第百二十四話 内側にしまわれた村
報告書を書く手は、いつもより遅かった。
イェルグは、紙の上でペンを止める。
窓の外では、風が吹いている。もう、あの村の匂いはしない。
「……先生」
ルーネが、向かいの椅子に腰掛けたまま、様子を窺っている。
「まだ終わってない」
「いえ、そういう意味じゃなくて」
ルーネは言葉を探すのをやめ、正直に言った。
「今回の怪異、先生……前と見方、違いますよね」
イェルグは、鼻で小さく息を吐いた。
「よく見てるな」
ペンを置く。
「誤解してた」
それは、珍しい言葉だった。
「俺はあれを、“村を食う怪異”だと思ってた。
実体があって、領域を広げて、内部を空洞にするタイプの」
「……違ったんですか」
「違う」
イェルグは、ゆっくり言葉を選ぶ。
「あれは、守ろうとした結果、内側に折り畳まれた村だ」
ルーネは、黙って聞いている。
「外敵から守る。流行り病から守る。
教会から、徴発から、飢饉から……」
指を折る。
「守るために、閉じた。
閉じるために、内側にしまった」
「……人も?」
「人もだ」
イェルグは続ける。
「本来、村ってのは外と繋がって呼吸する。
出入りがあって、死んで、生まれて、名前が増減する」
一度、ルーネを見る。
「でも、あれは違った。
減らさないために、消した」
「矛盾してますね」
「そうだ。だから怪異になった」
イェルグは紙束を揃えた。
「人が消えたんじゃない。
数えられない場所に移された」
「……腹の中」
「ああ。
村そのものが、墓標であり、保管庫になった」
ルーネは、少し俯く。
「じゃあ……倒した、んでしょうか」
イェルグは首を振った。
「終わらせただけだ」
「どうやって?」
「呼び戻した」
即答だった。
「守る対象を、外に返した。
記録と名前を、元の位置に戻した」
それが答えだった。
「だから、あれは抵抗しなかった。
役割を終えただけだ」
沈黙。
「……先生」
「何だ」
「もし、また同じものが出たら」
イェルグは、少しだけ笑った。
「今度は、最初から分かる」
「分かるって?」
「閉じてるのか、守ってるのか」
それは、検死官の言葉じゃない。
だが、必要な区別だった。
「……じゃあ、報告書には」
「書く」
イェルグは、再びペンを取った。
「訂正してな」
ルーネは、それ以上聞かなかった。
⸻
【教会提出用・内部記録(訂正版)】
件名:領域型怪異事案/村落消失現象(再定義)
通称:
「飲み込む村」「内包村落型怪異」
性質:
当該怪異は村落単位で発生し、領域内部に人員・建造物・記録を内包する。
外部からは「消失」「捕食」と誤認されやすいが、実態は保存・隔離に近い。
由来(訂正):
本怪異は外的悪意によって生じたものではない。
村および村民を守ろうとした意思が、過剰な内向化を起こした結果、怪異化したものと判断される。
「守るために閉じる」という選択が重なり、最終的に村全体が自己完結した。
発生機序(再定義):
① 外部からの脅威の継続
② 村内での防衛・隠蔽・内包の選択
③ 人・記録・役割の外部循環の停止
④ 「減らさない」ための内側への移送
⑤ 村そのものが領域化し、怪異として固定
対処・終結方法:
物理的破壊は非推奨。
内部に保管された記録を基に、個々の村民を外部へ再定義(呼称)することで、領域は解体される。
怪異は消滅ではなく、役割の終了として終結。
備考:
本事案は、討伐対象というよりも「解体対象」とするのが妥当。
――以上。
⸻
ペンを置く音が、小さく響いた。
イェルグは背もたれに体を預ける。
「……今回は、助かった」
「はい」
「お前が、外で数えてたからだ」
ルーネは、少しだけ笑った。
「パートナーですから」
イェルグは、否定しなかった。