検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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語られない真実

第二十三話 語られない真実

 

村に、朝が来た。

 

特別な音はしない。

鶏が鳴き、戸が開き、

いつもと同じように、人が動き出す。

 

それが、ルーネには少し不思議だった。

 

昨日、確かに子どもが死んだ。

家族が一人、欠けた。

それでも村は、滞りなく朝を迎えている。

 

――人は、そうやって生きるのだ。

 

わかってはいたが、

理解するには、まだ時間が足りなかった。

 

イェルグは、宿の外で煙草を吸っていた。

朝の冷たい空気の中で、火が小さく揺れる。

 

「教会から、人が来る」

 

それだけ言って、煙を吐く。

 

「……やっぱり」

 

ルーネは頷いた。

 

来ないはずがない。

検死官が呼ばれ、記録が作られ、

異端の可能性があるなら、尚更だ。

 

「何を聞かれるんですか」

 

「事実だ」

 

イェルグは即答する。

 

「だが、“どこまでの事実か”は、

 こちらが決める」

 

教会の使者は、昼前に到着した。

年嵩の聖務官で、声が低く、丁寧だった。

 

「異変は?」

 

「ない」

 

「違和感は?」

 

「ある」

 

イェルグは、嘘をつかない。

ただ、選ぶ。

 

「だが、危険性は低い」

 

聖務官は、書き留める手を止めた。

 

「……低い、とは」

 

「再発性がない」

 

「原因は、病と看做せる」

 

「介入は不要だ」

 

沈黙。

 

それは詰問ではなく、

測られている間の静けさだった。

 

「随分と、教えていますね」

 

ぽつりと、聖務官が言う。

 

イェルグは肩をすくめる。

 

「検死官は、

 “何が起きたか”だけを見る職だ」

 

「“どう扱うか”は、

 生きている側の仕事だろう」

 

視線が、ルーネに向く。

 

「君は、どう思う」

 

突然の問いに、

ルーネは言葉を探す。

 

頭には、あの小さな手が浮かぶ。

布を畳み、

水を運び、

静かに家の中に馴染んでいた姿。

 

「……その子は」

 

ゆっくりと、言う。

 

「確かに、そこにいました」

 

「血縁かどうかは……

 僕には、わかりません」

 

「でも」

 

一度、息を吸う。

 

「家族として過ごした時間まで、

 なかったことにしてしまうのは……」

 

言葉が、続かない。

 

聖務官は、しばらく黙っていた。

 

「……記録は、病死とする」

 

やがて、そう言った。

 

「余計な文言は、残さない」

 

「祈祷も、形式だけでいい」

 

それは、譲歩だった。

 

ルーネは、胸の奥が、少しだけ温かくなるのを感じた。

 

その日の午後、

家族のもとへ、短い祈りが届けられた。

 

難しい言葉は使われない。

祝福も、裁きもない。

 

ただ、

 

安らかであったこと。

ここに確かに生きたこと。

 

それだけが、静かに語られた。

 

母親は、深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございました」

 

声は、穏やかだった。

 

泣いてはいない。

だが、冷えてもいない。

 

「この子は……」

 

少しだけ、言葉を選んでから続ける。

 

「いい子でした」

 

それで、十分だった。

 

家を出るとき、

ルーネは一度だけ、振り返った。

 

窓辺に、何もいない。

もう、そこには誰もいない。

 

それでいいのだ、と

自分に言い聞かせる。

 

「……僕」

 

歩きながら、ルーネが言う。

 

「見ない、って選んだんですよね」

 

「そうだ」

 

イェルグは即答する。

 

「それも、仕事だ」

 

「……逃げじゃ、ないですか」

 

イェルグは足を止めた。

 

煙草を取り出し、火をつける。

ゆっくりと吸い、吐く。

 

「逃げだ」

 

はっきりと言った。

 

「だがな、

 逃げなきゃ守れないものもある」

 

ルーネは、その言葉を噛みしめる。

 

真実は、いつも正しい。

だが、正しさは、

必ずしも優しくはない。

 

夕方、村を出る。

 

背後で、いつもの生活音が戻ってくる。

 

鍋の音。

笑い声。

風に揺れる洗濯物。

 

その中に、

確かに一人分の不在がある。

 

だが同時に、

五年分の存在も、

確かにそこに残っていた。

 

それを、誰も否定しない。

 

それだけで、

この事件は、

静かに終わりへ向かっていた。

 

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