放課後デートしたい
という願望から生まれた
失言半減質疑応答という「暗号学園のいろは」に出てくるものにちょっと手を加えた感じ
物語シリーズとか原作読んだのだいぶ前で設定違うかもだけど気にしないで
僕は数字の「百」というやつが嫌いだ。
それは完璧を示す数字ではない。測定不能を示すエラーコードだ。テスト用紙という名の、規格化された長方形の枠内において、それ以上の計測を放棄したことを示す敗北の証。
「また同点だね、積木くん」
放課後の廊下。掲示板の前で、その少女――羽川翼は、まるで今日の天気の話でもするかのように言った。五教科五百点満点。学年一位。その座には、常に二つの名前が並んでいる。羽川翼。積木駆。
周囲の人間は僕を天才と呼ぶ。神童と呼ぶ。羽川翼と唯一対等に渡り合える、直江津高校の双璧だと持て囃す。だが、それは間違っている。致命的な誤読だ。
僕の百点は、出題範囲の隅から隅までを舐めるように網羅し、教科書の脚注の一文字に至るまでを脳髄に刻み込み、試験時間五十分の五十分目までを使って検算を繰り返した末に、ようやく削り出された「限界値としての百点」だ。対して彼女の百点は、単に「テストが百点満点までしかなかったから」という理由で記された、ただの「通過点としての百点」に過ぎない。
もし上限が一万点あれば、僕は九千点くらいを取り、彼女は一万点を取るだろう。一億点あれば、僕は九千万点で力尽き、彼女は涼しい顔で一億点を叩き出すだろう。
百点という天井が、僕たちの実力差を隠蔽している。僕はその欺瞞に守られ、同時にその欺瞞に焼かれている。
「……そうだね。奇遇だ」
僕は喉の奥で、嫉妬と羨望と、そして歪な恋情にも似た対抗心を飲み込みながら答えた。
「奇遇なんかじゃないよ。必然でしょ。私たちが間違えるなんて、マークシートがズレるくらいの確率なんだから」
彼女は三つ編みを揺らして笑う。その笑顔は、聖女のように清らかで、同時に猛獣のように獰猛だった。羽川翼は、自分が「間違えない」ことを知っている。彼女は、何でも知っているわけではない。ただ、知っていることだけを知っている。その「知っていること」の領域が、僕の全存在を包摂するほどに広大であるというだけのことだ。
「帰ろうか、積木くん。今日はいい天気だし、寄り道日和だよ」
彼女が歩き出す。僕はその背中を追う。影踏みのように、彼女の落とす長い影を踏まないように、僕は半歩後ろを歩く。これは、敗北者の定位置だ。
直江津高校からの帰り道、長い坂道を下りながら、僕たちは言葉遊びに興じることになった。きっかけは、僕が口にした些細な不満だ。
「しりとりは欠陥ゲームだ。語彙の多寡を競うふりをして、実際には『る』攻めのようなローカル戦術に終始する」
「ふうん。じゃあ積木くんは、もっと高度な、制限された中での自由を競いたいわけだ」
羽川は、まるで僕の思考を先読みしていたかのように、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「いいよ。じゃあ、こういうのはどうかな。『失言半減質疑応答(しつげんはんげんしつぎおうとう)』」
「……随分と仰々しい名前だね」
「名前負けはしないと思うよ。ルールは単純にして過酷」
彼女が提示したルールは、言語中枢に直接枷(かせ)をはめるような代物だった。日本語を構成する四十六音のひらがな(あ〜ん)を、二人で等分する。お互いに、自分の「持ち字」しか喋ってはならない。その状態で質疑応答を繰り返し、会話を成立させる。
「ただし」と彼女は付け加えた。
「本当はドラフトで一文字ずつ取るんだけど、時間短縮のために今回は行で指定することにしよう」
【ルール】
一、思考時間は無制限。
二、質問・回答ともに、必ず五文字以上の文章を構築すること。
三、持ち字は行で指定する
四、相手の質問には必ず回答し、かつ、回答の中に次の質問を含めること。
「つまり、反射神経のゲームじゃない。これはパズルであり、同時に即興の文学だね」
「文学、か」
「そう。私たちがどれだけ言葉を知っているか、そして不自由な言葉でどれだけ『本音』を隠蔽できるか、あるいは露呈してしまうか。……どう?乗る?」
断る理由はなかった。いや、断れなかった。知性で彼女に挑める機会を提示されて、尻尾を巻いて逃げるなど、積木駆のプライドが許さない。
「いいだろう。配分は?」
