第百九話 変わらない、と言われる
現場は、よくある家屋だった。
土壁にひびが入り、裏手には小さな畑。
村外れだが、孤立しているほどではない。
こういう場所で起きる異変は、たいてい小さく、そして遅い。
「……死因は?」
ルーネが問う。
「分からん」
答えたのは、現地に先着していた検死官だった。
同僚――名前を呼ぶほど親しくはないが、顔は知っている。
「心停止。でも外傷なし。毒反応も薄い」
「薄い?」
「あるにはあるが、決定打じゃない」
ルーネは、遺体を覗き込む。
老女。眠るような顔。
苦悶の痕跡はない。
「じゃあ、怪異の関与は……」
「否定はできない」
同僚は、少し言葉を選んだ。
「ただ」
その“ただ”が、妙に長かった。
「今回は、お前が記録を書くんだろ」
「はい」
ルーネは頷く。
「……なら、任せる」
その言い方が、引っかかった。
「何か、おかしいですか」
ルーネが聞くと、同僚は首を振った。
「いや」
「お前は、正確だ」
それは、褒め言葉のはずだった。
「判断も早い。迷いがない」
一拍。
「……だから、怖い」
言い終えたあと、同僚は自分で驚いたような顔をした。
「いや、悪い。変な言い方だな」
「いえ」
ルーネは、首を振る。
「どういう意味ですか」
同僚は、遺体から視線を外した。
「最近さ」
「お前、現場で“立ち止まらなくなった”」
ルーネは、少し考えた。
「効率化です」
「だろうな」
同僚は、曖昧に笑う。
「でも、前はもう一呼吸あった」
「遺体を前に、何かを考えてから書いてた」
「今は……」
言葉を切る。
「書く前に、もう結論が決まってる」
ルーネは、反射的に言った。
「それは、経験です」
「そうだな」
否定はされなかった。
だが、肯定もされなかった。
現場の外で、村人が二人、ひそひそと話している。
視線が、こちらをちらりと掠める。
「検死官さん」
声をかけてきたのは、遺族の男だった。
「この人は……苦しみましたか」
ルーネは、即座に答える。
「いいえ」
迷いはない。
「苦痛は、ほとんどありません」
男は、ほっとしたように息を吐く。
「そうですか……」
「はい」
ルーネは、言い切る。
「穏やかな死です」
それは、事実だった。
少なくとも、記録上は。
男は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その背中を見送りながら、同僚が小さく言う。
「……優しいな」
「事実を言っただけです」
「そうだな」
また、曖昧な返事。
作業が終わり、外に出る。
空は曇っている。
雨は、まだ降らない。
「ルーネ」
同僚が、最後に声をかける。
「お前さ」
「はい」
「自分が変わってないって、思ってるだろ」
ルーネは、少し笑った。
「当然です」
「仕事は、ちゃんとできてます」
「誰も死なせてません」
その言葉に、同僚は何も返さなかった。
ただ、少し距離を取る。
「……じゃあな」
それだけ言って、背を向けた。
ルーネは、その背中を見送る。
(何が、変なんだろう)
胸の奥に、違和感はある。
だが、形にならない。
記録は正しい。
判断も正しい。
結果も出ている。
問題は、ない。
なのに。
現場に残った空気だけが、
ほんの少し、よそよそしかった。