第三十五話 祈られる側
教会の動きは、早かった。
人が死ねば、
理由を問わず、
“秩序”が必要になる。
事故であれ、
過失であれ、
善意の結果であれ。
死は、
いつも予定外だ。
昼下がり、
祈祷隊が村に入った。
白と灰の衣。
装飾は少なく、
その分、線がはっきりしている。
彼らは、
沼を見ない。
まず、人を見る。
家々。
村人。
そして――母。
イェルグとルーネは、
少し離れた場所から、それを見ていた。
「……早いですね」
ルーネの声は、低い。
「遅いよりはいい」
イェルグは、淡々と言う。
祈祷隊の目的は、
調査ではない。
終わらせることだ。
祈りは、
問題を解決しない。
問題を、
“閉じる”。
母は、事情を聞かれていた。
責められてはいない。
声は穏やかだ。
だが、
逃げ場はない。
「……光が、見えると」
彼女は、何度も言う。
「そこに、
あの子がいる気がして……」
祈祷隊の一人が、
小さく頷く。
理解を示す仕草。
だが、
同意ではない。
「それは、
魂の迷いです」
定型句。
「導かれるべきは、
祈りによってです」
母は、
黙る。
拒めない言葉だ。
イェルグは、
煙草に火をつけた。
昼間に吸うのは、
久しぶりだった。
煙が、
教会の白に、少しだけ汚れを足す。
「……介入しないんですか」
ルーネが、小さく聞く。
「する理由がない」
イェルグは、煙を吐く。
「教会は、
正しい行動をしている」
それが、
一番厄介だった。
祈祷隊は、
準備を始める。
沼の縁に、
杭を打ち、
聖油を撒く。
水は、
拒まない。
何も、起きない。
「……あれで、終わるんですか」
「終わる」
イェルグは、断言する。
「光は、消える」
善意ごと。
ルーネは、
納得しきれない顔をしている。
「でも……
あの子は」
「“あの子”は、
戻る場所を知らない」
イェルグは、淡々と続ける。
「祈りは、
場所を与える」
それが、
救いかどうかは、
別として。
祈祷が始まる。
声が、重なる。
言葉が、水面に落ちる。
その瞬間、
ルーネの視界の端で、
何かが揺れた。
一つ。
淡い光。
昼の中で、
はっきりと。
「……見えます」
思わず、声が漏れる。
イェルグは、
すぐに気づく。
「条件が、揃ったな」
祈り。
死。
そして――探す心。
光は、
沼の中央ではない。
母の足元、
少し先。
“まだ、行ける”と
示す位置。
母の指が、
震える。
一歩、
踏み出しかける。
「……っ」
ルーネが、息を詰める。
だが、
祈祷隊の声が、強くなる。
光が、
揺らぎ、
薄れる。
消えかける。
母は、
その場に崩れ落ちた。
泣き声は、
出なかった。
代わりに、
深く、息を吐く。
何かを、
失った音だ。
祈祷は、終わる。
水面は、
何事もなかったように静かだ。
「……終わりました」
祈祷隊の長が、言う。
「これ以上の犠牲は、
出ません」
それは、
事実だった。
だが、
全てではない。
イェルグは、
煙草を消す。
足元に、
小さな湿り気を感じる。
境界は、
まだ残っている。
ただ、
見えなくなっただけだ。
「……祈られる側って」
ルーネが、ぽつりと言う。
「こんなに、
何もできないんですね」
イェルグは、
答えない。
検死官は、
祈らない。
ただ、
祈りの後に残るものを、
見るだけだ。
そして、
まだ終わっていないことも。