検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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教えるという仕事(後編)

教えるという仕事(後編)

 

次の講義では、机の配置が変えられていた。

円卓。向かい合う形だ。

 

候補生たちが戸惑っているのを見て、イェルグは小さく頷く。

 

「今日は書くな。聞け」

 

教卓には立たない。

一つ空いた席に腰を下ろす。

 

「仮想事例だ」

 

低く、淡々と語り始める。

 

「ある村に怪異が発生。

 被害は軽微だが、住民が徐々に衰弱している。

 怪異は会話が可能で、敵意はない」

 

数人が息を詰める。

 

「教会の指示はこうだ。

 “世話役を一人決め、安定させろ”」

 

沈黙。

 

「さて。どうする」

 

最初に声を上げたのは、若い候補生だった。

 

「……その指示に従います。

 被害が減るなら、それが最善です」

 

「理由は」

 

「全体を守るためです」

 

「他は」

 

別の候補生。

 

「世話役の交代制を提案します。

 一人に負担が集中しないように」

 

「不可能だ」

 

即座に切る。

 

「怪異は“選ぶ”。

 選ばれた相手以外は意味を持たない」

 

空気が張る。

 

「じゃあ、どうするんですか」

 

イェルグは、しばらく黙った。

 

「――何もしない、という選択肢もある」

 

ざわめき。

 

「怪異を刺激せず、

 被害が拡大する前に討伐申請を出す」

 

「でも、それだと……」

 

「死ぬ人間が出る可能性がある」

 

遮る。

 

「だが、選ばれた一人が確実に死ぬ構造よりは、まだマシだ」

 

候補生たちの顔に、迷いが浮かぶ。

 

「覚えておけ」

 

イェルグは、指を組んだ。

 

「検死官の判断は、

 正解かどうかじゃない」

 

間を置く。

 

「どこまでを許容するかだ」

 

誰も口を開かない。

 

「情がある奴ほど、

 “今、目の前にいる一人”を救おうとする」

 

視線が鋭くなる。

 

「だが、その優しさが、

 別の誰かを確実に殺す場合がある」

 

一人の候補生が、震える声で言った。

 

「……それでも、返事をしてしまったら?」

 

その問いに、イェルグは少しだけ目を細めた。

 

「したなら」

 

静かに。

 

「責任を取れ」

 

「逃げるな。

 “間違えた自分”を切り捨てるな」

 

「そして――」

 

言葉を選ぶ。

 

「次は、もう一段階、冷たくなれ」

 

候補生たちは、ただ聞いていた。

 

「俺は昔、

 それができなかった」

 

初めて、私的な言葉が混じる。

 

「現場で判断を誤り、

 死なせた」

 

「だから、冷たい検死官になった」

 

一拍。

 

「だが、それだけじゃ足りなかった」

 

沈黙が、重く落ちる。

 

「冷たく見て、

 それでも踏み込むべき時がある」

 

視線が、一人一人をなぞる。

 

「それを決めるのは、

 書類でも、教会でもない」

 

「――お前たち自身だ」

 

長い静寂。

 

やがて、イェルグは立ち上がった。

 

「今日の講義は終わりだ」

 

椅子の音が控えめに鳴る。

 

「覚えておけ。

 検死官は、正しい」

 

「だが、正しさだけでは足りない」

 

教室を出ると、深く息を吐いた。

 

思った以上に、胸の奥を使った。

 

廊下の窓から、午後の光が差している。

 

「……やっぱり教師向いてますよ、先生」

 

ルーネが、壁にもたれていた。

 

「聞いてたのか」

 

「廊下まで聞こえてました」

 

イェルグは、苦笑する。

 

「俺は、教える柄じゃない」

 

「でも」

 

ルーネは言う。

 

「“どう間違えるか”を教えられる人は、少ないです」

 

その言葉に、イェルグは何も返さなかった。

 

ただ、少しだけ肩の力を抜く。

 

現場で背中を預ける相手が育ったように、

今度は――その背中を、次の世代に見せる番なのだと。

 

「次は……」

 

イェルグは廊下の先を見る。

 

「怪異の分類からだな。

 現実は、もっと面倒だ」

 

ルーネが笑った。

 

「楽しみですね」

 

「俺は楽しくない」

 

そう言いながら、イェルグの足取りは軽かった。

 

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