検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

62 / 131
境界に立つ仕事

第六十一話 境界に立つ仕事

 

橋から少し離れた、川沿いの小屋だった。

元は渡し守の休憩所だったらしく、今は使われていない。屋根は低く、扉は半分歪んでいるが、雨と風は防げる。

 

イェルグは中に入るなり、ようやく煙草に火をつけた。

乾いた音がして、薄い煙が立ち上る。

 

「……さっきから、黙ってるな」

 

ルーネは壁にもたれ、腕を組んだまま答えない。

橋の中央で見た死体と、記録庫の帳簿が、頭の中で重なっていた。

 

「これ、全部同じものなんですか」

 

やがて、そう口にした。

 

「橋も、峠も、関所も。全部」

 

イェルグは煙を吐き、しばらく黙ってから言った。

 

「同じ“名前”で呼ばれてる」

 

「名前だけ、ですか」

 

「そうだ」

 

煙が、低い天井に溜まる。

 

「レッドキャップってのはな、分類名だ。便利だから使われてる」

 

ルーネは、眉をひそめた。

 

「……違うものも、含まれてる?」

 

イェルグは、ゆっくり頷いた。

 

「少なくとも二つ」

 

指を二本、立てる。

 

「一つは、今回のやつだ。場所に縛られる」

 

「橋から、動けない」

 

「ああ。役割に縛られてる」

 

役割。

その言葉に、ルーネは小さく息を吸った。

 

「通すか、通さないか」

 

「昔は人がやってた」

 

イェルグは、煙草を灰皿に押しつける。

 

「関所番、渡し守、門番。立ち止まる者を見て、判断する仕事だ」

 

「……それが、残った?」

 

「人がいなくなってもな」

 

ルーネは、唇を噛んだ。

 

「じゃあ、あれは……悪意がなくても、殺す」

 

「そういうことだ」

 

イェルグの声は、冷静だった。

 

「止まったら、通さない。それだけ」

 

沈黙が落ちる。

小屋の外で、水音が続いている。

 

「……もう一つは」

 

ルーネが促すと、イェルグは少しだけ顔をしかめた。

 

「移動するやつだ」

 

「移動……?」

 

「人についていく」

 

ルーネは、思わず顔を上げた。

 

「橋とか、関係ない?」

 

「ああ。似てるだけだ」

 

イェルグは、煙草をもう一本取り出したが、火はつけなかった。

 

「飢饉の村で余ったやつ。逃げ出した奴隷。使い捨てられた従者」

 

一つ一つ、淡々と並べる。

 

「助けを求めて、人についていった」

 

「……最初から、殺すつもりじゃない?」

 

「ない」

 

即答だった。

 

「食い物が欲しかった。寝る場所が欲しかった。名前を呼ばれたかった」

 

ルーネの胸が、きしむ。

 

「でも、世界は救わなかった」

 

イェルグは続ける。

 

「置いていかれ、使われ、捨てられる。そのうち、恨みが残る」

 

「それで……」

 

「ついていった相手を、殺す」

 

重い沈黙。

 

「同じ赤い帽子を被る。血で染まることが多い」

 

ルーネは、背中に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……それも、レッドキャップ」

 

「教会の記録じゃな」

 

イェルグは肩をすくめる。

 

「区別しない。結果が同じなら、同じでいい」

 

「でも……」

 

ルーネは、言葉を探した。

 

「それじゃ、倒しても」

 

「終わらない」

 

イェルグは、はっきり言った。

 

「移動する方は、何度でも生まれる」

 

小屋の外で、風が吹く。

扉がきしんだ。

 

「今回のは……」

 

「場所に縛られた方だ」

 

イェルグは立ち上がる。

 

「役割に囚われすぎてる。だから、処理できる」

 

その言葉が、胸に刺さる。

 

「……救えないんですね」

 

ルーネの声は、少し震えていた。

 

「救うってのはな」

 

イェルグは、しばらく考えるように黙った。

 

「仕事じゃない」

 

そう言って、扉に手をかける。

 

「これは、境界に立つ仕事だ。通すか、通さないかを決めるだけ」

 

外に出ると、橋が見えた。

相変わらず、中央は何もない。

 

ルーネは、そこを見つめながら思う。

 

助けを求めて近づいてくるもの。

それでも、近づいてはいけないもの。

 

――倒せる怪異と、避けるしかない怪異。

 

その区別を、今日、覚えてしまった。

 

そしてそれは、

これから先、何度も自分を縛る知識になるのだと、

はっきり分かっていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。