教えるという仕事(前編)
教会運営の検死官養成学校は、街の外縁にあった。
礼拝堂ほどの威圧はなく、役所ほどの雑然もない。石壁は古く、補修の跡が幾重にも重なっている。ここが「人を死に向き合わせる仕事」を教える場所だということは、見た目からは分かりにくい。
イェルグは、講義室の前で足を止めた。
扉の前に立つと、自然と呼吸が浅くなる。
現場とは違う緊張だ。血の匂いも、腐敗もない。あるのは、未来の失敗だけ。
ポケットに手を入れかけて、煙草がないことに気づく。
今日は最初から持ってきていない。
――教師の真似事をするには、多少は清潔である必要がある。
扉を開ける。
講義室には、十四名。
全員がこちらを見る。視線はまっすぐで、まだ柔らかい。
「座れ」
それだけ言うと、椅子が一斉に鳴った。
教卓に立つ。
黒板には、事務方が書いたらしい整った文字が残っている。
検死官実務特論
担当:非常勤講師
「俺はイェルグ・ハルヴァン。検死官長だ」
名乗った瞬間、空気が一段引き締まる。
現場を知らない者でも、肩書きの重さは理解できる。
「今日は技術を教えない。解剖の手順、薬品の比率、死後経過時間の測り方――
そういうのは、全部もう教わっているはずだ」
数人が頷く。
「代わりに聞く」
イェルグは、視線を一人ずつに向ける。
「検死官の仕事は、何だ」
沈黙。
やがて、一人が答える。
「……死因を特定し、記録することです」
「正解だ。七割はな」
別の生徒が続く。
「怪異かどうかを判断し、対処を進言すること」
「それも正解。九割だ」
黒板に、ゆっくりと書く。
検死官の仕事:
死を、そのまま見る
「これが残りの一割だ」
チョークを置く。
「お前たちは、死を“意味づけ”しようとする。
かわいそうだとか、理不尽だとか、救えたはずだとか」
一拍。
「だが、まずやるのは――見ることだ。
評価しない。裁かない。慰めない」
候補生の一人が、眉を寄せた。
「……それは、冷たいのでは」
「そうだ」
即答だった。
「検死官は冷たい。
冷たくなれない奴は、現場で壊れる」
教室の空気が、わずかに張る。
「だがな」
イェルグは続ける。
「冷たいままでいい仕事は、そう多くない」
黒板に、新しい文字を書く。
成功例
「被害ゼロ。
怪異は討伐、もしくは封印。
村は存続。
後遺症なし」
「教会的には、これが満点だ」
誰も否定しない。
「だが、現場ではこうなる」
チョークが動く。
死体なし
病気なし
それでも“前と同じではない”人間が残る
「この場合、どう書く」
沈黙。
「記録には――」
「“異常なし”」
誰かが答える。
「そうだ。
嘘じゃない。異常は検出されていない」
イェルグは、少しだけ声を落とす。
「だが、異変はある」
視線が集まる。
「書類には書けない。
数値にもならない。
だが、家族は分かる」
間を置く。
「――本人も、分かっていないことが多い」
候補生の一人が、小さく息を呑んだ。
「覚えておけ。
検死官の仕事は、“正しい記録を書くこと”じゃない」
黒板に、最後の一文を書く。
正しい記録しか、書けない仕事だ
「だから危険なんだ」
教室は静まり返っていた。
「質問は」
しばらくして、手が挙がる。
「……では、私たちは、その人を救えなかったんですか」
イェルグは、少し考える。
「救えたかどうかは、分からん」
正直な答え。
「だが、殺してはいない。
それは重要だ」
言い切る。
「検死官は、奇跡を起こさない。
ただ、被害を最小にする」
その言葉を、何人かが書き留めている。
「今日はここまでだ」
講義室に、ほっとした空気が流れる。
「次は――
『それでも残る違和感を、どう扱うか』をやる」
扉に向かいながら、イェルグは言った。
「答えは教えない。
だが、考え方は教える」
廊下に出ると、息を吐く。
思ったより、疲れていた。
――教えるのは、現場より消耗する。
だが。
「……悪くないな」
小さく呟く。
廊下の先で、ルーネが待っていた。
「先生、顔が講師でした」
「余計なこと言うな」
「でも、みんな真剣でしたよ」
イェルグは、少しだけ頷く。
「……続きは、次だ」
次は、もっと踏み込む。
情がなければ対処できない怪異の話を。