検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

73 / 131
討伐不可

第七十二話 討伐不可

 

教会への連絡は、イェルグが一人で行った。

正確には、ルーネを同席させなかった。

 

「聞くだけでいい」

 

そう言われて、ルーネは一歩引いた位置に立つ。

それだけで、役割がはっきりする。

 

石造りの小聖堂。

辺境向けの簡素な建物だが、内部文書を扱う部屋だけは異様に整っていた。

埃一つない机。

封蝋の色分け。

書類の並び順。

 

人間の感情が介在しないように設計された空間だ。

 

司祭は、報告を黙って聞いた。

相槌もない。

眉一つ動かさない。

 

イェルグは、必要なことだけを伝えた。

 

人口と記録の齟齬。

出生と死亡の不一致。

地下に形成された“生体的構造”。

 

怪異の名は、出さない。

 

司祭は、報告書に目を落としたまま言った。

 

「確認しました」

 

それだけだ。

 

「討伐命令は」

 

イェルグが問う。

 

司祭は、少しだけ間を置いた。

その間は、迷いではない。

確認だ。

 

「出ません」

 

即答だった。

 

ルーネの指先が、わずかに強張る。

 

「理由は」

 

「不要です」

 

司祭は顔を上げない。

 

「記録を破棄してください」

 

「……破棄?」

 

「写しも含めて。

 個人的なメモもです」

 

ルーネは思わず口を開きかけたが、

イェルグが、視線だけで止めた。

 

「深入りするな、ということですか」

 

「そう理解して構いません」

 

「村は」

 

「管理外です」

 

冷たい言葉だった。

切り離す、と決めたものの言い方。

 

「……了解した」

 

イェルグは、それ以上聞かなかった。

 

聖堂を出た瞬間、空気が変わる。

ルーネは、息を吐いた。

 

「……師匠」

 

自然にそう呼んでいた。

 

「どうしてですか」

 

イェルグは歩きながら答える。

 

「分からないなら、触るな」

 

「分かります。

 でも……」

 

「ルーネ」

 

足を止める。

イェルグは振り返らない。

 

「これは、倒せないから倒さないんじゃない」

 

ルーネは黙る。

 

「倒したら、負ける類だ」

 

「……負ける?」

 

「認めることになる」

 

イェルグは低く言った。

 

「存在を。

 原因を。

 責任を」

 

ルーネの脳裏に、巣の脈動が浮かぶ。

 

「教会は、知ってるんですね」

 

「ああ」

 

「ずっと?」

 

「ずっとだ」

 

イェルグは歩き出す。

 

「こういう怪異は、珍しくない。

 だが、討伐した記録はない」

 

「どうして」

 

「討伐は、解決だ」

 

イェルグは淡々と続ける。

 

「だが、これは解決できない」

 

ルーネは拳を握った。

 

「じゃあ、放置ですか」

 

「違う」

 

イェルグは言い切る。

 

「避ける」

 

それは、戦士の言葉ではなかった。

長く生きた者の選択だ。

 

「触れない。

 広めない。

 名前を固定しない」

 

「……でも」

 

「それ以上踏み込めば」

 

イェルグは、ほんの一瞬だけ、声を落とした。

 

「次は、人間の側が怪物になる」

 

ルーネは言葉を失う。

 

「これは、罰じゃない」

 

イェルグは繰り返す。

 

「間違いですらない。

 選び続けた結果だ」

 

教会は、それを“罪”にできない。

罰する対象がいないからだ。

 

「だから、処理もしない」

 

ルーネは唇を噛んだ。

 

「……検死官として」

 

「向いてない案件だ」

 

イェルグは即答した。

 

「死体がない。

 死が成立していない」

 

「でも、確かに……」

 

「分かってる」

 

イェルグは、少しだけ声を緩めた。

 

「だから、お前はここまでだ」

 

それは、拒絶ではない。

線引きだった。

 

「覚えておけ」

 

イェルグは言う。

 

「倒せる怪異と、

 避けるしかない怪異がある」

 

「これは……」

 

「後者だ」

 

風が吹き、聖堂の鐘が鳴った。

だが、時刻を告げる音ではない。

 

ただの、風鳴りだ。

 

ルーネは、その音を聞きながら思った。

 

討伐命令が出ないということは、

**世界は、この怪異を“許容している”**ということだ。

 

それが、何よりも重い。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。