「公平に、五十音図の前半と後半……だと母音の偏りが出るから。こう分けようか」
彼女はアスファルトの上に落ちていた小石を蹴りながら、空中に線引きをした。
【積木駆の持ち字:23音】あ・い・う・え・お(あ行)さ・し・す・せ・そ(さ行)な・に・ぬ・ね・の(な行)ま・み・む・め・も(ま行)ら・り・る(ら行の前半)
【羽川翼の持ち字:23音】か・き・く・け・こ(か行)た・ち・つ・て・と(た行)は・ひ・ふ・へ・ほ(は行)や・ゆ・よ(や行)れ・ろ(ら行の後半)わ・を・ん(わ行)
「音の扱いとして、濁音・半濁音・拗音・促音は、元の文字と同じ扱いにするよ。『が』は『か』、『っぱ』は『は』、『きゃ』は『き』と『や』だね。長音『ー』は前の母音に従う」
僕は自分の手札を確認する。母音「あいうえお」を独占できたのは大きい。言葉の骨格を作れる。しかし、致命的な欠損がある。「か(疑問)」「た(過去・完了)」「は(係助詞)」「を(格助詞)」がない。文法的な関節部分を、すべて羽川に奪われている。
対する羽川は、母音を失った代わりに、文脈を決定づける強力な子音群を保持している。
「じゃあ、先行は私から。……積木くん、準備はいい?」
夕暮れの街角。信号機が赤から青に変わる。その色彩の変化すらも、彼女の演出の一部のようだった。
羽川翼は、一度目を閉じ、それからゆっくりと開いた。その瞳には、すでに日常会話の温度はない。演算を開始したスーパーコンピュータの静謐さで、彼女は第一手を放った。
「『……ケ・フ、ハ、ヨ・キ・ヒ。ト・キ、キ・ク・ハ、ヤ・ボ、カ?』」(今日は善よき日ひ。時、効きくは野暮やぼか?)
初手から、洗礼を浴びせられた気分だった。現代語の「今日(きょう)」には、僕の持ち字である「う」が含まれる。だが彼女は歴史的仮名遣い「けふ」を採用することで、僕の領土を完全に迂回した。「時、効く」。「時、聞く」。時間を気にするのは野暮か、という問い。思考時間無制限というルールを逆手に取り、このゲームそのものの性質――時間を贅沢に浪費する遊び――を定義づけるような開幕だ。
僕は息を吸い込む。脳内の辞書を検索する。僕の持ち字は「あ・さ・な・ま・ら」行。「はい」は言えない。「いいえ」の「い」はあるが、「え」もある……いや、「いいえ」はシンプルすぎる。五文字以上というルールがある。
否定の「いな(否)」。これは使える。彼女の問いに対する答えは、「時間は気にしない」。そして、僕から彼女への問いを繋げなければならない。
僕が彼女に聞きたいこと。それは、彼女の「正体」についてだ。完璧すぎる委員長。誰にでも優しい聖母。けれど、その内側に潜む空洞を、僕は知っている気がする。それを暴きたい。
文章を構築する。「汝(なれ)」。二人称。「真(ま)」。真実。「名(な)」。名前、あるいは正体。「知(し)る」。「求(もと)む」。
よし。いける。
「『……イ・ナ。……ナ・レ・ガ・マ・コ・ト、シ・ル・ヲ、モ・ト・ム。』」(否。……汝が真実、知るを、求む。)
口に出した瞬間、羽川の眉がぴくりと跳ねた。「否。時間は気にしない。……君の真実を知ることを、求める」
……しまった。失言だ。僕は冷や汗をかく。「汝が真実」の「が」。「が」は「か」の濁音。「か行」は羽川の持ち字だ。僕には使えない。
「……訂正」
ルール上、言い切る前なら修正は効くか?いや、これはチェスで言えば駒から手を離した瞬間か?羽川は意地悪く笑わず、ただ静かに首を振った。
「セーフ。今の『が』は、鼻濁音の『か゚』じゃなくて、助詞の『の』の意味で使った『な』の変形……と解釈できなくもない、かな。平安初期の文献にはない用例だけど、積木くんの必死さに免じて、今のターンはノーカウント」
「……随分と甘い判定だね」
「甘くないよ。だって、今の積木くんの文章、まだ『問い』になってないもの。『求む』は願望であって、私への質問じゃない」
そうだ。「質問を含めること」がルールだ。僕は舌打ちをしたくなる衝動を抑え、思考を再構築する。「が」を使わず、かつ「疑問形」にする。
「……やり直しだ」
「どうぞ」
僕は深く息を吐き、夕焼けに染まる彼女の横顔を見据えた。僕の持ち字だけで、彼女を刺す。
「『……イ・ナ。……ア・ラ・マ・ホ・シ、ナ・レ・ノ・ス・ナ・オ。……イ・マ、ウ・レ・フ・ル?』」(否。……あらまほし、汝の素直を。……今、憂ふる?)
