第六十四話 倒せる理由
橋に近づくほど、音が減っていく。
霧のせいではない。
風は吹いているし、川も流れている。
それでも、余計なものだけが削ぎ落とされていく感覚があった。
「……ここだな」
イェルグが立ち止まる。
橋の手前。
昨日と同じ場所。
だが、今日は“見える”。
赤い帽子。
橋の中央に、確かに立っている。
背は低い。人間の子どもほど。
布は湿り、暗い赤に沈んでいる。
「動かないですね」
ルーネは、距離を保ったまま観察する。
「動けない」
イェルグが訂正した。
「違い、分かるか」
ルーネは、視線を外さずに頷く。
分かる。
これは待っているのではない。
縛られている。
橋の中央から、一歩も出ない。
視線も、同じ一点に固定されている。
「……役割、ですね」
「そうだ」
イェルグは、低く言う。
「渡ろうとする者を止める。
立ち止まらせる。
それに失敗したら、潰す」
「それ以外が、ない」
レッドキャップは、こちらを見ない。
敵意すら向けてこない。
世界が、橋とその一点だけで構成されている。
「不完全だ」
イェルグは、そう断じた。
「本来の怪異は、もっと曖昧だ。
選ぶ。迷わせる。誘う」
「でも、これは……」
「選ばない。迷わない。
ただ、決められた行動を繰り返す」
ルーネは、胸の奥が冷えていくのを感じた。
「……だから、倒せる」
言葉にすると、残酷だった。
「だから、“処理対象”になる」
イェルグは、淡々と続ける。
「場所に縛られすぎてる。
役割に縛られすぎてる。
変化できない怪異は、管理できる」
レッドキャップの足元。
鉄靴が、石に深く食い込んでいる。
抜けない。
自分で動くことを、最初から想定されていない。
「……救えないんですか」
ルーネは、思わず口にした。
イェルグは、すぐには答えない。
「救うってのは、選択肢を与えることだ」
やがて、そう言った。
「こいつには、最初から選択肢がない」
赤い帽子が、わずかに揺れる。
風ではない。
気配が、こちらをなぞった。
「近づいたら、反応しますね」
「踏み込んだ瞬間だ」
イェルグは、道具を確かめる。
「戦いにはならない」
「……作業、ですね」
「そうだ」
二人は、橋の手前で止まる。
越えない。
越えれば、始まってしまう。
「なあ、ルーネ」
珍しく、イェルグが名前を呼んだ。
「覚えておけ」
彼は、橋の中央を見据えたまま言う。
「倒せる理由がある怪異は、
同時に、倒される理由を背負ってる」
「……」
「そしてそれは、
正しさとは、あまり関係がない」
霧の中で、赤い帽子は動かない。
役割だけを抱えたまま、
今日も、ここに立っている。
ルーネは、理解してしまった。
この怪異は、
弱いから倒せるのではない。
縛られすぎているから、壊せてしまう。
それが、何よりも残酷だった。