検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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沈黙より先に、声があった
話せる怪異


第七十八話 話せる怪異

 

 村は静かだった。

 音がないわけじゃない。風が吹き、家畜が鳴き、遠くで鍬が土を割る音もする。ただ、それらがどれも必要最低限で、余分な揺らぎを持たない。人の気配だけが、薄い。

 

 イェルグは村に入るなり足を止めた。

 立ち止まった理由が分からず、ルーネは半歩遅れて同じように止まる。

 

「覚えておけ」

 

 低い声だった。説明ではなく、注意だ。

 

「こういう村は、騒ぎが終わった後だ」

 

「……終わった?」

 

 ルーネが聞き返すと、イェルグは振り向かない。

 

「終わったか、終わらせたか。どっちにしろ、もう大声は出ない」

 

 検死官として村に呼ばれた。

 死者が出た、とだけ聞いている。だが、村人は誰も泣いていなかった。葬列もない。黒布もない。死の匂いがしない。

 

 家の一軒に案内される。

 寝台の上に、布が畳まれているだけだった。

 

「……遺体は?」

 

 ルーネの問いに、村長が困ったように視線を逸らす。

 

「亡くなったのは……その、確かに亡くなったんですが……」

 

 イェルグが一歩前に出る。

 

「“衰弱死”だな?」

 

 村長は、ほっとしたように何度も頷いた。

 

「はい、その、そうです。衰弱して……眠るように」

 

 イェルグは布に触れなかった。

 代わりに、部屋の隅、床、壁、天井を順に見回す。

 

「ルーネ。ここに“死体があった”と思うか?」

 

 急に振られて、言葉に詰まる。

 血の跡はない。争った形跡もない。だが――

 

「……人が、ここで“生きていた”感じはあります」

 

「正解だ」

 

 イェルグは短く言った。

 

「死んだ感じがない。だから、死体がない」

 

 意味が分からないまま、ルーネは黙る。

 イェルグは続けた。

 

「村人が言う“衰弱”は、原因じゃない。結果だ。問題は、何が削ったかだ」

 

 外に出ると、子供がいた。

 家の前に座り、土をいじっている。年の頃は六つか七つ。小さな手で、何かを丸めては壊す。

 

 子供は二人を見上げ、にこりと笑った。

 

「ねえ」

 

 それだけ言った。

 

 ルーネは思わず返事をしかけて、喉で止めた。

 イェルグが、ほんのわずか首を振っていたからだ。

 

 子供は気にしない。立ち上がり、二人に近づく。

 

「だいじょうぶ。ここ」

 

 言葉は整っていない。

 だが、声音は柔らかく、懐かしさを含んでいる。胸の奥を撫でるような響き。

 

 ルーネは、なぜか母の声を思い出した。

 

「……あの子は?」

 

 小声で尋ねる。

 

「問題の中心だ」

 

 イェルグは淡々と答えた。

 

「話せるからって、理解してると思うな」

 

 子供はイェルグの外套の裾を掴もうとした。

 触れる直前で、イェルグが半歩下がる。

 

「触るな」

 

 子供は首を傾げる。

 

「……いっしょ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、空気が重くなった。

 胸の奥に、理由の分からない罪悪感が滲む。

 

「ルーネ」

 

 イェルグは子供から目を離さず言った。

 

「こいつは人語を“使ってる”ように見える。でも実際は違う」

 

「……違う?」

 

「意味を分かってない。言葉を、音と感情として反射してるだけだ」

 

 子供が、今度はルーネを見る。

 

「すき」

 

 短く、はっきりと。

 

 心臓が跳ねた。

 答えなければいけない気がした。否定してはいけない気がした。

 

「返すな」

 

 イェルグの声が鋭くなる。

 

「返事は、餌だ」

 

 ルーネは歯を食いしばる。

 ただの子供にしか見えない。笑っている。泣いてもいない。剣を向ける理由が、どこにもない。

 

「……じゃあ、どうすれば」

 

「観察する。記録する。理解した気になるな」

 

 子供は、二人の沈黙を気にせず、同じ言葉を繰り返す。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 その優しさが、この村を削った。

 それを、ルーネはまだ言葉にできない。

 

 イェルグは最後に一つだけ言った。

 

「検死官の仕事は、死体を見ることじゃない。“死が起きた構造”を見ることだ」

 

 ルーネは頷いた。

 そして気づく。

 

 この村には、

 死んだ人間より、

 死なせ続けている何かがいる。

 

 それが、笑っている。

 

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