第百二十話 数え直し
家の中は、妙に整っていた。
掃除が行き届いているわけではない。ただ、物が“過不足なく”置かれている。椅子は三脚。食器も三人分。干し草の量、鍋の大きさ、靴の数。
生活が、計算通りに続いている。
「……三人家族ですね」
ルーネは低く言った。
「そう見えるな」
イェルグは壁に手を当てる。冷たい。石が、まだ家としての役割を保っている証拠だ。
奥の部屋で、女が糸を紡いでいた。年は三十代半ば。視線を上げ、二人を見る。
「検死官……?」
声は、ちゃんと届いた。
「はい。少し、お話を」
女は頷いた。拒まない。だが歓迎もしていない。
“そういう役割の人間が来た”と理解している反応だ。
「ご主人と、お子さんは」
ルーネが訊く。
女は少し考え、首を傾げた。
「……いますよ」
「今は?」
「畑に……」
言葉が、途中で薄くなる。
畑の方向を指す指先が、途中で止まった。
ルーネは、そこで一つ、数を増やした。
この家には、まだ三人分の生活が残っている。
「先生」
小さく呼ぶ。
「この家、まだ“飲み切られていません”」
イェルグは頷いた。
「分かってる」
その声は、昔よりずっと低かった。
断定ではない。確認の音だ。
――昔。
イェルグの脳裏に、別の村が重なる。
同じように整った家。同じように数の合う生活。
だが当時の彼は、家を見なかった。
地形だけを見ていた。
村全体が怪異なら、細部は誤差だ。
そう判断した。
報告書には、こう書いた。
《人的被害なし。
怪異は自壊傾向。
封鎖により自然消滅を確認。》
確認、ではない。
期待だった。
「……先生」
現実に引き戻すのは、ルーネの声だ。
「子供部屋、あります」
二人は奥へ進む。
小さな寝台。擦り切れた毛布。木彫りの動物。
それらは、まだ“重さ”を持っている。
「名前、ありますね」
ルーネが壁を見る。
子供の背丈を刻んだ線。その横に、文字。
「……読めますか」
イェルグは近づいた。
「……ある」
はっきりと。
「数えられている」
ルーネは息をついた。
ここで初めて、少しだけ安堵が混じる。
「先生。今回は」
「消す判断は、しない」
イェルグは即答した。
「この村は、まだ選べる」
「どうやって」
「飲み込む“境界”を特定する。
村全体じゃない。中心がある」
ルーネを見る。
「俺が、怪異の“腹”を探る」
「僕は?」
「残った人間を繋ぎ止めろ。
名前と、関係を。
生活が続いてる証拠を、増やせ」
それは命令じゃない。
役割分担だった。
ルーネは頷いた。
「了解です。パートナー」
その言葉に、イェルグは一瞬だけ目を伏せた。
過去の自分なら、その呼び方を訂正しただろう。
だが今は、しなかった。
「……頼む」
その一言で、十分だった。
外に出ると、風が強くなっていた。
村はまだ薄い。だが、完全には溶けていない。
イェルグは歩きながら、思う。
昔の自分は、正しかった。
判断としては。
だが――
正しさだけでは、残るものを見なかった。
今は違う。
背中に、視線がある。
任せられる相手がいる。
飲み込む村は、二人を試すように軋んだ。
それでも、
今回はまだ、数え直せる。