検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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返事の重さ

第百話 返事の重さ

 

祠を過ぎると、道は下りに入った。

木々の隙間から、遠くの村が見える。屋根の数は少なく、煙もまばらだ。

 

イェルグは足を止めない。

休憩を取るでもなく、水を飲むでもない。

仕事へ向かう速度だ。

 

「次は、あの村ですか」

 

ルーネが言う。

 

「そうだ」

 

「依頼内容は」

 

「“夜、声が増える”」

 

淡々とした返答。

そこに、評価も感情も含まれていない。

 

村に入ると、人の気配が薄かった。

昼だというのに、戸は閉じられ、道に子供がいない。

 

「……静かですね」

 

ルーネが呟く。

 

イェルグは一瞬だけ、足を止めた。

 

「静かすぎる」

 

それだけ言って、再び歩き出す。

 

村の中央、井戸のそばに人が集まっていた。

数人の大人が、互いに距離を取って立っている。

疲労の色が濃い。

 

「検死官だ」

 

イェルグが名乗ると、村人の一人が頷いた。

 

「……声が、返ってくるんです」

 

「夜だけか」

 

「最初は、夜だけでした。でも……」

 

男は言葉を探す。

 

「最近は、昼でも」

 

「返事をしたか」

 

イェルグの問いは、直線的だった。

 

男は視線を落とす。

 

「……子供が、泣く声に似ていて」

 

その時点で、答えは出ていた。

 

「誰が」

 

「私です」

 

名乗り出たのは、年配の女だった。

痩せている。手が、わずかに震えている。

 

「一度だけ。

“どうしたの”と……」

 

ルーネの胸が、きゅっと縮む。

 

「それで、止まりました」

 

女は続ける。

 

「だから……良かったと……」

 

イェルグは、首を振った。

 

「止まっていない」

 

女の顔色が変わる。

 

「形を変えただけだ」

 

その夜、二人は村外れの納屋に泊まった。

焚き火は焚かない。音が、増えるからだ。

 

闇の中、村の方角から微かな音が流れてくる。

風とも、獣とも違う。

 

「……ね」

 

ルーネの指が、僅かに動いた。

 

「聞くな」

 

イェルグの声は低い。

 

「聞こえても、音として扱え」

 

「でも……」

 

「返事をした瞬間、

お前は“位置”になる」

 

ルーネは、唇を噛む。

 

「先生は……怖くないんですか」

 

少し間があった。

 

「怖い」

 

イェルグは、正直に言った。

 

「だから、冷たくする」

 

「冷たく……」

 

「情を切るためじゃない」

 

イェルグは続ける。

 

「情を正しく使うためだ」

 

村の方から、また声がした。

 

「ねえ……」

 

距離が、近い。

 

ルーネの胸が、強く脈打つ。

この声は、拒絶されない距離を知っている。

 

「……先生」

 

「黙れ」

 

きつい声だった。

 

「今は、俺が返す」

 

イェルグは、立ち上がり、納屋の外へ出た。

ルーネは止められない。

 

闇の中、イェルグは声を張らない。

 

「……ここだ」

 

短く、同じ高さで。

 

間。

 

「……ここ」

 

返ってきた。

意味はない。ただの反復。

 

「……ここだ」

 

再び、同じ言葉。

 

音が、揺れる。

増えない。

重ならない。

 

ルーネは、息を止めて見ていた。

 

三度目の返答のあと、

声は、薄くなった。

 

完全には消えない。

だが、育たない。

 

イェルグが戻ってくる。

 

「これで、今夜は保つ」

 

「……それだけで?」

 

「それだけだ」

 

「優しい言葉は……」

 

「要らん」

 

即答だった。

 

「必要なのは、意味じゃない」

 

イェルグは腰を下ろす。

 

「境界だ」

 

ルーネは、その言葉を胸に刻む。

 

夜が更ける。

声は、遠くで小さく揺れるだけだ。

 

それでも、ルーネは分かっている。

 

この村の怪異は、消えない。

返事をした者がいる限り、

次の段階を、必ず待つ。

 

そして――

いつか、自分が呼ばれたら。

 

返事をしないでいられるか。

 

その問いだけが、

静かな夜よりも重く、

胸に残っていた。

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