検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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巣の存在

第七十話 巣の存在

 

夜は、村に早く落ちた。

灯りは少なく、窓も閉ざされている。人の気配はあるのに、外に漏れてこない。

まるで、内側だけで完結することを選んだ集落のようだった。

 

ルーネは、眠れずにいた。

音がする。

昨夜と同じ、床下からの微かな振動。

 

一定の間隔ではない。

規則的でもない。

それでも、無作為ではなかった。

 

——縮んで、緩む。

 

その感覚に、彼は嫌な既視感を覚えた。

検死台の上ではない。

生きている身体の、内側の動きだ。

 

「……子宮収縮」

 

声に出した瞬間、ひどく場違いな言葉に聞こえた。

だが、他に当てはまる表現がない。

 

衣を羽織り、ランタンを手に取る。

イェルグも起きていた。

彼は何も聞かず、ただ頷いた。

 

「下だな」

 

床板を外すと、冷たい空気が吹き上がってきた。

土の匂い。

湿り気を含んだ、生臭さ。

 

地下は、人が頻繁に出入りした形跡があった。

足跡は消され、道は整えられている。

「隠す」よりも、「慣れている」感じがした。

 

奥へ進むにつれ、音ははっきりしてくる。

ぬる、と。

ぴくり、と。

 

壁面に、赤黒い膜が張り付いている。

苔ではない。

菌類でもない。

 

触れなくても分かる。

これは、生体組織だ。

 

「……巣だな」

 

イェルグが呟く。

 

だが、そこに個体はいない。

牙も、爪も、眼もない。

攻撃してくる意思もない。

 

あるのは、空間そのものだった。

 

膜は脈打ち、内側から圧をかけてくる。

水袋のように膨らみ、また萎む。

そのたびに、微かな音が響く。

 

——数を数えるような、間。

 

ルーネは息を詰めた。

これは、捕食ではない。

戦闘でもない。

 

「……ここは」

 

言葉が、自然と出る。

 

「“生まれる場所”だった」

 

イェルグは剣を抜いていた。

だが、振るう先がない。

 

「敵じゃない、って顔してやがるな」

 

「ええ」

 

ルーネは膜を観察する。

裂け目はない。

だが、縫合の痕跡がある。

 

——閉じられた形跡。

 

「ここに、入ってきたものがいる」

 

「人か?」

 

「……もっと小さい」

 

彼は記録を思い出す。

名前のない出生。

数えられなかった存在。

 

「受け入れる場所が、用意されていたんです」

 

「村が?」

 

「村が、じゃない」

 

ルーネは首を振った。

 

「社会が」

 

膜の奥で、何かが動いた。

影のようなもの。

だが、形になる前に溶ける。

 

「個体化していない……」

 

それは未成熟だ。

完成していない。

完成する必要がない。

 

ここは、育てる場所ではない。

溜める場所だ。

 

イェルグは舌打ちした。

 

「壊せるか?」

 

ルーネは、即答できなかった。

 

「……壊せば、終わる、とは思えません」

 

「理由は」

 

「これは“結果”です」

 

ルーネは、膜に浮かぶ濁りを見つめる。

 

「誰かが作ったわけじゃない。

 でも、選び続けた結果、ここに辿り着いた」

 

選ばなかった。

数えなかった。

残さなかった。

 

それらが、積み重なった末の空間。

 

「壊すなら」

 

ルーネは言った。

 

「村ごとになります」

 

沈黙が落ちた。

イェルグは剣を納めた。

 

「……そういうのは、教会の仕事だ」

 

「ええ」

 

だが、二人とも分かっていた。

教会は、これを“仕事”として扱わない。

 

巣は、脈打ち続けている。

音は、確かにそこにある。

 

生まれなかったものたちが、

生まれるはずだった場所で、

今も、待っている。

 

何を、とは言えない。

ただ、数えられる日を。

 

地上に戻ると、夜気が重く感じられた。

村は静かだ。

人々は眠っている。

 

その下で、

何かが、息をしている。

 

ルーネはランタンを消しながら思った。

 

これは怪異ではない。

少なくとも、最初からそうではなかった。

 

——怪異に、なってしまったのだ。

 

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