「否」。時間は関係ない。「あらまほし」。理想的だ、そうあってほしい。君の素直さが。「汝の」。ここなら「の」が使える。そして問い。「今、憂(うれ)ふる?」。君は今、何かを憂いているのか?悲しんでいるのか?完璧な笑顔の下で。
羽川は、ほう、と小さく息を漏らした。「憂ふる」。ハ行四段活用の連体形。疑問の係助詞が省略されているが、語尾のイントネーションで疑問文として成立させた。「ふ(Hu)」は彼女の持ち字だが、僕の「う(U)」として発音される。文字としての「ふ」ではなく、音としての「う」への干渉。いや、表記上は「うれふる」。「ふ」を使っている。
「……積木くん。『うれふる』の『ふ』は、ハ行だよ」
羽川が冷静に指摘する。またか。また僕は、文字の罠にかかったのか。「憂う」は「うれふ」。現代仮名遣いなら「うれう」。これなら僕の「う」でいける。だが、僕たちは今、古語的な響きで戦っている。文脈がそれを要求している。
「いや、違うよ羽川。僕は『憂う(うれ・う)』と言ったんだ。現代仮名遣いでね。発音は同じだ」
「ふうん?文脈は古語なのに、そこだけ現代語?まあ、いいけど」
彼女は余裕の笑みでその苦しい言い訳を受け入れた。そして、即座に反撃に出る。僕が触れようとした「憂い」に対して、彼女はどう答えるか。
彼女は歩みを止め、ガードレールの影に身を沈めると、底冷えするような声で紡いだ。
「『……カ・コ。……タ・ワ・ケ、タ、ヒ・ビ。……コ・ヒ、ト・ハ、ウ・ツ・ツ?』」(過去。……戯た、日々。……恋こひとは、現?)
「過去」。彼女が憂いているのは、現在ではなく過去だと断じた。「戯けた日々」。愚かな過去。そして、問い。「恋とは、現(現実・正気)なのか?」
彼女の持ち字「か・た・は」行と「や・わ」行をフル活用した、完璧な防壁とカウンター。「うつつ」という言葉。「つ」はタ行。彼女の文字だ。「恋」。僕に向けられた言葉か、それとも一般論か。
僕は動揺する。「恋」という単語が出ただけで、思考の純度が下がる。これが彼女の狙いか。僕は彼女に恋をしているのか?それとも、この敗北感に執着しているだけなのか?その迷いすらも、彼女は「うつつ(現実か、夢か)」という言葉で先回りしている。
その問いは、物理的な質量を持って僕の胸郭を圧迫した。彼女は「恋」という不確定性原理のような概念を、数学の問題のように冷徹に提示してくる。それは現実(リアル)なのか、それとも脳内で合成された虚像(バーチャル)なのか。あるいは、「正気(うつつ)」なのか、という皮肉か。
僕は答えなければならない。僕の持ち字は「あ・さ・な・ま・ら」行。「はい(Ha-i)」は言えない。「いいえ(I-i-e)」は言えるが、それでは「現ではない=夢・狂気」という肯定になってしまう。僕が彼女に対して抱いている、このドロドロとした感情。天才・羽川翼への嫉妬、憧憬、そして執着。これを「狂気」と認めるのは癪だ。かといって「現実」と断言できるほど、僕は自分を客観視できていない。
思考しろ。言葉をパズルのピースのように組み合わせろ。彼女の問いを肯定しつつ、彼女の予期しない角度から切り返す。
「真(まこと)」。「誠(まこと)」。「愛(あい)」。「愛(め)でる」。「成(な)る」。
よし。
「『……マ・コ・ト、ナ・リ。……サ・レ・ド、ミ・チ、マ・ヨ・フ。……ヌ・シ、ア・イ・ス・ル?』」(真実なり。……されど、道迷ふ。……主、愛する?)
