数が合わない
第六十八話 数が合わない
分類:非公開資料
閲覧制限:司祭位以上
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件名:胎内寄生型災厄に関する過去記録の整理について
該当事象は、以下の条件を満たす場合にのみ報告される。
• 出産数と人口増加が一致しない
• 死亡記録に該当項目が存在しない
• 洗礼・命名の工程が省略されている
当該事象は、
怪異ではなく、社会的結果として扱うこと。
討伐、封印、儀式は推奨されない。
刺激は、増殖を招く。
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注意事項
• 当該存在に固有名を与えないこと
• 教義上の説明を試みないこと
• 記録に残す場合、必ず抽象化すること
※過去、名称を与えた地域において、
信仰の混乱および大規模な人口崩壊が確認された。
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処遇指針
• 現場介入は最小限
• 村落単位での自然衰退を容認
• 必要に応じ、地図・人口帳簿の修正を行う
これは「救済」ではない。
管理である。
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補記(削除予定)
我々がこれを怪物と呼ぶなら、
我々自身の過去も、怪物と呼ばねばならない。
(※この一文は、次版で削除すること)
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辺境の集落は、地図の端に小さく記されていた。
線が細く、文字も古い。何度も書き直された跡があるのに、消し切れていない。
イェルグはそれを見た瞬間、理由のわからない嫌悪感を覚えた。
「書き換えられてるな」
馬を降りながら呟くと、ルーネは頷いた。
彼はすでに帳簿を開いている。村に入る前から、だ。
村は静かだった。
畑は整えられ、柵は修理され、家屋に大きな破損はない。
人々は働いている。怠惰でも貧困でもない。
なのに、何かが足りない。
ルーネはそれを「音」だと思った。
足音や作業音はある。
だが、子どもの声がしない。
「……変ですね」
彼は人口帳簿をめくった。
数年前から、出生記録は一定数存在している。
季節の偏りもなく、流行病の記録もない。
「出生数は、むしろ多いくらいです」
イェルグは眉をひそめる。
「じゃあ、どこにいる?」
ルーネは帳簿の一頁を指でなぞった。
名前を書く欄。
そこが、空白だった。
一人や二人ではない。
何年分も、同じように空いている。
「……名前が、ありません」
「書き忘れじゃないのか」
「違います」
即答だった。
「洗礼の日付もない。
死亡記録もない。
転出でもない」
彼は帳簿を閉じた。
「“存在した”という扱いだけが、抜けてます」
村長の家で聞き取りをしても、答えは曖昧だった。
皆、口を揃えて言う。
「ちゃんと産まれてますよ」
「でも……育たなかっただけで」
「死んだ、ということですか」
ルーネの問いに、村人は一瞬だけ視線を逸らす。
「……そういう言い方は、してません」
墓地を見に行くと、大人の墓は揃っていた。
だが、小さな墓石はない。
削れた跡も、増設の形跡もない。
「乳児死亡率は、異様に低い」
ルーネは淡々と告げた。
「この規模の村で、
この年数、
一人も死なないのは不自然です」
イェルグは答えなかった。
彼は地面を見ていた。
足元の土は柔らかい。よく掘り返されている。
夜、宿で帳簿をもう一度確認する。
ルーネは計算を繰り返し、何度も同じ数字に行き着いた。
「……合わない」
「何がだ」
「人口です」
彼は静かに言った。
「生まれている。
死んでいない。
出ていってもいない」
一拍、置いて。
「それなのに、増えていない」
イェルグは煙草を消した。
「つまり?」
ルーネは、検死官としての経験から導いた答えを、言葉にするのを躊躇った。
だが、隠しても意味はない。
「……“死んだ”記録が、ありません」
それは、死が存在しないという意味ではない。
死として扱われていない、ということだ。
「死体がない。
死亡時刻がない。
死因がない」
ルーネの声は低かった。
「これは、事故でも病気でもありません」
「じゃあ何だ」
イェルグの問いに、彼は答えなかった。
答えは、まだ形を持っていない。
だが、確かにここにある。
数えられていない。
記録されていない。
名前を持たない。
それでも、無くなってはいない何か。
宿の床下で、微かに、音がした。
水が動くような、肉が擦れるような。
ルーネは目を閉じた。
この村は、何かを隠しているのではない。
最初から、数えていないのだ。
生きているものだけを。
残すと決めたものだけを。
そして、数えなかったものは――
別の形で、ここに残る。