第七十四話 壊せるもの、壊せないもの
露呈したのは、偶然だった。
地下での異音が、いつもより大きかった。
収縮の間隔が乱れ、膜の一部が不自然に張り出している。
巣そのものではない。
その“末端”だと、イェルグは一目で判断した。
「……繭だ」
ルーネは、その言葉の意味を理解するのに一拍遅れた。
赤黒い膜の奥、半透明の袋状の構造。
中に、何かがある。
人の形に近いが、明確ではない。
「個体化しかけてる」
イェルグは低く言った。
「ここまで来ると、
切り離せる」
ルーネは、息を呑んだ。
「……壊せる、んですか」
「壊せる」
即答だった。
「ただし、“これだけ”だ」
イェルグは剣を抜く。
構えは迷いがない。
討伐ではない。
処理だ。
「全体を壊すと、村ごと終わる」
「……」
「だが、これを残せば、
次は“外に出る”」
ルーネは、巣の脈動を感じていた。
確かに、ここだけ動きが違う。
外へ向かおうとする、圧がある。
「選択肢は三つだ」
イェルグは淡々と数える。
「一、何もしない。
二、全部壊す。
三、ここだけ切る」
「……三は」
「一番、卑怯で、
一番、現実的だ」
ルーネは、答えられなかった。
繭に、ひびが入る。
内部で、何かが蠢いた。
——名前のないもの。
——数えられなかったもの。
それが、形を得ようとしている。
「……お願いします」
ルーネは、視線を逸らした。
イェルグは、何も言わずに踏み込んだ。
剣は鋭く、ためらいがない。
一撃。
膜が裂け、
濁った液体が床に広がる。
音は、なかった。
悲鳴も、抵抗も。
ただ、終わった。
繭は、形を失った。
それ以上でも、それ以下でもない。
巣全体は、変わらない。
呼吸は続いている。
「……これで」
ルーネは、喉を鳴らす。
「出産は、止まる」
イェルグは言った。
「少なくとも、当分はな」
地上に戻ると、変化はすぐに現れた。
数週間後、
村で妊娠の報告が途絶えた。
誰も声高には言わない。
だが、皆、気づいている。
安堵。
そして、恐怖。
「……助かった、のかしら」
誰かが、そう呟いた。
「でも……この先は」
未来が、急に現実味を帯びた。
子どもが生まれない村。
静かに、減っていく人の数。
救われたのは、今いる人間だ。
失われたのは、これから来るはずだった可能性。
ルーネは、帳簿を見つめる。
数字は、きれいに揃っている。
齟齬は、消えた。
「……正しくなりましたね」
イェルグは頷かない。
「正確になっただけだ」
夜、二人は焚き火を挟んで座った。
「師匠」
ルーネが言う。
「これは……正しいですか」
イェルグは、しばらく黙っていた。
「正しいかどうかは、知らん」
「……」
「だが、
“やらないよりは、マシ”な選択はある」
それが、彼の経験だ。
「壊せるものと、壊せないものがある」
イェルグは続ける。
「壊せるからといって、
壊していいとは限らない」
「でも……壊しました」
「ああ」
「救いは」
「ない」
即答だった。
「ただ、被害の形を変えただけだ」
ルーネは、膝の上で手を握りしめた。
「……救いと、破壊が」
「同時に起きた」
イェルグは、その言葉を否定しない。
「それが現実だ」
火が、ぱちりと弾ける。
巣は、まだ地下にある。
完全には消えていない。
ただ、
外へ伸びる手を、一本折っただけだ。
ルーネは思う。
これで良かったのか。
そう問う資格が、自分にあるのか。
答えは、出ない。
出ないまま、
村は静かに息をつく。
そして、
その代償は、
未来で支払われる。