「真実なり」。恋は現実だ。正気だ。「されど、道迷う」。しかし、その道は迷路のようだ。「主(ぬし)」。二人称。「汝(なれ)」のバリエーション。「ぬ」はナ行、「し」はサ行。完璧だ。そして直球の問い。「愛する?」。君は、誰かを愛するという機能を持っているのか?「す(Su)」はサ行。「る(Ru)」はラ行。「愛(A-i)」はア行。全て僕の持ち字だ。
……いや、待て。羽川の目が、微かに細められた。僕はまた、何かを見落としたか?
「『まよふ』」彼女がポツリと呟く。「『迷う』の歴史的仮名遣いは『まよふ』。ハ行だね、積木くん」
心臓が跳ねる。「ふ(Hu)」!またハ行だ。古語を使おうとして、語尾の「ふ」に足をすくわれた。「迷う(Ma-yo-u)」ならア行だが、「まよふ」と表記した瞬間にアウトになる。発音は「う」でも、表記というルールにおいて僕は敗北した。
「……負けだ」
僕は足を止めた。潔く認めるしかない。これで二度目、いや実質三度目のミスだ。
「あはは。厳しいね、自分に」羽川は可笑しそうに笑い、くるりと回って僕の方を向いた。スカートがふわりと広がり、夜の闇に溶ける。
「でも、積木くん。『まよふ』は確かにアウトだけど、文脈としては通じてたよ。だから――特別ルール。今の質問、私が引き継いで答えてあげる」
「……慈悲のつもりか?」
「ううん。興味本位。積木くんの『愛する?』って問いが、あまりに可愛らしかったから」
彼女は悪戯っぽく微笑むと、人差し指を唇に当てた。そして、彼女自身の持ち字「か・た・は・や・わ」行を駆使して、僕の問いへの回答を紡ぎ始めた。
「『……ワ・レ、コ・ヒ、シ・ラ・ズ。……タ・ダ、ト・ホ・キ、ヒ・カリ、ヲ、オ・フ・ノ・ミ。』」(我、恋知らず。……ただ、遠き光を、追ふのみ。)
「我、恋知らず」。彼女は恋を知らないと言った。「知らず」の「ず」はサ行の濁音……本来はサ行(僕の持ち字)だが、打消の助動詞「ず」は……いや、彼女はさらりと使った。「しらず」の「ら」も僕の文字だ。「し(Shi)」も「ず(Zu=Su)」も僕の文字だ。あれ?
僕は顔を上げる。
「羽川。今の……」
「ん?気づいた?」
彼女は悪びれもせずに言った。
「『知らず』。サ行とラ行。積木くんの持ち字だね。――つまり、今の回答で、私も一回ミスをした。これでおあいこ」
わざとだ。彼女は、僕の「まよふ」というミスを帳消しにするために、自分も意図的にミスをした。僕と同じ土俵に降りてくるために。あるいは、僕という玩具をまだ壊したくないからか?
「……馬鹿にしてるのか」
「違うよ。対等になりたいだけ」彼女の声のトーンが、ふと落ちた。「百点満点のテストじゃ、私たちは対等に見えるけど、中身は違う。積木くんは努力の天才で、私はただの器用貧乏。……だから、こういう歪なルールの中でなら、泥仕合ができるかなって」
彼女は一歩、僕に近づく。
「再開しよう。今の『おあいこ』で、ゲームはリセット。……次は私から問うよ」
彼女は、今度は古語ではなく、現代語に近い、けれど鋭利な刃物のような言葉を選んだ。
「『……キ・ミ、ハ、ワ・ケ・テ、ヘ・タ。……ホ・ント、ハ、ツ・ラ・イ?』」(君は、分けて、下手。……ホントは、辛い?)
「君は、分けて(=とりわけ)、下手」。生き方が?嘘が?それともこのゲームが?そして「ホントは、辛い?」。「ホント」。片仮名表記にしてきたが、音は「ほ・ん・と」。ハ行、ワ行、タ行。彼女の持ち字だ。「辛(つら)い」。タ行、ラ行。「ら」は僕の文字だ。
「おい、羽川。またミスだぞ。『つらい』の『ら』は……」
「あ、ごめん。『つらき』にするつもりだったの。古語なら形容詞の終止形は『し』だけど、連体止めってことで」彼女はぺろりと舌を出した。
嘘だ。彼女がそんな初歩的なミスをするはずがない。「辛い」と発音したかったのだ。現代語の、生々しい感情として。あるいは、このゲームが崩壊し始めているのか?互いの領域を侵食し合い、ルールという境界線が曖昧になるほどに。
僕は、彼女の「辛い?」という問いに向き合う。辛いか?天才と呼ばれる重圧が。彼女に勝てない絶望が。ああ、辛いさ。吐きそうなほどに。
僕は答える。僕の言葉で。
「『……ア・ア。……ミ・ナ、ノ・ロ・ヒ、ナ・リ。……ナ・レ、ノ・メ、ニ・ハ、ナ・ニ、ミ・ル?』」(ああ。……皆、呪ひなり。……汝の目には、何見る?)
