検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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処理の痕

第六十話 処理の痕

 

教会の記録庫は、地下にあった。

石造りの壁は湿り気を帯び、紙と黴の匂いが混じっている。灯りは最低限で、影の方が多い。

 

「この辺だ」

 

イェルグは、古い帳簿を机に置いた。革表紙は擦り切れ、背の文字は半分消えている。年代も、用途も、曖昧なまままとめられた束だ。

 

ルーネは、そっと覗き込む。

死亡。事故。転落。

簡素な言葉が、同じ書式で並んでいる。

 

「……橋、ですね」

 

「数は多くない。だが、偏っている」

 

イェルグは指先で、同じ地名をなぞった。

川沿い。峠道。古い関所跡。

どれも、人が“通るために作られた場所”だ。

 

「検死記録は?」

 

「残っていない。もしくは、最初から作られていない」

 

それはつまり、確認する必要がないと判断されたということだ。

事故として扱えば、それで終わる。

 

ルーネは、胸の内で反発を覚えた。

死体を前にして、確認しないという選択。

それは、死を軽く扱うことと同義だ。

 

「共通点があります」

 

ページを繰りながら、ルーネは言った。

 

「どれも、即死。重傷を負って運ばれた記録がない」

 

「そうだ」

 

イェルグは短く頷く。

 

「一撃で終わっている。助けを呼ぶ時間すらない」

 

処理。

その言葉が、頭に浮かぶ。

 

殺した、ではない。

争った、でもない。

 

最初から、終わらせるつもりで、そこにいた。

 

「……相手は、同じ高さから殴ってます」

 

ルーネは、思い出す。橋の中央で見た死体。

首元、鎖骨、胸のあたり。

どれも、立ったまま向き合わなければ届かない位置だ。

 

「上からでも、下からでもない。正面から」

 

「だから、逃げない」

 

イェルグの声は、淡々としていた。

 

「気づいたときには、終わっている」

 

帳簿の隅に、赤い印がついているページがあった。

後から付け足されたものだ。

 

「これは?」

 

「注意喚起だ。だが、理由は書かれていない」

 

ルーネは、その曖昧さに、ぞっとした。

危険だと分かっているのに、説明しない。

知っている者だけが、避ける。

 

「……教会は、全部同じだと思っているんですね」

 

「区別する意味がない、と思っている」

 

イェルグは、椅子に深く腰を下ろした。

 

「結果が同じなら、原因は一つでいい」

 

それは、管理の論理だ。

世界を扱いやすくするための、割り切り。

 

ルーネは、帳簿を閉じた。

紙の音が、やけに大きく響く。

 

「でも、今回の橋の件……」

 

「違和感がある」

 

言葉を継がずとも、通じた。

 

「これは、“慣れている”」

 

イェルグはそう言った。

 

「役割として、殺している」

 

それは、怒りでも、飢えでもない。

恨みですらない。

 

ただ、そうするものだから、そうしている。

 

ルーネは、思わず自分の手を見る。

もし、自分が同じ立場に置かれたら。

何かを“仕事”として続けた末に、他の選択肢を失ったら。

 

「……止まるな、って言い伝え」

 

「ああ」

 

イェルグは立ち上がり、帳簿を元の棚に戻した。

 

「知っている者は、立ち止まらない。知らない者だけが、死ぬ」

 

それは、罠ですらない。

ただ、そういう場所が、そういう形で残っているだけだ。

 

記録庫を出ると、外は曇っていた。

光は弱く、影は長い。

 

ルーネは、橋のことを思い浮かべる。

境界に立つということ。

通すか、通さないかを決めるということ。

 

――これは、魔物の話じゃない。

 

人が作り、人が放置し、人が忘れた仕事の話だ。

 

その気づきが、胸に重く沈んだまま、消えなかった。

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