の奥から滲み出る。

 

形は小さく、

曖昧で、

人であった痕跡だけが、

ぎりぎり残っている。

 

帽子だけが、

不自然に、

はっきりしている。

 

夜に、

色を主張するもの。

 

レッドキャップ。

 

彼は、

それを見て、

初めて、

自分がまだ

戦おうとしていることに気づいた。

 

⸻

 

「……まだ、

 終わらせられないのか」

 

声は、

誰に向けたものでもない。

 

問いではなかった。

 

自分が、

守護者という位置に、

しがみついていることへの確認だった。

 

⸻

 

レッドキャップは、

彼を見ない。

 

彼の向こう、

もっと深い夜を見る。

 

まだ、

選ばれていない声がある。

 

それだけで、

十分なのだ。

 

⸻

 

彼は、

一歩、

踏み出す。

 

止めるためではない。

 

割って入るため。

 

境界を、

身体で示す。

 

それが、

彼のやり方だった。

 

⸻

 

棍が振るわれ、

赤い影が揺れる。

 

音は、

ほとんどない。

 

鉄靴が、

地面を踏む。

 

布が、

擦れる。

 

それだけだ。

 

戦いと呼ぶには、

あまりにも、

静かだった。

 

⸻

 

彼は、

何度か、

棍を振った。

 

正確ではない。

美しくもない。

 

ただ、

間に合わなかった数だけ、

振った。

 

⸻

 

赤い帽子が、

落ちる。

 

地面に触れた瞬間、

布の音がした。

 

中身のないものが、

空気を含んだ音。

 

⸻

 

レッドキャップは、

崩れた。

 

血は、

ほとんど流れない。

 

最初から、

残っていなかったのだと、

分かる。

 

⸻

 

静寂。

 

彼は、

その場に立ち尽くす。

 

勝った感覚は、

ない。

 

負けた感覚も、

ない。

 

ただ、

遅れだけが、

確定した。

 

⸻

 

帽子を、

拾い上げる。

 

軽い。

 

あまりにも、

軽い。

 

中には、

骨も、

芯も、

意思もない。

 

あるのは、

染みだけだ。

 

重ねられ、

乾き、

また重ねられた色。

 

それは、

誰かの血ではない。

 

数えられなかった夜の、

痕跡だった。

 

⸻

 

彼は、

帽子を見つめながら、

低く、

独り言のように言う。

 

「……俺は、

 守っていたんじゃない」

 

言葉は、

続いた。

 

「境界に、

 立っていただけだ」

 

「間に合った夜を、

 数えたかっただけだ」

 

⸻

 

胸の奥が、

わずかに、

沈む。

 

それは、

後悔ではない。

 

理解だった。

 

⸻

 

「それでも……」

 

彼は、

言葉を止める。

 

続ければ、

完成してしまう。

 

⸻

 

帽子を、

地面に置く。

 

それは、

墓標ではない。

 

だが、

放置でもない。

 

ここに、

こういう夜があったという、

印だけを残す行為。

 

⸻

 

彼は、

怪物を殺した。

 

だが、

怪物を生む仕組みには、

触れていない。

 

それを壊そうとも、

しなかった。

 

壊せば、

また別の形で、

夜が歪むと、

知ってしまったからだ。

 

⸻

 

「……次は」

 

彼は、

小さく、

呟く。

 

「もう少し、

 早く立てる場所を、

 探そう」

 

それは、

希望ではない。

 

計画でもない。

 

ただ、

方向だった。

 

⸻

 

彼は、

歩き出す。

 

音は、

ほとんど残らない。

 

背後で、

風が吹く。

 

赤い帽子が、

わずかに転がる。

 

その内側は、

どこまでも、

空だ。

 

だが、

夜は、

別の場所で、

すでに

歪み始めている。

 

選ばれなかった声が、

溜まり始めている。

 

まだ、

名前のない何かが。

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