第七話
黒市の地ヘル=ザード
――悪は、言い訳をしない
その土地に、
正式な名前はなかった。
地図には載らず、
街道標にも記されない。
人は、
ただそう呼ぶ。
――ヘル=ザード。
――黒市の地。
砂と岩に囲まれた盆地。
外からは見えないが、
一度入れば、
逃げ道がない。
彼が足を踏み入れたとき、
最初に感じたのは――
匂いだった。
血。
汗。
薬草と鉄錆。
そして、
人が商品になる匂い。
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奴隷市場・裏
ここには、
表の市場すら存在しない。
露店。
天幕。
檻。
叫び声も、
隠されない。
「獣人だ!」
「若いぞ!」
「歯も揃ってる!」
値札は、
乱暴にぶら下げられている。
誰も、
合理性を装わない。
ここでは、
欲しいから買う。
それだけだ。
彼は、
フードを深くかぶる。
目星を入れる。
貴族はいない。
だが――
貴族の使いはいる。
紋章を隠した指輪。
護衛だけが立派な一団。
教会関係者も、
いる。
聖印を外しただけの者が。
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商品以下
檻の中に、
獣人の子供がいた。
痩せている。
だが、
目はまだ死んでいない。
彼は、
檻の前で立ち止まる。
商人が、
ニヤつく。
「坊主、
見る目あるな」
「そいつは、
従順だぞ」
彼は、
低く問う。
「何人、
死んだ?」
商人は、
笑った。
「数えてねぇ」
その瞬間、
彼の中で、
何かが切れた。
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交渉
彼は、
金を出す。
「全員だ」
商人は、
一瞬驚き、
すぐに首を振る。
「無理だ」
「ここじゃ、
命は安いが――」
「市場は高い」
彼は、
金をしまう。
「なら、
交渉じゃない」
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夜
その夜、
火が上がった。
倉庫が一つ。
次に、
檻の列。
混乱。
悲鳴。
怒号。
彼は、
盾を前に出し、
棍棒を振るう。
殺さない。
だが、
骨は折る。
逃げようとする奴隷商は、
片手斧で
足を止める。
――生きてはいる。
――逃げられないだけだ。
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解放
檻を壊す。
鍵を開ける。
「走れ」
それだけ言う。
泣く者も、
叫ぶ者もいる。
彼は、
背中を押す。
「生きろ」
「それだけでいい」
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代償
兵が来た。
正規軍ではない。
雇われ。
金で動く連中だ。
彼は、
囲まれる。
多勢に無勢。
盾は、
何度も打たれ、
棍棒は、
血で滑る。
精神が、
削れていく。
理不尽。
暴力。
終わらない悪意。
彼は、
耐えた。
理由は一つ。
――ここで倒れたら、
――誰も残らない。
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焼け跡
夜明け。
ヘル=ザードは、
半分が焼けていた。
市場は、
壊滅。
だが、
全滅ではない。
悪は、
逃げ足が速い。
彼は、
瓦礫の中で座り込む。
肩で息をしながら、
呟く。
「……全部は、
救えないな」
返事はない。
だが、
遠くで――
獣人たちが、
走っていく背中が見えた。
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静かな怒り
彼は、
立ち上がる。
傷は多い。
心も、
削れている。
だが、
目は澄んでいた。
ここでは、
裁定は下らない。
正義も、
制度も、
来ない。
それでも。
彼は、
次へ進む。
悪が、
堂々と笑っている場所へ。