検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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祈祷隊

第十一話 祈祷隊

 

祈祷隊は、

音を立ててやって来た。

 

鐘ではない。

歌でもない。

足音と、布の擦れる音と、

金属の揺れる乾いた響き。

 

朝の川辺に、

それらは不釣り合いだった。

 

白を基調とした法衣。

汚れを拒む色。

だが、裾はすでに濡れ、

土を含み、

この場所に順応し始めている。

 

「……思ったより、

 早いですね」

 

ルーネは、

イェルグの半歩後ろで言った。

 

声は低い。

祈祷隊に聞かせるためではなく、

自分を落ち着かせるための声だった。

 

「ええ」

 

イェルグは、

川から目を離さない。

 

水位は、

昨夜より、

さらに下がっている。

 

それでも、

祈祷隊の誰も、

まず川を見なかった。

 

彼らが最初に見たのは、

人だった。

 

「検死官イェルグ」

 

先頭に立つ男が、

穏やかな声で呼ぶ。

 

年嵩。

だが老いてはいない。

祈祷の責任者だろう。

 

「ご苦労だったと、

 聞いている」

 

その言葉は、

労いの形をしていた。

 

「状況は、

 理解しています」

 

理解、

という言葉ほど、

曖昧なものはない。

 

「……ここからは、

 我々が引き受けましょう」

 

男は、

川を指した。

 

「境界が揺らいでいる。

 ならば、

 祈りによって支える」

 

支える、

という言い方も、

便利だった。

 

「検死は、

 もう十分です」

 

「……十分、

 というのは」

 

ルーネが、

口を開きかける。

 

だが、

イェルグが、

わずかに手を上げた。

 

「祈祷は、

 いつから始まりますか」

 

「準備が整い次第」

 

男は、

微笑んだ。

 

「人心が、

 不安定だ」

 

それは、

否定しようのない事実だった。

 

「川向こうの村も、

 恐怖に包まれている」

 

「ええ」

 

イェルグは、

淡々と応じる。

 

「恐怖は、

 境界を削ります」

 

男の眉が、

わずかに動いた。

 

「……興味深い言い方だ」

 

イェルグは、

答えなかった。

 

祈祷隊が、

動き始める。

 

川辺に、

印が描かれ、

香が焚かれる。

 

その煙は、

風に乗って、

水面を撫でた。

 

「……淡水に、

 触れさせるのは……」

 

ルーネが、

小声で言う。

 

「ええ」

 

イェルグは、

それ以上、

言わなかった。

 

祈祷は、

善意で行われる。

 

だが、

善意は、

必ずしも慎重ではない。

 

詠唱が始まる。

 

低く、

ゆっくりとした声。

 

それに合わせて、

川面が揺れた。

 

「……流れが……」

 

ルーネは、

思わず呟く。

 

水が、

動いている。

 

だが、

増えてはいない。

 

動きは、

撹拌だった。

 

「……境界を、

 “動かして”います」

 

「ええ」

 

イェルグは、

静かに答える。

 

「固定ではなく、

 流動にしようとしている」

 

「それは……」

 

「ヌックにとって、

 学習材料です」

 

祈祷の最中、

責任者の男が、

一度だけこちらを見た。

 

その視線は、

測るようなものだった。

 

――思ったより、

――教えているな。

 

その評価が、

はっきりと見えた。

 

「聖務官」

 

男が、

ルーネに声をかける。

 

「記録は、

 取れているか」

 

「……はい」

 

ルーネは、

一瞬だけ、

イェルグを見る。

 

「……事実は」

 

男は、

満足そうに頷いた。

 

「よろしい」

 

「解釈は……」

 

「教会が、

 引き受ける」

 

その言葉は、

優しかった。

 

同時に、

線を引いた。

 

祈祷が、

終盤に入る。

 

煙が、

濃くなる。

 

川は、

確かに揺れている。

 

だが、

水位は、

変わらない。

 

「……成功、

 でしょうか」

 

ルーネの声は、

小さい。

 

「祈りは、

 成されました」

 

イェルグは、

そう答えた。

 

「結果は……」

 

言葉を、

切る。

 

「これからです」

 

祈祷隊が、

撤収を始める。

 

川辺には、

印と灰と、

消えきらない香の匂い。

 

そして。

 

「……静かすぎます」

 

ルーネが言った。

 

川の音が、

さらに小さい。

 

水は、

動いている。

 

だが。

 

「……境界が……」

 

「薄くなっています」

 

イェルグは、

煙草を取り出した。

 

火は、

つけない。

 

「祈りは、

 人を安心させます」

 

「……でも」

 

「境界は、

 安心では、

 保てません」

 

川は、

まだ、

越えられていない。

 

だが、

人の手で、

揺さぶられた。

 

それを、

ヌックが、

見ていないはずがなかった。

 

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