第六十一話 境界に立つ仕事
橋から少し離れた、川沿いの小屋だった。
元は渡し守の休憩所だったらしく、今は使われていない。屋根は低く、扉は半分歪んでいるが、雨と風は防げる。
イェルグは中に入るなり、ようやく煙草に火をつけた。
乾いた音がして、薄い煙が立ち上る。
「……さっきから、黙ってるな」
ルーネは壁にもたれ、腕を組んだまま答えない。
橋の中央で見た死体と、記録庫の帳簿が、頭の中で重なっていた。
「これ、全部同じものなんですか」
やがて、そう口にした。
「橋も、峠も、関所も。全部」
イェルグは煙を吐き、しばらく黙ってから言った。
「同じ“名前”で呼ばれてる」
「名前だけ、ですか」
「そうだ」
煙が、低い天井に溜まる。
「レッドキャップってのはな、分類名だ。便利だから使われてる」
ルーネは、眉をひそめた。
「……違うものも、含まれてる?」
イェルグは、ゆっくり頷いた。
「少なくとも二つ」
指を二本、立てる。
「一つは、今回のやつだ。場所に縛られる」
「橋から、動けない」
「ああ。役割に縛られてる」
役割。
その言葉に、ルーネは小さく息を吸った。
「通すか、通さないか」
「昔は人がやってた」
イェルグは、煙草を灰皿に押しつける。
「関所番、渡し守、門番。立ち止まる者を見て、判断する仕事だ」
「……それが、残った?」
「人がいなくなってもな」
ルーネは、唇を噛んだ。
「じゃあ、あれは……悪意がなくても、殺す」
「そういうことだ」
イェルグの声は、冷静だった。
「止まったら、通さない。それだけ」
沈黙が落ちる。
小屋の外で、水音が続いている。
「……もう一つは」
ルーネが促すと、イェルグは少しだけ顔をしかめた。
「移動するやつだ」
「移動……?」
「人についていく」
ルーネは、思わず顔を上げた。
「橋とか、関係ない?」
「ああ。似てるだけだ」
イェルグは、煙草をもう一本取り出したが、火はつけなかった。
「飢饉の村で余ったやつ。逃げ出した奴隷。使い捨てられた従者」
一つ一つ、淡々と並べる。
「助けを求めて、人についていった」
「……最初から、殺すつもりじゃない?」
「ない」
即答だった。
「食い物が欲しかった。寝る場所が欲しかった。名前を呼ばれたかった」
ルーネの胸が、きしむ。
「でも、世界は救わなかった」
イェルグは続ける。
「置いていかれ、使われ、捨てられる。そのうち、恨みが残る」
「それで……」
「ついていった相手を、殺す」
重い沈黙。
「同じ赤い帽子を被る。血で染まることが多い」
ルーネは、背中に冷たいものが走るのを感じた。
「……それも、レッドキャップ」
「教会の記録じゃな」
イェルグは肩をすくめる。
「区別しない。結果が同じなら、同じでいい」
「でも……」
ルーネは、言葉を探した。
「それじゃ、倒しても」
「終わらない」
イェルグは、はっきり言った。
「移動する方は、何度でも生まれる」
小屋の外で、風が吹く。
扉がきしんだ。
「今回のは……」
「場所に縛られた方だ」
イェルグは立ち上がる。
「役割に囚われすぎてる。だから、処理できる」
その言葉が、胸に刺さる。
「……救えないんですね」
ルーネの声は、少し震えていた。
「救うってのはな」
イェルグは、しばらく考えるように黙った。
「仕事じゃない」
そう言って、扉に手をかける。
「これは、境界に立つ仕事だ。通すか、通さないかを決めるだけ」
外に出ると、橋が見えた。
相変わらず、中央は何もない。
ルーネは、そこを見つめながら思う。
助けを求めて近づいてくるもの。
それでも、近づいてはいけないもの。
――倒せる怪異と、避けるしかない怪異。
その区別を、今日、覚えてしまった。
そしてそれは、
これから先、何度も自分を縛る知識になるのだと、
はっきり分かっていた。