第六十六話 処理完了
報告書は、一枚で済んだ。
発生地点、怪異名、処理方法、結果。
用意された欄を、埋めるだけ。
イェルグは、淡々と書いた。
余計な注釈はつけない。
感想も、所見もない。
「……“被害、終息”」
ルーネが、文字をなぞる。
「そう書かれるんですね」
「そう書かれる」
それ以上でも、それ以下でもない。
教会の出張所は、石造りの建物だった。
冷えた空気。
声が、少し大きく響く。
書類を受け取った司祭は、中身をほとんど見ない。
封蝋の印と署名だけを確認する。
「処理完了、確認しました」
それで終わりだ。
「橋については?」
ルーネが、思わず聞いた。
司祭は、顔を上げる。
「閉鎖します」
短い答え。
「地図からは、消します」
「……それだけですか」
「それだけです」
説明はない。
理由もない。
橋は、なかったことになる。
怪異も、いなかったことになる。
「移動するタイプの可能性は?」
イェルグが、低く問いかける。
司祭は、一瞬だけ黙った。
「現時点では、確認されていません」
言葉の選び方が、妙に慎重だった。
「確認された時点で、改めて命令を出します」
つまり、今は考えない。
二人は、何も言わずに出張所を出た。
外は、晴れている。
あの霧が嘘みたいに。
「……終わった、んですよね」
歩きながら、ルーネが言う。
「書類上はな」
イェルグは、煙草を取り出すが、火はつけない。
「でも、全部は終わってない」
「橋ですか」
「橋もだが……」
イェルグは、言葉を切る。
「概念だ」
ルーネは、頷いた。
赤い帽子。
鉄靴。
立ち止まれ、という圧。
「倒せたのは、あれだけだった」
「そうだ」
イェルグは、静かに言う。
「役割に縛られすぎた個体だけだ」
村に戻ると、噂がもう広がっていた。
「橋は危ないらしい」
「教会が封鎖するって」
「何か出るんだと」
誰も、具体的な名前は出さない。
出せない。
「赤い帽子を被ったのがいた」
そう言ったのは、年寄りだけだった。
子どもたちは、聞いていないふりをする。
「……消えないですね」
ルーネが言う。
「消す気がない」
イェルグは答える。
「噂として残しておいた方が、
被害は減る」
「……倒したのに」
「倒したからこそだ」
イェルグは、ようやく煙草に火をつけた。
「完全に消したと思わせると、
人は無防備になる」
煙が、風に流れる。
橋は、閉鎖される。
地図から、消える。
だが、道そのものが消えるわけじゃない。
「通るな、って話になりますよね」
「そうだ」
「それって……」
ルーネは、言葉を探す。
「救い、なんでしょうか」
イェルグは、しばらく黙っていた。
「少なくとも、選択肢は残る」
「渡らない、という」
「そうだ」
完全な解決ではない。
ただの整理だ。
だが、それで救われる者もいる。
夕方、橋の見える丘に立つ。
柵が設置され始めている。
人の手で。
赤い帽子は、もう見えない。
それでも、ルーネは足を止めた。
「……まだ、立ち止まりたくなる」
「名残だ」
イェルグは、淡々と言う。
「そのうち薄れる」
「完全には?」
「しない」
それが、現実だ。
ルーネは、深く息を吸った。
倒した。
処理した。
報告も済んだ。
それでも、世界は少しも軽くなっていない。
「次に行こう」
イェルグが言う。
「立ち止まるな」
ルーネは、最後に一度だけ橋を見る。
赤い色は、もうない。
それでも、そこに“あった”ことだけは、
確かに残っていた。