教えるという仕事(後編)
次の講義では、机の配置が変えられていた。
円卓。向かい合う形だ。
候補生たちが戸惑っているのを見て、イェルグは小さく頷く。
「今日は書くな。聞け」
教卓には立たない。
一つ空いた席に腰を下ろす。
「仮想事例だ」
低く、淡々と語り始める。
「ある村に怪異が発生。
被害は軽微だが、住民が徐々に衰弱している。
怪異は会話が可能で、敵意はない」
数人が息を詰める。
「教会の指示はこうだ。
“世話役を一人決め、安定させろ”」
沈黙。
「さて。どうする」
最初に声を上げたのは、若い候補生だった。
「……その指示に従います。
被害が減るなら、それが最善です」
「理由は」
「全体を守るためです」
「他は」
別の候補生。
「世話役の交代制を提案します。
一人に負担が集中しないように」
「不可能だ」
即座に切る。
「怪異は“選ぶ”。
選ばれた相手以外は意味を持たない」
空気が張る。
「じゃあ、どうするんですか」
イェルグは、しばらく黙った。
「――何もしない、という選択肢もある」
ざわめき。
「怪異を刺激せず、
被害が拡大する前に討伐申請を出す」
「でも、それだと……」
「死ぬ人間が出る可能性がある」
遮る。
「だが、選ばれた一人が確実に死ぬ構造よりは、まだマシだ」
候補生たちの顔に、迷いが浮かぶ。
「覚えておけ」
イェルグは、指を組んだ。
「検死官の判断は、
正解かどうかじゃない」
間を置く。
「どこまでを許容するかだ」
誰も口を開かない。
「情がある奴ほど、
“今、目の前にいる一人”を救おうとする」
視線が鋭くなる。
「だが、その優しさが、
別の誰かを確実に殺す場合がある」
一人の候補生が、震える声で言った。
「……それでも、返事をしてしまったら?」
その問いに、イェルグは少しだけ目を細めた。
「したなら」
静かに。
「責任を取れ」
「逃げるな。
“間違えた自分”を切り捨てるな」
「そして――」
言葉を選ぶ。
「次は、もう一段階、冷たくなれ」
候補生たちは、ただ聞いていた。
「俺は昔、
それができなかった」
初めて、私的な言葉が混じる。
「現場で判断を誤り、
死なせた」
「だから、冷たい検死官になった」
一拍。
「だが、それだけじゃ足りなかった」
沈黙が、重く落ちる。
「冷たく見て、
それでも踏み込むべき時がある」
視線が、一人一人をなぞる。
「それを決めるのは、
書類でも、教会でもない」
「――お前たち自身だ」
長い静寂。
やがて、イェルグは立ち上がった。
「今日の講義は終わりだ」
椅子の音が控えめに鳴る。
「覚えておけ。
検死官は、正しい」
「だが、正しさだけでは足りない」
教室を出ると、深く息を吐いた。
思った以上に、胸の奥を使った。
廊下の窓から、午後の光が差している。
「……やっぱり教師向いてますよ、先生」
ルーネが、壁にもたれていた。
「聞いてたのか」
「廊下まで聞こえてました」
イェルグは、苦笑する。
「俺は、教える柄じゃない」
「でも」
ルーネは言う。
「“どう間違えるか”を教えられる人は、少ないです」
その言葉に、イェルグは何も返さなかった。
ただ、少しだけ肩の力を抜く。
現場で背中を預ける相手が育ったように、
今度は――その背中を、次の世代に見せる番なのだと。
「次は……」
イェルグは廊下の先を見る。
「怪異の分類からだな。
現実は、もっと面倒だ」
ルーネが笑った。
「楽しみですね」
「俺は楽しくない」
そう言いながら、イェルグの足取りは軽かった。