検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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討伐命令

第六十三話 討伐命令

 

討伐命令は、朝だった。

 

宿の扉を叩く音が、やけに乾いて聞こえた。

規則的で、遠慮がない。急ぎでも、配慮でもない、ただの手続き。

 

イェルグが扉を開けると、教会の使徒が一人、立っていた。

法衣は簡素だが、胸元の印章ははっきりしている。

 

「調査報告、受領しました」

 

挨拶はそれだけだった。

感想も、質問もない。

 

巻かれた書状が差し出される。

封蝋は赤い。まだ新しい。

 

「正式な討伐命令です」

 

ルーネは、その言葉を聞いた瞬間、昨夜の橋を思い出した。

赤い布。鉄靴。動かない影。

 

「期限は三日」

 

使徒は淡々と続ける。

 

「追加情報はありません。

 現地判断で対処してください」

 

それだけ言うと、彼はもう踵を返していた。

 

扉が閉まる。

 

静寂。

 

「……ずいぶん早いですね」

 

ルーネが言う。

 

「早すぎる」

 

イェルグは書状を開き、ざっと目を通す。

 

「内容は薄い。

 怪異名、発生地点、被害あり。以上だ」

 

「場所に縛られたタイプだって話、伝わってますよね」

 

「書いてはある」

 

イェルグは、紙を指で叩く。

 

「だが、“だから何だ”って態度だな」

 

期限だけが、太字で強調されている。

 

三日。

短い。

 

「……急がせる理由がある?」

 

「あるか、考えたくないかのどっちかだ」

 

イェルグは書状を畳んだ。

 

「どっちにしろ、急げってことだ」

 

ルーネは、窓の外を見る。

橋のある方角。今日は霧が出ている。

 

「倒せる、と判断されたんですね」

 

「“倒せる側”に分類された」

 

微妙な言い回しだった。

 

「実体あり。場所固定。被害限定。

 教会が一番好きな条件だ」

 

「……でも」

 

ルーネは、言葉を探す。

 

「あれは、役割に縛られすぎてる。

 ああいうのは……」

 

「だからだ」

 

イェルグは、遮った。

 

「融通がきかない。動かない。逃げない。

 処理しやすい」

 

ルーネは、唇を噛んだ。

 

救えるかどうかではない。

理解できるかどうかでもない。

 

処理できるかどうか。

 

「……違和感、ありますか」

 

「ある」

 

即答だった。

 

「だが、命令だ」

 

それ以上は言わない。

 

昼前、準備を整える。

 

武器。

縄。

念のための護符。

 

だが、特別なものはない。

派手な戦いを想定していない装備だ。

 

「作業だな」

 

ルーネが、ぽつりと言う。

 

「そうなる」

 

イェルグは、武器を背負う。

 

「仕事は、そういうものだ」

 

橋へ向かう道すがら、村人とすれ違う。

誰も話しかけてこない。目も合わせない。

 

避けられているのは、怪異だけではない。

 

橋が見えてきた。

 

霧の向こうに、石の輪郭。

昨日と変わらないはずなのに、空気が重い。

 

「……三日あったら」

 

ルーネは、ふと思ったことを口にする。

 

「移動するタイプが来る可能性もありますよね」

 

「ある」

 

「でも、それは考慮されてない」

 

「考慮する気がない」

 

イェルグは足を止める。

 

「教会は、“今そこにいるもの”しか見ない」

 

橋の中央。

まだ、赤い帽子は見えない。

 

だが、いるのは分かる。

 

「……倒す理由は、十分なんでしょうか」

 

ルーネの問いは、独り言に近かった。

 

「倒せるから倒す」

 

イェルグの答えは、冷たい。

 

「それ以上の理由は、必要ない」

 

霧の中、鉄の匂いが微かに混じる。

 

ルーネは、息を整えた。

 

救う話ではない。

納得する話でもない。

 

これは、決められた期限内に、

“消す”仕事だ。

 

その事実を、彼ははっきりと自覚していた。

 

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