「ああ」。肯定。「皆、呪いなり」。周囲の期待も、天才という称号も、全ては呪いだ。「汝の目には、何見る?」。全てを見通す君の目には、この世界はどう映っているんだ?僕の苦悩すらも、数式の一部に見えるのか?
羽川は、静かに目を伏せた。そして、今までで一番、人間らしい、弱々しい声で呟いた。
「『……カ・ラ・ッ・ポ。』」
五文字以上というルールを、彼女は無視した。いや、促音を含めれば五文字か?「か・ら・っ・ぽ・(ん?)」いや、四文字だ。ルール違反だ。けれど、僕は指摘できなかった。その言葉の響きが、あまりにも空虚で、真実味を帯びていたからだ。
「……空っぽ?」
「そう。空っぽ」彼女は自嘲気味に笑う。ルールなど、もうどうでもいいというように。
「私はね、積木くん。……世界を見ているようで、実は何も見ていないの。ただ、入ってきた情報を処理して、最適解を出力しているだけ。だから、私の中には何もない。好きも嫌いも、辛いも楽しいも。……ただの空洞」
彼女は僕を見上げる。その瞳の奥は、本当に、底が見えないほど暗かった。
「だから、積木くんが羨ましいよ。『呪い』なんて言えるほど、何かに執着できる君が。……ねえ、その『呪い』、私に分けてくれない?」
彼女の手が、僕の頬に触れた。冷たい。氷のように冷たい指先。
「質問だよ、積木くん。ゲームの続き」
彼女は囁く。
「『……コ・コ・ロ、ヲ、ワ・ケ・ル?』」(心を、分ける?)
「心」。カ行。「を」。ワ行。「分ける」。ワ行、カ行。「る」。ラ行。僕の文字だ。またルール違反だ。けれど、彼女はもう、文字の所有権など気にしていない。僕の領域(文字)を侵食し、僕の心(呪い)を奪おうとしている。
僕は、どう答える?「分ける」なんてできない。これは僕だけの苦しみだ。いや、彼女になら。この完璧な空洞になら、僕の混沌を流し込んでもいいのか?
僕の持ち字は「あ・さ・な・ま・ら」。「駄目(だめ)」は言えない。「いいよ」は言える。「無理(むり)」も言える。「ならぬ」も言える。
僕は、彼女の手を握り返した。そして、ルール違反を承知で、彼女の文字(か・た・は行)を奪い取り、答えた。
「『……イ・ヤ、ダ。……コ・レ・ハ、ボ・ク・ノ、イ・タ・ミ・ダ。』」(嫌だ。……これは、僕の、痛みだ。)
「だ(Ta)」。「ぼく(Bo-Ku)」。「いたみ(I-Ta-Mi)」。僕は彼女の文字を使い、彼女の提案を拒絶した。この痛みこそが、僕が僕である証明だから。羽川翼と対等であるための、唯一の武器だから。これを渡してしまえば、僕は本当に、ただの彼女の劣化コピーになってしまう。
羽川は、目を見開いた。そして、ふわりと、花が咲くように笑った。
「……そっか。残念」
「……ルール違反だぞ、お互いに」
「そうだね。二人とも負け。……でも、引き分けなら、明日もまた戦えるね」
彼女は手を離した。いつもの、完璧な委員長の顔に戻っていた。
「じゃあ、今日はここまで。送ってくれてありがとう、積木くん」
彼女の家の前。ゲームオーバーの場所。
「……ああ。また明日、学校で」
「うん。また明日。……百点満点のテストで会おうね」
彼女は背を向け、門扉を開けた。その背中は、やはり遠かった。けれど、ほんの一瞬だけ、彼女の「空っぽ」の深淵を覗き込んだような気がした。
僕たちは、言葉遊びという儀式を通じて、互いの傷跡を確認し合った共犯者になったのだ。それが「恋」なのかどうかは、まだ、僕の持ち字では表現できない。
これを週刊連載でやってた化け物がこの世にいるらしいが、恐らくそれを人は怪異と呼びます
おらも怪異になりてぇな
読んでくれてありがとうございます。感想等お待ちしております。