検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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数え直し

第百二十話 数え直し

 

家の中は、妙に整っていた。

 

掃除が行き届いているわけではない。ただ、物が“過不足なく”置かれている。椅子は三脚。食器も三人分。干し草の量、鍋の大きさ、靴の数。

生活が、計算通りに続いている。

 

「……三人家族ですね」

 

ルーネは低く言った。

 

「そう見えるな」

 

イェルグは壁に手を当てる。冷たい。石が、まだ家としての役割を保っている証拠だ。

 

奥の部屋で、女が糸を紡いでいた。年は三十代半ば。視線を上げ、二人を見る。

 

「検死官……?」

 

声は、ちゃんと届いた。

 

「はい。少し、お話を」

 

女は頷いた。拒まない。だが歓迎もしていない。

“そういう役割の人間が来た”と理解している反応だ。

 

「ご主人と、お子さんは」

 

ルーネが訊く。

 

女は少し考え、首を傾げた。

 

「……いますよ」

 

「今は?」

 

「畑に……」

 

言葉が、途中で薄くなる。

畑の方向を指す指先が、途中で止まった。

 

ルーネは、そこで一つ、数を増やした。

この家には、まだ三人分の生活が残っている。

 

「先生」

 

小さく呼ぶ。

 

「この家、まだ“飲み切られていません”」

 

イェルグは頷いた。

 

「分かってる」

 

その声は、昔よりずっと低かった。

断定ではない。確認の音だ。

 

――昔。

 

イェルグの脳裏に、別の村が重なる。

同じように整った家。同じように数の合う生活。

だが当時の彼は、家を見なかった。

 

地形だけを見ていた。

 

村全体が怪異なら、細部は誤差だ。

そう判断した。

 

報告書には、こう書いた。

 

《人的被害なし。

 怪異は自壊傾向。

 封鎖により自然消滅を確認。》

 

確認、ではない。

期待だった。

 

「……先生」

 

現実に引き戻すのは、ルーネの声だ。

 

「子供部屋、あります」

 

二人は奥へ進む。

 

小さな寝台。擦り切れた毛布。木彫りの動物。

それらは、まだ“重さ”を持っている。

 

「名前、ありますね」

 

ルーネが壁を見る。

子供の背丈を刻んだ線。その横に、文字。

 

「……読めますか」

 

イェルグは近づいた。

 

「……ある」

 

はっきりと。

 

「数えられている」

 

ルーネは息をついた。

ここで初めて、少しだけ安堵が混じる。

 

「先生。今回は」

 

「消す判断は、しない」

 

イェルグは即答した。

 

「この村は、まだ選べる」

 

「どうやって」

 

「飲み込む“境界”を特定する。

 村全体じゃない。中心がある」

 

ルーネを見る。

 

「俺が、怪異の“腹”を探る」

 

「僕は?」

 

「残った人間を繋ぎ止めろ。

 名前と、関係を。

 生活が続いてる証拠を、増やせ」

 

それは命令じゃない。

役割分担だった。

 

ルーネは頷いた。

 

「了解です。パートナー」

 

その言葉に、イェルグは一瞬だけ目を伏せた。

 

過去の自分なら、その呼び方を訂正しただろう。

だが今は、しなかった。

 

「……頼む」

 

その一言で、十分だった。

 

外に出ると、風が強くなっていた。

村はまだ薄い。だが、完全には溶けていない。

 

イェルグは歩きながら、思う。

 

昔の自分は、正しかった。

判断としては。

 

だが――

正しさだけでは、残るものを見なかった。

 

今は違う。

 

背中に、視線がある。

任せられる相手がいる。

 

飲み込む村は、二人を試すように軋んだ。

 

それでも、

今回はまだ、数え直せる。

 

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